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地平線の向こう側ヘ。

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地平線の向こう側へ。2011年、3.11からの旅。その1

地平線の向こう側へ。2011年、3.11からの旅。その1

その時、俺はパチスロを打っていた。当時おれは福島県の南部にある天が栄えると書いて天栄村と言う田舎で歯科医院を営んでおり、その日は確か金曜日で午後がたまたま休診日で、大好きだったパチスロを打ちに、隣町の矢吹町にある「アラジン」と言うパチンコ屋に行った。何台か打ったがさっぱりで、金も大分使った。これで最後にしようと座った台が「鬼武者」と言う当時人気の台。なんとなく打っているといきなり台が騒がしくなり、

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地平線の向こう側へ。20011年、311からの旅。その2

地平線の向こう側へ。20011年、311からの旅。その2

福島から栃木に避難、そして数日後、原発が爆発し、北海道に行くことを決めた俺は、妻と娘の3人で新潟からフェリーに乗り小樽港に降り立った。3月中旬の北海道はまだ寒かった。パーカー一枚しか上着を持っていない俺にとっては結構なキツさの気温。つい数日前までいた福島のあたたかさとくらべ、その体感の違いに、日常が非日常になったことを改めて実感した。
小樽からとりあえず5号線にのり札幌に向ったが、途中で給油のため

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地平線の向こう側へ。2011年、311からの旅。その3。北海道の仲間たちとの出会い。

地平線の向こう側へ。2011年、311からの旅。その3。北海道の仲間たちとの出会い。

ニセコ町の比羅夫と言うリゾート地帯のオーストラリア人の経営するアパートの一室を、北海道に上陸したその日に借りることができた我々家族三人。そこでの約一ヶ月の暮らしが始まった。
突然の大地震、そして原発事故、避難生活。
突然おとずれた非日常になすすべなく、ただ流れるままにたどり着いた場所。
限界を越える精神。不思議だが悩むことはなかった。考えることすらない、というか出来ない。ただただ、時と共に、ここに

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