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フリードリヒ・ニーチェ著(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン

言葉の奥深さとつながる

個人的にはニーチェの本は読んでいる方かと思うものの、こうして各々の作品の中から言葉を拾い上げてみると、その少ない言葉の中からも深い解釈ができるのもだと感じ入った次第である。

本書は、Kindle Unlimitedを用いて、昼休みの読書には軽いものが良いということから、このシリーズを読み進めている。

ニーチェの言葉は、読者自らに考える機会を与えてくれる。その考察の後に感動があるのが不思議である。

「022 誰もが喜べる喜びを」として、わたしたちの喜びが他の人の役に立っているかとの問など、わずか数行の文章だけど、考え込むほど難しい… それでも自分なりの解を探し、消化した上で次のページを捲ることになる。考え込むと、そのままページを閉じ、自分なりに深く考察できることが、この本の面白さかも知れない。

「030 始めるから始まる」も、たった一行、はじめは危険だけど始めるしか無いという主旨。最初に危険性やリスクが勝ると、始めることさえ出来ない。逆に簡単にできることは、簡単に始められる。当たり前のことだけど、始めることには勇気を伴うこともある。

本書の中で一番感銘うけたのは「154 本を読んでも」であり、少々長いが引用すると「本を読んだとしても、最悪の読者にだけはならないように、最悪の読者とは、略奪を繰り返す兵士のような連中のことだ。つまり彼らは、何かめぼしいものはないかと探す泥棒の眼で本のあちらこちらを適当に読み散らし、やがて本の中から自分につごうのいいもの、今の自分に使えるようなもの、役に立つ道具になりそうなものだけを取り出して盗むのだ。そして、彼らが盗んだもののみ(彼らがなんとか理解できるものだけ)を、あたかもその本の中身のすべてであるというように大声で言ってはばからない。そのせいで、その本を結局はまったく別物のようにしてしまうばかりか、さらにはその本の全体と著書を汚してしまうのだ。」まさに、そのとおりである。

わたしも研究者として論文は書くが、論文や専門書の中で、日本の戦後の経営学者を、このロジックで批判し、それら先人たちの学術的貢献を、まるで意図と異なる低俗な考えに変換し、全く別物にした上で、本の全体と著書を汚した論を張った人もいたことを思い出した。今でも同様のロジックで他者を蔑む人も多いようである。読む方のリテラシーの低さは、ニーチェが生きていた時代と、さして変化がないのかも知れない。

ニーチェは「155 読むべき書物」で、読む前と後で世界がまったく違う本などを上げている。これは読書によって、わたしたちが新たに得られる付加価値というものを新鮮に感じられることができるものを読むべき、つまり読む価値があると感じてのことだろう。

短い昼休みの時間を数日分使って、自分の頭で考えてみるよい機会が得られる本であったことは疑いようもない。このような短い文章を掲載した本も、自分の思考の訓練には十分活用できることがわかったのは、自分にとって大きなメリットだった。

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