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色々と考える…

段々と暖かくなり、今のところはサッシ全開と扇風機で過ごせているけど、そろそろエアコンを始動する時期かな~♪

間違ったと思った時にどうするか問題…

若い人の早期離職、世の中の大人は3年は経験して、社会人生活に慣れるべきだと言って、離職が早すぎるという認識の人は多い。わたしもどちらかと言えば3年前辺りまでは、そのような考え方をしていたように思う…

でも、一度任期制の職場に転職をして、色んなことに遭遇すると、この3年程度はしっかりと我慢して務めるべきという考え方は捨て去ったほうが良いと理解するようになった…

最近は、入社や転職前に、如何に良いところだと思っていても、実際に入った後には良い部分もあれば悪い部分も見えてくるというもの…
問題はその悪い部分に関して、不正や社会悪などがあれば、即辞退した方が良いかも知れないが、自分にとってその悪い部分が、自分だけの勝手な判断で悪いと思っているのか、そもそも会社の制度や慣習的に悪いところが残っているのかの精査は必要かと思っています。

最終的に、入社した会社が、自分の想定外で、本人が間違ったと思ったら、間違っても3年間違いを続けるのか、早期に立て直すのかという判断も重要だと感じています。

わたしは即立て直しがよいと最近思うようになった…
そうさせるのは「時間の問題」です。

たとえばテストや試験問題を回答する際に、自分の出した答えがどうも怪しくて、再度考えてみたら明らかに解き方を間違っていたと自覚した際に、どのように対応するかという点です。間違っていたことがわかったから、それを再度回答して次に進もうとするのか、まだまだ試験の時間はあるから、他の簡単な問題等を回答した後に、もう一度間違ったと理解した問題を解こうとするかって色々と時間内で高得点を目指す手法は各々の人が持っているかと思います。

時間と試験問題の内容が全く変化しない状況であれば、解ける問題を沢山解いた方がお得かも知れません。でも人生ってそうではなくて、これをテストや試験問題に例えると、昨今も増えてきたネットでのテストのように、問題を順次解いていき、その問題の回答次第で次に提示される問題の難易度が変化するというものがあります。

その場合、今まさに解こうとしている問題を間違ったままだったり、スルーしたりすると、次に提示される問題は程度がコントロールされた問題になり、試験のトータルとしての出来・不出来に大きく差がついてしまうことを意味します。

故に間違いに対する感度を敏感にして、直ぐに対処しないと、その問題だけスルーしただけで、後の問題は完璧に解答したと思っても、実はそれほど大したことではない普通ランクの平均点だったりすることも… 試験の時間は同じでも、対処の仕方次第で大きく溝が空けられるというのが社会人にとっては大きな問題かと思います。つまりは同じ時間を過ごしているのに評価の度合いも違うということです。

わたしの場合は、最初の転職の直前に肺腺癌の宣告を受けたことで、死とか寿命などに向き合い、5年生存率が30%以下の癌のステージなので、せめて3年生きられればと考えています。なので、例えば転職先企業等で仮に自分の選択肢が間違ったことに気づいたら、そしてそれが自分の意向や考え方では修正できないくらい大きなことであった場合は、即軌道修正して、少しでもまともな方に進みたいという優先順位が高く、そのように働くというのが実情です。

つまりは、先程のテストや試験問題の回答で、自分が間違いに気づいたら、即修正を目指すという考え方そのものです。その方が、後々の短い人生の可能性を少しでも高くすることができると考えているからです。そのような考えをすることにいたり、結果的に昨今の若い世代が直ぐに入社した会社を辞めてしまうのも、完全には肯定していませんが、あって良いと思っています。

ただ、転職が多くなると、今度はご自身と他とで差別化できる知識や経験、能力をどこでどう培っていくかという点は問題となりますので、気にかけておく必要があるかと思います。

まあ、1度しか人生は無いので、色々な考え方があるかと思いますが、最終的には悔いを残さないようにして全うできれば、それこそ安らかに眠れるのではないかと思っているところです。

