宇和島の卒近代
地域を含む社会の「卒近代」を考えたい。
「脱近代」ではないことがポイント。
必然だった過去を否定するのではなく、感謝と敬意をもってこれまでを卒業して、新たなステージに歩みを進めようということ。
このパラダイム・シフトをうまくやれれば希望が出てくる。ここは強調しておきたい。
大切なことは、当事者意識。
「卒近代」は、自分以外の誰かがやってくれるもの、やってくれるべきものだという傍観者的他責意識が蔓延すると見通しが厳しくなる。
なぜなら、一人一人の複雑系的繋がりによる相互作用の総体がコミュニティ(地域社会、共同体)だから。
一番の敵は慣性(特に成功体験)。
社会の歴史的転換期では、過去の常識と栄光としがらみが足かせになる。
したがってそれらを持たない若い人たちに希望があるということにもなるのだが…。
慣性によって、しかもよかれとの善意で、卒業すべき過去のパラダイム(見方、考え方、常識)に基づく関与を続けてしまうことだけは避けなければならないことになる。
詳しくはあらためて取り上げたいと思います。
※「卒近代」は鈴木寛さんがおっしゃっていることです。
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