思い出がいっぱいの缶
新入社員のとき、泊まり込みで神戸の本社へ研修に行った。
阪急も阪神も海側も山側もわからない東京組を、地元の関西組が花見に連れ出してくれた。
さくら夙川という花見専用のような駅で降り、河川敷にビニールシートを広げた20人強は、いまだに7割が勤続している。
見知らぬ土地の夜桜はやけに白っぽく見えたし、夙川(しゅくがわ)という難読地名が脳裏に焼き付いた。
あれは何年前?
ホワイトデーに頂いたこれを見て、そんなことを思い出す。
子供服メーカー《ファミリア》と、《エルベラン》という洋菓子店がコラボした、限定クッキー缶。
エルベランは、1964年創業の老舗洋菓子店で、
夙川に店を構えている。
百貨店やショッピングモールには常設出店していないものの、その名は地元にとどまらない名店のようだ。
シロクマに、ファミちゃんという名前があるのを今知った。
ファミちゃん、1951年誕生だそうで、2024年現在で御年73歳。
同じ関西の子供服メーカーの、ちょっとだけ狂気をはらんだあのウサギより先輩である。
かわいいながら、すこし大人びてもいる缶。
なにを入れよう。
うちには、もったいなくて捨てられず、かといってしまい込むほどの小物もなく、空気を保管している缶がたくさんある。
それはそうと、街の洋菓子店のクッキーは保存料が使われていないことが多い。
賞味期限が数日後に迫っている。はやく頂かなくては。
13枚入りだが、ひとつひとつが手のひらですっぽり包めるほど小ぶり。これならあっという間に食べられる。
クラシックなピロー包装は、昭和の香りが漂う。映えを意識したドライフルーツや豆などのトッピングはない。
定番っぽいミルクチョコクッキーのほかに、木苺とカカオ、チーズとトマトなど流行りっぽい味がアソートされているのだが、見た目では区別がつかないほどの素朴さ。
老舗だし、まあきっと安心安定の味だろう。
スマホ片手に、ノールックで口に放り込んだ。
あっ!これ好き!!
さくさくほろほろの心地よい口どけと、ハッとするほど奥行きと深みのある味わい。
はじめてなのに、懐かしさも感じる。
油断していたから、その分感動が大きい。
無造作にぼりぼりむしゃむしゃ食べてはいけないものだということに、すぐに気づいた。
そのシンプルな見た目に反して原材料が多いうえ、やはり添加物がほぼ使われていない。
原材料が多いというか、カタカナが多い。
「スペルト全粒粉」はウルトラマン御用達っぽいし、「グリュイエドカカオ」は成城石井のチルドコーナーに置いていそうな名前。
エルベランのホームページを見に行ったら、クッキーひとつひとつに事細かな説明が書いてあった。
この説明を読んでから、もういちど現物を見てみる。
たしかに、チョコサブレの周りにパイが巻かれていて、てろんとしたチョコレートがサンドされているのに気づく。
そういえば、イントロにちょっとだけ源氏パイの風味があった。
パーツがこんなに分かれていると感じないほど、いつのまにかサビのチョコレートにたどりついていたのである。
このチョコレートも、ミルク感が強くてやわらかーい味だ。
あと、こだわりの原料として
と書かれている。
チョコレートトゥラカラム、のあたりがもはや呪文だし、塩ひとつとっても、ヒマラヤ岩塩。
ちなみに、スペルト小麦というのは現代の小麦の原種にあたる古代穀物だそうだ。
一般的な小麦よりは小麦アレルギーを発症しにくく、ナッツのような香ばしい風味があるのだとか。
ほかのクッキーも見てみたら、「ヴァローナ(インスピレーションフランボワーズ)」「スーパーバイオレット」「みつばちの花粉」とある。
文字面だけ見ると、アイシャドウのカラーバリエーションのようだ。
見た目は朴訥としているが、原料のこだわりと、名前映えがすごい。
花粉症なので花粉入りクッキーに身構えたが、ほんのりはちみつの甘さを感じる、ふんわりサクサクのパイっぽいクッキー。
木苺とカカオは、ピンク感がまったくないのに一口かじったら果実感をガツンと感じた。
チーズとトマトは逆にあっさりした塩気で、いい意味で期待を裏切る。
またひとつ、逸品を知ることができた。
この缶の贈り主は、とてもお世話になっているが、直接お会いしたことはない他エリアの女性課長。
ことし還暦を迎えるという。
バレンタイン・ホワイトデーのやり取りも、あと数年で途絶えてしまうのかもしれない。
空き缶に何を入れるか決まっていないが、缶を見れば、贈り主やそのときの記憶がよみがえる。
じぶんが社会人として大人の階段を昇ったときのこと、先輩が節目を迎えたときのこと。
奇しくも、この缶のデザインは階段のようにも見える。
空気感を保管しておくための缶も、あったっていい。
エルベランのクッキーのように、何の変哲もない缶のように見えて、あざやかな思い出がいっぱいなのだ。
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