母が生まれた日
この週末は母の誕生日であった。
マダムの似顔絵も描けたし、ネットで頼んであった餞別のワインも無事時間指定の配達で受け取れた。
なんだかあっという間だな、、3月っていつも 無駄なこと一切してないのに一瞬で過ぎ去ってしまう。
恋人タミオ君の家では
両親の誕生日に ケーキやプレゼントを用意したりはしないけど、お金を渡す風習があるらしい。
例の如く我が家は三姉妹が集結し、ケーキと夜ご飯を調達し娘たちで割り勘して祝う。今年は本当はケーキだけ一緒に食べられればいいか、という話になっていたものの 結局夜ご飯もみんなで食べることになった。
タミオ君はいつも通り仕事で参戦できなかったけれど、タミオ家ルールに則ってお金を包んでくれた。中身が透けそうな 最近逆にあんまり見ないような茶封筒しかなかったので、シールだけ可愛いのを貼った。
私の誕生日にはお願いしても書いてくれなかった一言メッセージを、茶封筒に書いてくれた。
【お母さんお誕生日おめでとう いつもありがとうございます】
『お母さんでいいのかな』と言いながら
母が裸眼で読めるかわからないほどの小さな字で
『お母さんでいいけど おめでとうございます じゃない?』と聞くと
『ここはこれで大丈夫』と言う。
途中、『見ないでよ~』と恥ずかしそうに隠すので
何を書き足すのかと思ったら【いつもありがとうございます】だった。
大人しく見ないでおいたけど 私が預かって渡したから、まぁ、見える。
お正月もそうだった。
タミオ家では、社会人になってから子供が親にお年玉をあげるらしい。そのルールに則って、母にもお年玉をくれた。さすがに同じ額もらえないので、ふたりで1万円ずつ入れて、あげた。
それを知ったら妹の旦那たちが気を遣うかもしれないので、あくまでもタミオ家のルールだからと みんなには内緒でこっそりあげた。
(のに、後で母がうっかりバラした。コラ)
まだ結婚してるわけじゃないのに
最初は私も気が引けた部分があったけど
他人の親にお金を渡すこと
自分の家のルールに他人を適用させること
それって、ある程度先を見据えて考えていないとできないことだと思うので ありがたくお気持ちも受け止めつつ、私も別の形でタミオ君のご両親をお祝いさせて頂いている。
我々が結婚を急いでいない理由は
もう何度も書き記して来たけれど、子供を持たない選択をしているから。
妊活をすると決めた場合、状況によっては婚姻関係に置かれる必要も出てくるし、もう年齢も年齢なので 妊活をするのであれば一刻も早く という話になってくるのは仕方がない。
子供を作ることも、籍を入れることも、強制や義務になっては辛い。世の中にはそれを強いられるかのように進めて 妊活を頑張っている人たちが山程いるだろうし、妹もそうだった。
巨大子宮筋腫と共存しながら6度の人工授精に失敗し、体外受精をするために入籍した。途中何度も手術や入院を繰り返していたし、年齢は若かったけれど子宮の限界を考えると時間がなくて
まだ結婚したくないと大泣きしながら仲の良い友人達に訴えた話は今でも伝説のように語り継がれている。
ここでは壮絶な妊活や治療や妊娠~出産までのエピソードは割愛するけれど、不妊治療のありとあらゆる現実を見てきて、実際にお金の面ではレスキューもしてきた立場から
私はこの治療に耐えてでも子供が欲しいのか、と問われると 心の底からYESとは言えず。治療は自分だけが受ければいいわけでもなければ仕事に支障も出る。負担は身体だけじゃなく心にも及ぶし、それこそ時間や懐にかかる負担だって計り知れない。
話が逸れました。
そんなこんなで
私も妹と同じ子宮の疾患+αを抱えて絶賛治療中の身であるが、私の場合は長らく相手もいなければ結婚願望も消滅していたので、言われるがままにピルを飲んでいた。
今は年齢的な理由でジエノゲストという薬に変更し、完全に生理を止めている。この薬に変更する打診があった際に、【子供を諦める】選択に迫られた。
