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これまで読んできた言葉を忘れたくない


 長く本を読んでいると、何かのきっかけで「この小説家さんはもういいかな」と思う時がある。そして実際にその小説家との関係を断ってしまう。理由は様々で、作風にマンネリが見え始めたとか、読者である僕の側に別の好みができたとか。とにもかくにも読者というのは気まぐれだし、僕も新しい物好きの俗物的なところがあるので、読むのを辞めた小説家さんは何人かいる。

 しかし、最近になって彼らの小説を掘り出してもう一度読んで、関係を再構築したいという気持ちになった。

 一冊一冊を回顧的に読むことで、きちんと人生にも向き合えるんじゃないかと思ったからで、それにも理由がある。テレビドラマや映画とは違って、本というのは読み終わるまでの時間が長い。さらにいえば、読み終えた後も本棚にしまってある為に、同じ家で生活を共に(?)している感じがある。だから、本棚に並んでいる本を見ていると、僕も人生を共にした本に見られている気になってきた。この本一冊一冊を大切にするということは、そのまま自分の人生を大切にすることであり、同時に、自分の過去を肯定することでもある。自分がどこから来てどこへ行くのかは読書遍歴が教えてくれる。そう思ったのだ。

 僕にとっては村上春樹、宮本輝、志賀直哉がそういう小説家なのだが、これを読んでいる人にはその人の内の潜在的な「思い出したい小説家」がいるのではないかと思う。

 ここまで書いて思ったのが、これは別に小説に限る話じゃないよなぁということだ。現実の人間関係にいくらでも援用できる話である。「忘れたくない人」。学生時代にお世話になった人でも、カフェで偶然に同席した人でも、忘れたくない人というのはたくさんいる。

 しかし、小説のように追いかけるには情報がない。彼ら彼女らはもうほとんど名前さえわからなくなってしまった。小説家のようにウィキペディアで経歴をなぞれないし、正直、頂いた一言一言が僕の血肉になっているかというと自信がない(ごめんなさい)。

 近所でカフェを経営しているマスターがインスタグラムで「お客さんの顔と、お客さんへの感謝の気持ちを忘れない」と書いていたが、僕も多くの人に感謝している。より積極的に言えば、彼らに恩返ししたいと思っている。

「村上春樹と宮本輝と志賀直哉への恩返し」となると難しいので後で考えることにして、「ここ数年でお世話になった人への恩返し」なら、なにかできるかも知れない。音楽事務所で働いている人や、noteで記事を読んで下さっている人。ふとしたときに名前を思い出すことからでも、なにかが芽生えてくれるといいなと思っている。

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