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【詩】イミとかいう魔法

イミ。

これは人間が使える魔法の一つ。
これによって人は単なる線のつながりを文字と認識し、文字をつなげて文章へと変化させる。文章を読むことで人は何かを理解し、時に感動し、時に救われ、時に涙する。
これが魔法でなくてなんであろうか。
しかも、驚くことに多くの人類はこの魔法を、さも当たり前に使う。
呪文すら唱えることもせずに。
でも、だからだろうか。
呪文を唱えていた頃はまだ自分たちが魔法を使っているのだと、そう思っていたに違いない。
けれども、時が経ち、魔法は当たり前になりすぎた。
すると、人は不思議なことに悩むようになる。

自分の意味とはなんであるか。
人生の意味とはなんであるか。
生きる意味とはなんであるか。

何もないところに何かを出現させる、そういう魔法を使いすぎたために人は最も身近なことがわからなくなる。
魔法に頼りすぎるのも考えものだ。
さて。今一度、魔法に頼らずにこの難題に立ち向かってみようか。
それはまるで虫取り網も虫かごも捨てて、どこにいるかも分からない蝶を追いかけにいく少年のように。
それはまるで見たことも聞いたこともない、だがしかし、確実に存在する白馬の王子様を待つ少女のように。
この冒険には、いささか子ども心が不可欠だ。
純粋という名で言い表すには、純粋すぎるくらいの純粋さが必要なのかもしれない。
旅支度をしたカバンのどこを探しても、そんなものは入っていやしない。
冒険という旅をしているうちにひょいと顔を出すかもしれない。
みすぼらしい鏡の前に立つ額に傷を負った青年の時のように。

魔法に頼らずに旅に出た時、人は何を見るだろうか。
その世界は全てが死んでいるだろうか。
それとも全てが息を吹き返すだろうか。
その二つの景色が見えた時、人は魔法について知るだろう。
魔法には良い使い方も、悪い使い方もある。
魔法は全てのものに生命を与え、次の瞬間には、それは檻に閉じ込められる。
人は自らに魔法をかけようとする。
上手く魔法はかかり、命は生命を与えられ、檻の中に閉じ込められる。
魔法を使うのには注意が必要だ。
否、注意しても無駄かもしれない。
必要なのは覚悟かもしれない。
否、覚悟なんて甘いものでもいけないのか。
憂いが必要、というか、常に憂いが伴うのかもしれない。
我々は魔法を使いこなせるように成長していく。
今、冒険に出てそのことを真に理解できたのであれば、憂うことである。
己が魔法を使う魔人であることを憂うことである。
その憂いがあれば、あるいは、逃れられるかもしれない。
見えない世界に閉じ込められ、それに気づかずに逝かされることから。

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