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AI倫理のミクロとマクロ 〜研究活動したいナウ〜

あれっ、イラストがちがう…
AI倫理のミクロとマクロの話だけど、何故に…
…えっ、マクロじゃなくてマグロだとーーー♫
今日はそんなダジャレなお話ではなく、少しまじめなお話なのにゃ♪

お導き?

組織内のデータを組織内だけで参照して結果を吐き出す生成AIが求められていると思うけど、その場合でも生成AIのエンジンになる部分は最新で、個々の組織にチューニングされたものを欲するよね~♪

問題は生成AIのエンジン部分だけど、下手すれば生成AIのエンジンを提供している企業が、その組織の方向性を変える力を持つことになるんですよね~♪

つまりを生成AIの出す出力結果に関して、微妙にある考え方(政治思想や宗教的なものや、ある特定の分野を賛美したり排除したり誘導したり)を、料理にほんの少し塩を振るような感じで、薄くまぶしていくと、それがトータルの量や蓄積で、ある方向性になんとなく向いてしまうということは良くある話… (極端な例だと、SNSなどで情報拡散により発生したアラブの春等々…)

それが可能になってしまうことに実は問題があって、その辺がAI倫理の恐ろしいところ… 誰も気づかずに全体の総意がある方向に向く恐ろしさ…

身体に良いと思って飲み続けた薬やサプリが、ある日突然副作用や病気の引き金になるようなもので、薄くまぶされたものは本当にそれに気づかない… (まだまだ最近の小林製薬の紅麹関連などは、体調不良の入院や死亡事故まで発生させているので、悪い部分が顕在化したことが万人にわかったので、以降の対策が打てますが、そのような顕在化のないままに浸透し続けるのは、やはり恐怖でしかないかと…)

会社組織でもその企業の長い年月が、その組織独特の文化や考え方になってしまい、ずっとその純粋培養的な環境の中で育った人たちは、世間との乖離を理解できなくて、むしろ自分たちが世間一般の普通の人という立ち位置だと勘違いしている人達は想像以上に多いですね。

転職者などは、その辺を最初は敏感に感じ取りますが、やがて仕事に慣れていくと、その最初は違和感のあったものが、す~っと感じなくなるというか感性が鈍くなるように当たり前のことと変化していく場合も多いですね…

事程左様に人間というのは知らないうちに溶け込む、いや、毒される、はたまた馴染んでしまうものです。研究者などは、そういう現象を短絡的に腐ったリンゴのたとえ話として取り上げたりするんですが、知らないうちに自分自身がコントロールされていくという点に関心を持った方がよいかと個人的に思う次第…

現在はミクロなAI倫理が語られているけど、本当に怖いのはマクロなAI倫理なんですよね~♪

AI倫理研究者

個人的には、今、経営学からみたAI倫理という観点で無性に論文が書きたい状態なのだけど、仕事もそこそこ増えてきて、そのきっかけが掴めないでいる…

今のところは頭の中の試行錯誤で色々と中身を練っている状態…

とはいえ、転職時にもAI倫理研究をしていると称する企業にはアポイントしたけれど、所謂LLMとかAI研究者が倫理に頭を突っ込む系のところが多くて、学問としての応用倫理的な素地は不必要と考えるところも多いのが実情…

基本的には情報リテラシーに情報を取り扱う、つまりツールの操作や情報の発信などの考え方と、情報そのものの価値判断を問う考え方の大きく2種類が領域として存在するように、昨今のAI倫理は前者に相当する扱い方のリテラシーが主軸で、AIの価値判断等を追求するところは少ないのが現状のようです。

ということで、殆どはAIリテラシーに関する倫理の研究を、どちらかと言えば何らかの可視化とかツールとかで補うようなことに主眼が向いている印象を持ちます。

わたしの方は、どちらかというとマクロでみた時の倫理を検証するために、ミクロな視点も考慮するという観点なので、昨今のAI倫理といったときに、違う観点なのかも知れません。それだけに研究者は少ない。

もちろん倫理学の度正論的な方向からみている学者も多いかも知れませんが、わたしは経営倫理、情報倫理、そしてAI倫理と、応用倫理学的な観点からみているので、少し違うかも知れません。

ただ、このへんからみる研究者は多いようで本当に少ないんですよね~♫ 何処かの大学で経営、情報、AI関係の倫理を総合的に研究させてくれるところって無いのだろうかと思いつつ、JREC-IN等を時折眺めてはみるものの、もう日本の教育って最初から専門性を求めていないんだろうな~っと半ば諦めて拝見している状態…

きっと僕らが危惧するAI倫理の本当の問題点は、AIが普及してから突如発生し、世間がアタフタし始めて初めて理解されるのかも知れないけど、その時は「修正力」って働くのか少々疑問は感じつつ、まあそのときは第一線にはいないから、知~らないって感じかな~♫

AIの今後は…

未だに生成AIは検索のお遊びの延長線上にしか考えられていなかったり、業務が効率化されたと言っている割には改善された形跡がなくて、単に宣伝文句的に使われていたりするのが今のところの現状かと…

でもどうだろう、わたしたちが同僚や部下に物事を頼んだ後に、頼まれた人は、過去の同じような案件を探したり、過去に同様な案件を担当した人にやり方や当時の経緯を聞いてみたり、はたまたそれら過去の資料を探して読んでみたりと、まずは過去の事例に当たることが多いのではないだろうか?

