見出し画像

捕カルト、脱カルト1話、〜伝導の阪急電車〜

1話、〜伝導の阪急電車〜

「皆さんは、もしもこの部屋一杯に敷き詰められた100円玉に、『一枚だけ印がしてるのを取ってこい』と言われたら、それを1発でとってくることはできますか?・・・イエス様はそれが出来る方です」

子供の頃は木造アパートの一階の六畳二間の部屋に家族5人で住んでいた。僕が小学3年になった時、家の中が狭く感じていた。自分が大きくなっているのもあるし、弟も妹も大きくなってるのだから。

父親は週6〜7で働き、母親もパートで週5〜6で出ていた。
妹は保育園で、僕と弟は小学校から帰ると家にはまだ誰もいない寂しい空間。腹が減ってもおやつもなければお小遣いも基本的には置いてない。つまり僕の家は貧乏だったのだ。

僕は子供の頃から何回も何回も
「あー、神様がいたらいいなぁ。あんなに二人とも働いてるのになんで僕の家は貧乏なんだろう」
こんなふうにいくら思ったか分からない。

僕は20歳で大阪に出た。
高校を卒業し、したくもなかった仕事だけど無理に就職した病院を、1年半で辞めてやった。
子供の頃からの夢であるプロミュージシャンになる為に。

本当は東京に行きたかったけど、知り合いもなく心細くてどうしたものかと思ってたところに、高校3年間同じクラスだった高倉からたまたま電話があって、「大阪に来んか?」と言われた。最初の3ヶ月くらいは住ませてくれるからという口約束もあり東京じゃなく大阪に行くことに決めた。まあ若かったし色んな経験をしたかったからというのもある。

大阪に行った最初の3ヶ月くらいはあっという間に過ぎていき、高倉には早く出て行けと言わんばかりの肩身の狭い扱いを何度も受けていた。

ある日、仕事を探さなければという事で、阪急電車の中にいた。
バイトを探しに梅田まで行ったが見つからず上新庄まで帰るところ、吊革に掴まりチラチラこちらを何度も見る女がいた。「告白されるのかな?」「なんか俺変な事したかな?」など色々な事を頭の中で巡らせたが答えは分からず、あまりに気になりこちら側からつい話しかけてしまった。
「あ、、、なんか俺、付いてます?ゴミかなんか。あまりにこっち見てるから」
なるべく、笑顔でやんわりと言い終えた。
するとその女はやや頬を緩め、"遂に腹をくくったぞ"というような表情を見せたかと思うとこう言った。
「カミサマシンジマスカ?」
その“シンジ”くらいのところで紛れもなく韓国人だと悟った。
1、片言だ。カミサマシンジマスカって。
2、キムチ臭たっぷりのその息。
それだけでもカウンターパンチ程の驚きが炸裂してるのに
3、「カミサマシンジマスカ?」というこの一言。冷蔵庫開けて麦茶だと思ってがぶ飲みしてたら実は麺つゆだった時ほどの驚きだった。

その韓国人女性と話しながら阪急沿線を京都方面へと帰って行った。
「神様はいると思いますか?」
「ぁ、あぁ。まあ、いたらいいなとは子供の頃から思ってるんですが・・・」
彼女はパーっと顔が明るくなりこう続けた。
「神様いるよ」
「え!?神様って本当にいるんですか?」
"おいおいおい!言い切っちゃったよこの人〜!大丈夫かよ"
かつて一度たりとも交えた事のない会話に、心の中で一瞬そんな事を思った。そしてどう返せばいいのか、次は何が返ってくるのか・・・心の中がワクワクとそれまでに未体験だった心境が渦巻いた。
「本当にいるよ。一回日曜礼拝きてみない?神様に会えるから」

こんな一連のやりとりを経、日曜日を迎えたが僕はいかなかった。
同年代なら分かるだろうが、僕が中学生の時に都内の地下鉄でサリン事件を起こした新興宗教団体があった。当時長い間メディアはその件でもちきりだった。そんな事があり、神様がいるなら会いたいが、でもそういうへんな集団だったらいやだな、怖いなという思いが勝り良心は痛んだが約束をすっぽかして行かなかった。

約束の日時に僕が現れず結局礼拝に行けなかったその韓国人女性から電話が来た。それで全て思っていることを話した。
僕になんとか教会へ来て欲しいと願う彼女の必死さが伝われば伝わるほど怖くなった。しかし僕は運が良かった。なぜかと言うと、好奇心が勝ったからだ。この好奇心というのは、「神がいるなら確かめたい!」という気持ちもあったし、子供の頃から観ていた洋画にはよく教会や聖書や神様の話や聖歌隊が出てたから、"キリスト教の教会"という事についてはほぼ抵抗がなかった。ただ、キリスト教を名乗るキリスト教ではない集団の場合が怖かったのだ。
それに当時まだバイトも決まってなくて、故郷から出てきた時に持ち合わせていたお金はそろそろ底をつきかけていて、一食一食をどうしようかと思うような不安な生活の中にいた。
彼女の
「教会に来たらパンもコーヒーもおにぎりもあるよ」
という言葉に
「行きます」
と答えた。

次の日曜日、僕に電車の中で伝導した韓国人のサクラさんとの待ち合わせ場所に行き、遂に人生初めて日曜日の礼拝に行ったのだった。

教会がどんな所かも分からず、何をするのかも分からなかったけど、やはり日本人のイメージとしては、キリスト教の教会と聞いた時点で映画【天使にラブソングを・・・】のような感じで、三角屋根の上に十字架があってステンドグラスで聖歌隊がちゃんといてゴスペル的に歌うんだろうなと思っていた。しかし全く違った。
初めて足を運んだその大阪市東淀川区の西淡路から自転車で10分くらいで着く教会は開拓教会で、韓国人と在日韓国人、そして日本人が半々くらいでいた。"教会"という建物ではなく、大阪市か東淀川区が運営する文化センター的なレンタルの部屋だった。

最初に賛美チームと言って出てきたのが女性ボーカルのバンド。驚きの連続。そのロックかポップか分からないけど賛美チームの演奏が終わると祈りの時間があって牧師が出てきた。そしてその牧師さんは、部屋全部に聞こえる声でこう言い放った。

「皆さんは、もしもこの部屋一杯に敷き詰められた100円玉に、『一枚だけ印がしてるのを取ってこい』と言われたら、それを1発でとってくることはできますか?・・・イエス様はそれが出来る方です」

僕はまたまた驚き、半ば呆気に取られた。
"マジで‼︎⁉︎この人マジで言ってるよ!もはや神がいるとかいないとかの話じゃなく、居るのは当然のレベルで、その100円玉を掴めるってマジ‼︎‼︎⁉︎"
僕は神がいるという事とそんなすげー事を出来る奴がいるのかという事なんかの驚きの連発で、もう心は笑っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?