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月にマスカラ

 いつ日記をかいたのかもわからない。

 たぶん、平日か、そのあたりだろう。

 金曜日には、何をしたっけと思い起こすと、たしか家族は塾を休み、あとは思い出せない。

 あれ、ぎっくり背中になったんだ、Twitterでかいた。それで思い出せた。

 だから、土曜はひたすら、だらけていた。小説は結構書いていたきがする。

 

 土曜日の遅い時間、決意しスーパーへ買い物にいったり、部屋を整頓したりした。

 レバーと、鳥の心臓をキャベツと炒めて甘辛く味付けしたのを作った。

 料理の合間に、大田ステファニー勧人さんの受賞作を、開きながら文字を目で追う。どんな人なんだろう。彼は。若いし、才能は曼荼羅のように花開いているだろう。きっと、優しくておもしろい人なんだろうな、と勝手に、想像する。

 勝手に想像していると、鳥の心臓に火が通っていくのが、色でわかった。

 なぜ思ったのか、わからないけど、小説を書くために身辺整理をまじでやらないとな!と思い、部屋を少し片づける。 

 お便りやらの整理が、二ヶ月くらい滞っている。

 家計に流れる金の行方も、なんやらわからない。そのひ暮らしというまで自堕落ではないが、まったく、自分の 経済状況がわからない。

 とりあえず、カードで足りないから支払っている。悪循環。

 日曜日、朝から家族は学校のことででかけるため、お弁当をつくる。

 お弁当をつくることは、幸せの一つであるので、時間がないながらも、冷凍の餃子以外は手作りで入れた。
これも毎日なら、大変だろうけど、たまの弁当は親のここぞとばかりの気持ちを弁当にこめるから、うざい、過干渉になってやしないか。少し不安。

 不安なんて感じる必要ないことに、敏感であるのだ。小説を書くために、たくさんのことに注意し、でも忘れたり思い出したり、ただ意識しなくてはならない。言葉と景色と感情をとにかく、記していきたい。

 まにあえば、出かけた方の家族と、映画『月』を見に行くことになっていた。

 少し悩んだけど、強烈なメッセージをどうやって母親の私が受け取ったのか、説明した上で見せることを決断した。賛否あるだろう。でも、残酷な娯楽映画よりも、ずっと子供に見せたいと思った、親のエゴかどうだか、そういう気持ちで見せようと思った。

 映画が始まる十四時十分、の三十分くらい前に帰宅した家族と、ダッシュで出発。

 間に合わないかも。絶対無理だとおもったけど、地下鉄をおりて、狸小路をダッシュした。苦しい。

 汗だくで、なんとか会場に到着。ほっとしたのもつかの間、月の本編がはじまった。

 今度は、ちがう視点で新たな決意をもって、映画に望んだ。原作を読んでいるから、なおさら。覚悟してきたものに、さらに新しい覚悟をしいられる。映画をみるのではなく、わたしが見られているような感覚で、画面と、となりに座る家族の存在をきにしつつ、物語の暗い森を、わたしもさまよう。

 途中で、のどが痛い痛いとゼスチャーされたため、とりあえず終わってから、と手に指文字で書いたけど、定期テストが終わって、部活や授業や塾などできっと疲れていたのだろう。病院にいきたい、と手に書かれたときは、さすがに、映画どころのきもちじゃなくなった。 

 だけど、生きてるから仕方ないね。

 映画に関しては、もう一度整理してから。安易にこうだ、こうだと解釈をあげつらいたくないと言う気持ちもあるので、原作を含めて、熟考してから発信したいなと。

 

 今度は見終えた後に、脱力することもなかった。観光客のおおい、狸小路をふたりであるく。

 しっかり自分の足でたち、ファミマで七海さんのカスクートをひやかしにいったのだ。(本当はもう一人留守留守番家族へのみやげに考えたのだが、思ったよりナナミ様の召し上がるモノは高かった)(398円)(ああ)

 のどが痛くて、しゃべれないので映画の感想を言い合うことはできないまま、三越でシャネルの香水をつけてというので、袖に吹きかけた。ムードのあるにおいになって、大人の女のように変わり果てた家族と、地下鉄にむかう。

 ひとりは、帰宅し、その後、わたしは美容室へ。

 もう髪型のことにかんして、容姿のことにかんして、考えたくないのが本音。できれば、面か何かかぶりたいけどそうもいかないこじらせ系だから、短くしたいけど、おじさんにならないようにしてくださいとオーダーした。

 いつもの担の方ではなく、近所の美容室にいった。予算の関係で。

 雰囲気もよく、感じもよいので、ここに通い換えてもいいかなと迷うけど、やはり担をうらぎれない気持ちがあり、悩む。

 髪をきって、すごく短くなる。どうしよう、技術は確かで、丁寧なカットで、わたしの顔だけが、すてきなカットに似合っていない気がして、きっとそんなことないのだろうけど、とにかく自身がなくなって、どうしよう、どうしよう、と暗い国道のわき道を歩く。

 風がまだ宵の口といったやわらかさで、このままでかけたいな、と思う。

 帰宅。

 演歌歌手だとか、ハリーポッターのほうきの先生だとか、なんだかわたしを家族はディスり、笑いつらい、わたしはおおいに傷ついた。四十歳だって傷つくんだからな。でも、そこまで莫迦にされているわけじゃない。


夜は、ハンチバックの読書会の準備!
たのしみやん。

 おじさんぽくならないように、化粧をちゃんといこうとおもって、今朝朝メイクをちゃんとしたら、学校の前に行った小児科で、「お母さん、茶色いマスカラはあんまりだよ」家族がそう、教えてくれたため、わたしは今日ひたすら傷ついている。



 

 

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