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【短編小説】 I was all you needed. “僕が君の全てだった。”

「写真みたいに綺麗だね」
遠くの夕焼けの景色を見ながら、真子がそう呟いた。
いつもそうだった。彼女とはなかなかそりが合わなかった。
僕が真子と出会ったのは9月の中頃で、別れは思い出せない。その頃はまだ夏の嫌な暑さが残っていた。僕が小学生の頃は果たして9月でこんなにも残暑さが滞留していただろうかとその時に回顧していた気がする。そのくらいの季節だ。
「真子、夕焼けが見えるよ。」
昼からあったであろうまだ消えない入道雲と、赤やけ色に染まる空。彼女とその景色を共有したかった。
「ほんとだ。写真みたいに綺麗だね。」
その言葉に対して僕は果たしてその表現が正しいのかどうかを考えた。今なら分かる。その表現は、絶対的に”正しかった”。絶対なんてこの世には存在しないが、これは絶対だ。そう思わせるほど正しいと今は思う。でも言われたその時は、絶対的に”おかしい”と思った。日常の中で弁証を繰り返し、その時とは全く違う認識を今抱いていることにとても感慨深いものがある。哲学者のヘーゲルも「矛盾を超えることで進歩は生まれる」と言っているし、その頃の僕とは違い、いつの間にか今の僕は昔と違う認識を獲得して、昔聞いた表現に対して全く真逆の感情を抱くようになったんだろう。
その時の僕は「写真みたいに綺麗」という表現を心底腑抜けな表現だと思った。
例えば美しい花をみて、
造花みたいに綺麗だねとか
美味しそうな食べ物を目の前にして、
食品サンプルみたいに美味しそうだね、
なんてことを言う(思う)だろうか。それは褒め言葉でもなんでもないと考えた。写真はあくまでもにせものであり、実際に見た方が美しいに決まってるし、あくまでもその程度のものなのだと確信していた。その時までは。
話を少し戻す。夕焼けを見た日と同日、真子と出会ったのは御徒町にあるしがない喫茶店だった。彼女は窓の外の信号機を眺めながら本を読んでいた。いや、読んでいたという表現は正しくないかもしれない。どちらかと言えば、周りに本を読んでいると思わせるために読んでいるかのような印象を抱いた。それはまるで、本を読んでいることによって自分は本を読んでいる人に成れるという自己(identity)の付与の意味をもっているかのように。そして彼女は信号が黄色から赤に変わる度に、毎回何故か悲しそうな顔をした。理由は分からない。それは例えば、中学生が国語の小説の文章問題を解く時のように、”登場人物の気持ちとして最も適切なものを選びなさい”と、4択の選択肢が与えられたとしても、きっとその時の僕も今の僕も正しい答えを選ぶことができないだろう。無論、目の前から彼女がいなくなった今となっては、答え合わせもできないのだが。彼女がその時に読んでいた本は江國香織の『東京タワー』だった。僕は未だにその本は読んだことはないものの、彼女がその本について語ってくれた記憶では、大学生位の男女が泥沼な肉体関係に落ちていく小説だったはずだ。僕の本の趣味とは全く異なっていて普段なら嫌悪感を覚えているだろうがその時は全くそんな感情は抱かなかった。むしろ彼女がそのような小説を読んでいる心の奥の心理について深く推測していた。とりあえずその時の僕は彼女が1人本を読んでいる姿に心を強く惹かれたのだ。こんなに心を動かされたのは初めてだった。それはまるで生まれつき色覚異常の人が、初めて本当の色を認識した時のような衝撃であっただろう。だから普段は絶対にしない他人に急に話しかけるという行為を無意識にしてしまったのだ。