これは美味しい…

不思議なもので、点滴による抗がん剤による副作用で味覚障害があった頃に、何故か普通の水(ミネラルウォーターも含め全て)が生臭く感じていて飲めず、その頃に色々と水分を採れる手段を試して、意外と牛乳が無味無臭的に感じ、以来味覚障害が完治してもゴクゴクと飲めるようになりました…

最近は色々な牛乳を飲んでいますが、ここ最近で一番自分に合っている感じのする牛乳は、駅前のスーパーで売っている「北海道A2別海牛乳」という不思議な名前の牛乳です。
ホームページや牛乳のパッケージには、現在の牛乳には遺伝子としてA1とA2という2つの種類が混ざっているとのことですが、そのA1とA2の詳細な内容がよくわからないので、A2だけに絞った牛乳が腹痛を起こしにくいなどの特徴はあるらしいけれど、その他の効果があまりわかりませんでした…

とは言え、今の自分には飲みやすく、しばらくは牛乳と言えば「北海道A2別海牛乳」にしようかと…

また、コップに少しだけカルピスを入れてから、牛乳を注ぐと、少し甘さを感じられて、ゴクゴク飲んでしまいます。癌には甘さは天敵ですが、時々甘いものが欲しくなる時は、カルピスが薄めのカルピス牛乳を飲んだりしてイライラ感をおさえています(^^♪

爪問題

服用する抗がん剤として、分子標的薬タグリッソを3年間毎日服用するという中で、やっと1年を過ぎましたが、EGFR遺伝子に作用するということで、副作用が皮膚などに出るらしいのですが、わたしの場合は皮膚の副作用はありませんが、爪がボロボロになることが続いています。

マニュキアのような爪の補強材を毎日塗って、爪の強化をしていますが、それでもやはり改善できない作業というものがあります。
一番顕著なのは、食器洗いです。

特にコップ等をスポンジで洗う際に、人差し指と中指をスポンジを介してコップの底まで届くように押し当て、拭いていくのですが、その際に力が指先と言うか爪に集中するようで、食器洗いの作業が全て完了すると、爪先がボロボロになっているという状態です。

食器洗いのときだけ指キャップをしてみると、洗いにくいこともありますが、指キャップの先端が爪の圧力で破ける事もあって、結局指キャップも使わなくなりました…

仕方なく、コップ洗用の柄のついたスポンジを購入し、代用することにしましたが、なかなか使い勝手が良くないですね… それでも爪のことを思うと慣れるしかないのかも…

まあ、色々なところに制限がでてくるのは病気持ちにとって仕方がないことなのかも知れませんね… 生きていられるだけでも良いことなので、慣れるようにがんばりますか~♪

なんとなく昭和!?

最近スーパーで買物していると、なんとなく思うのは昭和の時代に戻っている感…
特にそう感じるのが林檎…

昭和もバブルの時代から基本的に果実も野菜も統一感というか形も大きさもほぼ同じものが整然と並んでいて、まあ売り場の品を荒らすおばちゃんを除けば、そうそう選り好みしなくても相応のものが購入できていた時代をながらく過ごしてきた感がしていたのですが、今はそうでもない…

林檎の大きさも形も微妙に違うものが売られているし、先日林檎を買ったら冷蔵庫に1日入れていただけで腐る一歩手前の状態…

最近は形や大きさに統一感がなくなってきている林檎

まあ形や大きさごときでクレームする必要などないのですが、段々とそのような統一感無く、多少傷が入ってようが歪であろうが店頭に並ぶ時代になったのかと改めて思ってしまうこの頃…

日本もこうして少しずつ貧しさに慣れていくのかも知れないなと感じはじめ、色々と食品を見ると、明らかにお高くなってきたので、これまでと同じ価格帯のものを仕入れるとなると、少し劣ったものでも購入するようなマインドになってきたということなのかも…

そのうち過剰包装もなくなっていくのかも知れないし、さらに大きさや形の程度の差が大きいものも出回るのかも知れませんね…

そんなこんなでまた新しい1週間が始まっていくのかも…

哀愁がただようパトラッシュの背中… 昭和だね〜♪

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