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落とし所はどうするの 〜政治と宗教問題〜

昼間のワイドショーは、連日政治と統一教会問題やっているけど、これって煮詰めていくと、落とし所はどういうことになるのだろう…

個人的には、政治と統一協会のつながりを本当に排除することが正しいという認識なのだとしたら、選挙の運動員等に対して少なくとも「あなたの帰依する宗教はなんですか」「どの宗教法人とかかわりがありますか」を問わないといけなくなりますよね~♫

つまりは特定の宗教に入っている人を除外するには、最低限その人に手伝ってもらう前に、その個人の宗教を問う質問をするしかない。昨今は、履歴書に本籍記載はなくなり、男女別の記載もしていないものもある時代。個人の宗教で人選しても良いということで果たして良いのかな?それで国民の納得ができるのだろうか?

それこそ個人情報だとか、信教の自由を人選で判別して良いのかなど、問題を引き起こす可能性が高くなりますが、その辺、純粋に政治と一部の宗教の結びつきを悪と見なす主張をされる人は、どう解決すると良いのか最適解を提示されるべきかと思いますね…

まあ、そもそもカルトの定義は日本では微妙ですが、それでも沢山の宗教法人は存在している様子…

また、日本では微妙な立ち位置だけど、事実上公明党の母体となっている創価学会も、フランスではセクト(反社会的カルト)扱いされている訳で…

他国がセクト扱いしている宗教を、日本は見過ごしているのはいかがなものかという論点もあるとすると、それらの宗教と政治の問題も、また議論の上に乗せないと、包括的に政治と宗教の問題に相対することにはならないことになりますね…

当然ながら、公明サイドから統一教会関係の政治家参加を問う疑義を発する以上は、公明党も創価学会との関連性を透明化する義務が生じると思いますね。

さて、話は戻りますが、この落とし所は果たしてどうなるのでしょうか?
運動員として参加される方全員に、「あなたの帰依する宗教はなんですか」「どの宗教法人とかかわりがありますか」という質問紙票の回答提示を求めることをよしとするんでしょうか?
それに対する、個人情報や信教の自由は秘匿することはまかりならんという文化形成をするのでしょうか?

上記質問紙票に嘘の記載をしたら、その後の一切の運動を認めず、関係した政治家も「質問紙票の回答では見抜けませんでした、みなさんごめんなさい」とでも会見すれば許されるものなのでしょうか?

まあ、突っ込めば突っ込むほど、既存の宗教関連の人も、良いも悪いも影響は大きくなりますね…

突き詰めればそういうことに至ると思いますが、ワイドショー等は煽りに煽ったまま、新しい別の話題に出くわすと、そちらに主眼が移り、最後は有耶無耶のまま時が流れてしまうことになるいつものパターンなのかも…

さて、落とし所はどうなるか、そんな興味をもって、この経緯を見ていくのは面白いのかも知れません。

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