「本、お好きなんですか?」
彼女
「ええ、とても。あなたも?」
真子の容姿は決して美しいとはいえない。どちらかと言えば可愛くない部類だ。髪は丁寧にブラッシングしてあるように見えるが、無駄にアクセサリーや香水などはつけていないし、人の目に留まるタイプではなかった。男性から話しかけられる機会もないか若しくは少ないことがうかがえたものの、彼女の応答はやけにこなれていた。
「名前、聞いてもいい?」
「真子。真実の真に子供の子で真子。」
彼女は言い慣れた口調で名前の漢字の説明をした。真面目の真とか真ん中の真ではなく真実の真と答えるところにも、すごく惹かれたのを覚えている。
「あなたはここら辺に住んでるんですか?」
真子は僕の名前を聞こうとはしなかった。聞いてきたのは、ずっとずっと後のことだ。かなりの期間彼女は僕の名前を知らなかった。僕からも名乗らなかったのは言ってはいけない雰囲気を感じたからだ。これは推測だが、名前を聞くことは彼女にとって意味のあることなのかもしれない。名前を聞いたら聞いた側は、その人のことを覚えていなければならないし、いざと言う時に名前を知っていることはあまり良い結果をもたらさない。それは例えば警察がこの人を知っていますかと写真を見せてくる時のように、名前を知っていることはその人との関係性があるということでそれはある意味での責任なのだ。
「ここら辺じゃない。」
彼女が聞きたくないことがあるように僕にも言いたくないことがあった。それは住んでいる場所だった。彼女はそれを察したのかどの辺に住んでいるのかなどの詳しい情報は、追って聞いてはこなかった。話題を変えるように彼女は口を開いた。
「私、本はいつも5冊以上持ち歩くことにしてるの。」
彼女は、小さめのカバンからたくさんの本を机上において僕に見せてくれた。その中にどんな本が入っていたのかを詳細には覚えていないが鮮明に覚えていることはその本の中には、岩波文庫から出版された本が多く含まれていたということだ。本好きならわかると思うが岩波文庫の本は非常に難解で読みにくいものが多数ある。国内外の古典的価値を持つ文学作品や学術書などを幅広く収めており、本好きの僕でさえ嫌煙するほどの代物だ。彼女は、そういった本を読める側の人間だった。彼女は、メンソールの煙草に火をつけこう続けた。
彼女
「気になる本、ある?」

「知らない本ばかりだ。なにかおすすめはある?」
彼女
「全部だよ。」
彼女は、どこか誇らしげにそう答えた。それから好きな音楽だとかお気に入りの場所や時間、服の好みなどを話し合った。何もかも一致するものなんてなかった。でも僕達は、お互いのどこかしらに惹かれあい、その後何度も会うようになり、最終的には僕からの告白で付き合った。付き合うと言っても、一般的な観念から言えばそんな大層なものではなかった。人並みの頻度で会い、人並みに体を重ね、人並みに喧嘩もした。でも、恋人という大層なものじゃなかったように思う。あくまでも事実の話ではなく僕なりの真実から見た感想だが。彼女と会う時の集合場所はいつも決まって喫茶店だった。その方がよく会話をすることが出来てお互いを知ることが出来るからだと彼女は言っていた。彼女と僕はお互いを知ることに丁寧に時間を割いた。それはまるで悪魔や幽霊の証明のような、隅々まで探してもキリのない途方もない活動のように。付き合ってしばらくしたあと、彼女が急に神妙な顔をしてこう言った。
真子
「もし私たちが別れたら、私は耐えることが出来るかな。」

「仮想(フィクション)の話をしよう。もしもたった今、僕が”ここ”にいなくなったら世界は一体どうなると思う?」
真子
「私は辛い。」

「それはそうかもしれない。一つだけ言えるのは良いことも悪いことも何も変わらず世界は回り続けるということだけだ。その波に揉まれて君もいつの日か僕のことを忘れて普通に生活をする。」
真子
「忘れない。」

「それは嬉しいけど、感情は徐々に薄れていくんだ。恋愛も一緒さ。」
「いつの間にか相手が居なくなったり、別れを切り出されて別れることになったとする。こういった類の失恋はウイスキーに似ていると思う。」
真子
「ウイスキー?」

「ああ、ウイスキーだ。テキーラでもイエーガーでも無い。”失恋はウイスキー”。これは暗喩もしくは隠喩(metaphor)であり、直喩(simili)じゃないよ。直喩だったら”失恋はウイスキーのようだ”だからね。」
真子
「本当に比喩表現が好きだね。失恋がウイスキーって、どういうこと?」

「ウイスキー(失恋)には、やってはいけないことが2つあるんだ。1つ目は一気飲みだ。両方一気に処理しようとすると毒なんだ。時間をかけてゆっくり処理していく必要がある。2つ目は捨てることだ。両方価値があるものだからね。なげやりになってこんなものいらないと捨ててしまえば空の瓶が残ってしまうんだ。」
真子は黙って僕の目をしっかりと見つめながら話を聞いていた。

「上手な付き合い方は、戸棚の奥にしまいこんでたまに取りだして飲むか、ハイボールにして薄めて飲んでいくことだ。お酒に耐性がある人とない人がいるように、失恋にも耐性がある人とない人とがいるんだよ。」
真子
「私はお酒は飲める方だけど、そっちには自信が無い。」

