FanUwajima(金瀬聡)

人と社会のウェルビーイング/包摂的で持続可能な社会/シビック・プライド/ソーシャル・キ…

FanUwajima(金瀬聡)

人と社会のウェルビーイング/包摂的で持続可能な社会/シビック・プライド/ソーシャル・キャピタル(共同体メカニズム)/好奇心(自分事・当事者)/体験(五感と感情の統合)/関係性(相互作用)/心理的安全性/ シン・ウワジマ(市民と志民の「ココロまじわうトコロ・宇和島」)の探求と共創

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これからの教育が問われる理由の一つ

出力が言っていることは、要するに、ChatGPT3.5には、主体的な意思はなく、ユーザーから問われれば答えるなどのサポートをする、あくまで道具ですということのようです。 ここに、人間にはできて、人工知能にはできないことのヒントがあるように思えます。 試験(問われたことに答える作業。それは私の役割だとChatGPTは言ってます。)で高得点を取る人に対して、「あなたがしたいことは何ですか?」と質問したとします。 その答えが「そんなこと急にきかれても…」というものだったとした

    • 今後の「社会の劇的変化」と「教育のあり方」

      今後の「社会の劇的変化」と「教育のあり方」を見据える上で、押さえておきたいと感じた記事や動画を並べてみました。 ここ短期間のうちに激しく動いています。(⇐今の時点で、私が認識できているものです。今後何らかの形で加削整理できたらなと思っています。) ▼3月24日 人間を超えるAI時代「問いベースの教育に」 安宅和人慶應大教授(教育新聞) ▼3月24日 安宅和人さんのプレゼンとそれに続く質疑(6分40秒から。 今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討

      • 「主体的・対話的、深い学び」とは

        「主体的・対話的、深い学び」とは、アウフヘーベンのことであるという見方ができる。 そのように考えると… 「ダイバーシティ & インクルージョン」 多様性の意義や、尊重・寛容といった望まれる個人の態度、場の心理的安全性などの大切さの意味もわかりやすい。 多様性の意義 異なる知見、意見、経験などの交流からこそ、新たな価値が創発されるのだということ(多様な個性を持つみんなの違いが共創の源泉であるということ)。 逆に、多様性に欠ける一様で、単一な状況(みんな同じの集団)からは新

        • 人類の在り方が大きな転換期を迎えている…

          次の記事を読み改めて考えさせられた。 自然も資本である 「成長」で食い潰さぬ知恵を: 日本経済新聞 人類はその未熟さゆえ、自らが暮らす地球を永らく無限のものと勘違いしてきた。 人類史上初めて、そのことに気付きはじめている。そういうことかもしれない。 地球は、有限である。 無限の資源の宝庫ではないし、 無限の廃棄物のゴミ箱でもない。 もしそうだとすると、民主主義も資本主義も人類の思い上がりだということになる。 ウェルビーイングの定義として「身体的・精神的・社会的に良好

        これからの教育が問われる理由の一つ

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        • AIとの壁打ち
          0本
        • 雑記帳
          2本

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          自利利他(奪い合いから分け合いへ。ウェルビーイングの理解の一つとして。)

          これからの人と社会が目指したい在り方。 ウェルビーイング。 自利利他は仏教の考え方です。 うばい合えば足りぬ 分け合えばあまる うばい合えばあらそい 分け合えばやすらぎ うばい合えばにくしみ 分け合えば喜び うばい合えば不満 分け合えば感謝 うばい合えば戦争 分け合えば平和 うばい合えば地獄 分け合えば極楽 相田みつおさんの言葉だそうです。 画像はマズローの五段階欲求説です。 「人」の欲求についてのこの考え方を、原始時代からの「人類」の歴史に当てはめて考えてみると、人類

          自利利他(奪い合いから分け合いへ。ウェルビーイングの理解の一つとして。)

          価値とは… 人と地域の幸せとは…

          お金って、本当は模様が描かれたただの紙(お札)のことです。キャッシュレスの今は、もはや紙ですらなくて仮想の数字です。 世界中の人が、なぜかその数字には特別の価値があると信じているから、だから価値がある。 ここを信じる人がいなくなったらその価値が蒸発します。 逆に言えば、コレには、ココには、価値があると信じる人がいると、そこには価値が創造されるということなのですね。 その証拠に、価値観が多様化した現代では、ある人にとってはもの凄く価値があるモノ・コトが、別のある人にとって

          価値とは… 人と地域の幸せとは…

          「文明の時代」から「文化の時代」へ。

          「文明の時代」から「文化の時代」へ。 今、世の中は大きな移行期にあると感じませんか? その変化の意味は、マズローを思い出せば合点がいくのではないでしょうか。 例の5段階欲求説(実は後に6段階なのですが…)です。 これまでは、生理的欲求・安全欲求の充足を目指してきた時代だった。人も、社会も…。 これからは、社会的欲求・承認欲求、そしてより高次の欲求を目指す時代に入ってきている。人も、社会も…。 その変化から置き去りになっている人たち。 この人たちを誰一人取り残さない。 こ

          「文明の時代」から「文化の時代」へ。

          「なにかあったらどうすんだ症候群」

          思い当たることがたくさんあって考えさせられる。 “恐いから面白いに” “やってみよう” 【抜粋】 『元陸上選手の為末大氏が先日、SNS(交流サイト)で私たちの国は「なにかあったらどうすんだ症候群」にかかっている、と発信していた。それは社会に安定と秩序をもたらすが、副作用として停滞を生み、個人の可能性を抑制するという。』 為末さんの投稿 「なにかあったらどうすんだ症候群」 #日経COMEMO #NIKKEI

          「なにかあったらどうすんだ症候群」

          宇和島の卒近代

          地域を含む社会の「卒近代」を考えたい。 「脱近代」ではないことがポイント。 必然だった過去を否定するのではなく、感謝と敬意をもってこれまでを卒業して、新たなステージに歩みを進めようということ。 このパラダイム・シフトをうまくやれれば希望が出てくる。ここは強調しておきたい。 大切なことは、当事者意識。 「卒近代」は、自分以外の誰かがやってくれるもの、やってくれるべきものだという傍観者的他責意識が蔓延すると見通しが厳しくなる。 なぜなら、一人一人の複雑系的繋がりによる相互作用

          宇和島の卒近代