タミオ君という恋人に巡り逢えたのは奇跡であり
タミオ君の子孫を残せないという罪悪感は今後一生ゼロにはならないであろうと思うけれど、子供がいなくても一緒に二人で仲良く暮らしていきたいと思える人だ。
綺麗ごとの部分だけを言えばそう。
タミオ君自体が子供のような人で、まるで子育てをしているような錯覚に陥ることができる上に
私自身も長年親との関係性に悩んできて、自分が親になる自信もなければ 自分のような思いを子供にさせない自信もなかった。
何度も話し合いを重ねた結果、万が一子供ができた場合のシミュレーションや意思疎通まではできているものの
薬を変更するタイミングでは間違いなく、【子供は欲しくない】の一択だった。
時を経て
【できたらできたで幸せだけど頑張って作ろうとはしない】という気持ちに変わったのも、大変な進化であり 我ながら不思議な変化であった。
常に私の身体を第一に考えて寄り添ってくれているタミオ君がいるからこその変化でもあるし、あんなに自信のない生き物だった私をそんな風に変えてくれたのは 間違いなくタミオ君と一緒に過ごす日々の中で安心が蓄積された結果である。
要するに、形が大事ではない。
結婚はいつかできたらいいと思っているし
法的に家族だと認められることで得られるメリットもあることはわかっている。
タミオ君以外の人と結婚する未来は描けないし、もしかしたら他にもっといい人がいるんじゃないだろうかという衝動に駆られているわけでもないけれど
すぐにしなきゃいけない、早くしたい、という気持ちが強いわけでもない。
今、毎日が穏やかで幸せに過ごせていることが 全てで、お正月やお誕生日の下りで ちゃんと先を見据えたお付き合いをしてくれていることが定期的に伝わってくる言動があって
これ以上望むことなんてないな、という気になってしまっている。
優柔不断なタミオ君なので、実際に籍を入れるかどうかは私がけしかけたりしないと動き出さないかもしれない とは思うけれど。
ダラダラ同棲生活を続けることが 果たして悪いことなのか、と考えてしまうと(ダラダラ という表現がもうちょっと悪寄りだけど)私もあえてけしかける必要性なんかないと思ったりして。
*****
ボディソープがなくなったらしく、お風呂を出てからわざわざ詰め替え用を追加してくれたタミオ君が 全裸のままペッチャンコになった詰め替え用の入れ物をもって台所に走ってきた。
てっきり捨てに来たのかと思ったら
『御子ちゃんはこれ最後のやつにお湯入れて使うタイプ?』と聞いてきた。
『うん』と答えると
『よし!』とウキウキ飛び跳ねながらペッシャンコをお風呂に持って帰った。
順番的にお湯を入れて最後のカスを使い切るのは私だ。
でも『俺もそのタイプ』と言って嬉しそうに笑いながら全裸で走っていくタミオ君が愛くるしい。全裸で走る という無邪気さ。私はしないけど。
こういう細かい価値観の擦り合わせが楽しい。合わないことももちろんあるけれど、お互い歩み寄りながら二人の生活を作っていくのが嬉しいし、タミオ君も楽しんでいるのがわかる。
結婚ってなんなんだろうな。
母はとても喜んでいた。
直接本人から受け取ったお年玉は『仕事の靴買っちゃお!』と言ってたけど、昨日私が渡したお誕生日のお祝い金は『大事に取っておく』と言ってた。
タミオ君をパートナーに選んだことが、結果的に親孝行になっているんだとしたらそんなに嬉しいことはない。
私もタミオ君が親孝行できるような相手でいたいな、と思う。
お祝いのお寿司とケーキは、持って帰って二人で食べた。
最近一緒に晩酌をしてる。
ほんの少しずつしか飲まないし、飲んだら寝ちゃう率も高いけど、穏やかで愛おしい日々です。
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