「僕は両方苦手だね。いつも戸棚に入れっぱなしさ。だから、ふとした時にすごく辛くなるんだ。ずっと飲めない自分を自覚させられるからね。だから僕はいつも奥の方にしまってるんだ。極力見えないようにね。それは、空の瓶が残ることよりもうんと楽なんだ。」
彼女とこういった話をしたのもこれが最後だったような気がする。無論最後なんて正確に覚えていないし、もう会えないのかも会えるのかも分からないのだが。
出会った日に話を戻す。

「そろそろ日が暮れるよ。」
彼女
「私もそろそろ帰る。駅まで一緒に行こ。」

「そうだね。」
僕らは喫茶店を出て、御徒町の駅まで歩いて向かった。そう、その道中だった。

「真子、夕焼けが見えるよ」
彼女
「写真みたいに綺麗だね。」
写真は、にせもの。現実>にせもの。そう思っていた。でも、彼女と話をした日々。大好きだったふたりの時間。その現実は、今は現実ではなく曖昧な記憶、思い出となり風に乗ってどこかに舞っていってしまった。今僕に残っているのは、機種変更した時にクラウドにアップロードされ、偶然残った彼女と出掛けた場所の数枚の写真と、微かな記憶(にせもの)と消えない小さな痛みだけ。彼女が写っている写真は1枚も残っていなかった。本当にその瞬間が存在したことを証明するには、あまりに心もとない。もう一度言うが別れは思い出せない。写真の引き継ぎも、記憶の引き継ぎも、何かエラーが起きてしまったのか携帯ショップの店員さんも脳外科のお医者さんもそれを元に戻すことは出来なかった。ほかの記憶は、ぼんやりと影を帯びながら僕の脳裏に残ってはいるのに別れの記憶だけがスッポリと抜け落ちているのだ。どこかに置いてきてしまったのか、あるいはそんなもの存在しなかったのか。でも、僕の目の前にもう彼女はいない。それだけが事実として僕に攻撃を仕掛けてくる。事実から身を守る手段はただ1つしかなく、自分なりの真実を持つことである。歌人、劇作家、詩人である寺山修司が「真実の最大の敵は事実である」という言葉を残しているように、事実に対抗する唯一の手段が真実だ。付き合っていた彼女と別れた時に周りからはその事実から、「勿体ない」だの、「災難だね」だの言われるだろう。それに対して、「円満に別れたはずである」とか「彼女は僕のことをまだ好きだ」とかの真実で対抗することが求められる。対抗するに値しない真実の場合は真実を何も無いところから創り出してしまえばいいだけだ。例えば、「彼女のことはもう好きじゃないから別れた」という嘘の真実を創造すれば自分が傷つくのを少しでも抑えることが出来る。事実とは異なっても、僕は振られたんじゃないんだと。
写真はにせもので現実がほんもの。
僕が偽者で彼女が本者だったのかもしれなし、あるいは逆かもしれない。今言えるのは、にせものもほんもの同様に美しいものである、ということだ。造花も花の美しさを永久に保てるならどんなにいいだろうかという思いが想像出来たり、食品サンプルだって食の美味しさを伝える役割を持っているのだ。思い出や写真も美しい。そこに存在しないにせもののはずなのに。人間は記憶を時に改竄(かいざん)したり、何なら忘れたり、都合のいいように解釈をするのに。少なくとも僕は今写真というにせものに心を救われている。彼女の写真は1枚もないが、出掛けた場所の写真を見るとそこにはいない彼女を創造できるからだろう。作られたにせもの(フィクション)が人々の心を動かすように、この小説(にせもの)も誰かの心を動かせるならそんなに嬉しいことは無いだろう。
僕は彼女がいなくなってからとある曲をよく聞くようになった。好きな歌詞は「どうせなら嘘の話をしよう」だ。啜り泣く声と世界で1番小さな海がこの世に誕生し、それも一瞬のうちににせものになった。

おわり

あとがき

この物語は僕の回想から僕語り(僕目線)で話が進んでいきます。彼女の言葉などから事実を読み取ることはできますが、彼女の真実(ホントの気持ちなど)は、描写されていないため分かりません。僕は真子との別れは思い出せないと言っていますが、それも自分を守る真実の1つなのかも知れません。もしかしたらこの物語のタイトルも、、、。そう思うことで僕は今を何とか強く生き抜いていっているとしたら。まだウイスキーの残量は減らせていないで、戸棚にしまいこんでいるでしょうね。
自分なりの解釈でこの物語を読んでみてください。

Heart break is Whiskey.
There are two things we must not do.
First one is chugging. We should drink and deal with it slowly. It takes so long time to heal all wounds.
Second is to get rid of it that you think is a matter of no importance. That’ll leave you with an empty bottle. Both of those things, they’re invaluable. 
We should put the whiskey away in the back of the cupboard or dilute alcohol and drink it a little at a time.

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