生成AIもこれと同じように過去の中からのプロンプトに応じた最適解探しというツールにほかならず、この生成AIが参照するデータが、過去の叡智をどれだけ持つか、つまりは社内データの過去や業界で共有されている過去情報、はたまた一般的に知られる過去情報を参照して、プロンプトにそった回答結果として提示しているということになる。

つまりは、生成AIが同僚や部下の知りうる範囲や、彼らが調べ上げようとしている範囲を凌駕していれば、それはある部下や同僚に質問や頼んだ内容の回答とほぼほぼ同様のものを提示してくれるのだろう。違いというのはその頼まれた人たちの個性の影響が強くアウトプットとして作用するぐらいではないだろうか?

そう考えると、もはや使わない手はないわけで、部下や同僚に同じことを頼んでも、やはりその個性というフィルタを解すると、誤った認識や理解不足によるハルシネーションと同じことは生じるわけであり、それらを払拭するのは上司たるあなたの目利き力になるわけである。つまりは生成AIの出力も、結果的にはあなたの目利き力が必要と言うこと。

まあ現状は引用元を示したりするものや示さないものがあるため微妙な時代なのかも知れないが、引用元が示されたとしても、その引用が「本当の真実であるのか」の解釈や理解はそれを利用するあなたの認識や理解、つまりは目利き力という帰結を生む。

その目利き力の責任は自らとるということだとしても、同僚や部下に頼むことと生成AIに頼むことはほぼほぼ等価交換に近くなるという解釈をすれば、それらの人の作業分が、生成AIで、ある程度瞬時に終えることで叶う訳で、そのメリットは計り知れないことになる。

もう、日本の伝統的な教育が意図した「物知り」的な従業員は有用で無くなる時代である。AIをツールとして利用した上で、さらに「考える力」が必要であり、そのような人、あるいは目利きができる人が今後重宝されていく時代なのだろう…

例えば、この辺のことをチャンスと捉えた孫氏のこのプレゼンも、そのような理解の上で見てみると、時代に機敏に対応する経営意思決定層の人は直ぐにでも取り掛からないと、大きな遅れを生じると理解するでしょうし、「何だ、まだまだ先の夢見事」と思っている経営意思決定層は、そのうち周りが動き出すまで待っていようと思うのだろう…

その時差が今後の企業の勢いや存続に関して、大きな命取りになるくらいのボリュームを持っていることに気づくべきだと思うけど、まだまだ日本の意思決定層の感度はにぶすぎるのが現状かと… もう有用な人材が多数入社してくれる時代では無いのである。他社の中から自社を選んでくれるだけでも有り難く、さらに優秀であれば素晴らしいという軌跡を待ってはいられない。少ない人数で大きなパフォーマンスをする、あるいは期待するには使わざるを得ない環境なのだということを経営意思決定層が知らないのであれば、それは決定的な遅れになると思われる…

日本は今からでも十分巻き返しができるポテンシャルを持っているけど、それを拒むのは、号令をかけたくない去勢された意思決定層… 過去の長い日本の眠りは、自分のいる間にリスクを取らず平穏無事に過ごしてきた人が偉くなってしまったことで、必要な時に必要な意思決定を、責任を負いたくないがために躊躇う人ばかりになってしまったこと…

早くまともな意思決定できる経営者や経営意思決定層が多くなっていかないと、せっかくのチャンスな時期を、また長く逸することになってしまう…
そんなことを思った次第…

老後の楽しみじゃ…

わたし自身は、これまで海外大学院、国立大学院、私立大学院を経験したし、社会人としては特殊法人、地方自治体、株式会社を経験できたので、後は個人事業主か個人経営を経験すれば、それで良いかと思いつつ、早々に仕事から引退して、音楽を聞きながら本を読み、時には論文や文章をしたためるのも良いのかと思いながら過ごしている状態で、だんだんとユングの言う人生の正午を越えているので、そろそろささやかな夕暮れを迎えようかと思ってはいるものの、何かをせずにはいられないという博多っ子の血が騒ぐこともあり、やっぱりあ~でもない、こ~でもないと忙しく動いているこの頃でもある…

人生の昼をこえてもヒールにはならない…

性格というのは変更しようと思っても、変えられないものである。
やっぱり生きている間は忙しなく何かをやっているのだろう…
さあ、どのようにしてAI倫理を書こうか… それが問題だ!

そうこうする間に、虹の橋を渡ってから書き始めるのかも…
いや、虹の橋からお魚でも釣りますか… パトラッシュのために…

先に釣りしてるパトラッシュ…
 カエルくんはいるけど、ウシくんはいない…!?

パトラッシュに先を越された…

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