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戦略的モラトリアム【大学生活編】(44)
激流!疾走!そして光陰矢の如し。
指導教官のいない教育実習は本当にVHSの早送りのように一瞬で過ぎ去っていった。
部活も研修講話も会議も、そして授業も疾風怒濤の如く過ぎ去っていった。
最後の研究授業も終え、教職員との食事会。
すでに出来上がっている英語の先生。半分泥酔状態だ。
自分はお酒が飲めないので、食事を頂きながら、ある先生からのヒトコト
「君は社会人になるときには何事もズバッと言ってしまうことがるから、うまくやれるか心配だ。俺らが見ないところまで見てしまう。」
あーぁ、薄々わかっていた社会性のなさを勘づかれてしまったのだろう。
「そうですよね」
苦笑いしながら、その忠告に返答すると、その場の空気を乱さないように、愛想笑いを振りまいた。しかし、そんな無理が長続きするわけもなく……
他の教育実習生が話しているのを黙って聞いていた。
しかし、先ほどの忠告
気になるヒトコト
「オレらが見ないものところまで見えてしまう」
これってどういうことなんだろう。
「オレらが見ないもの」
教員が見ないようにしているものって、何だ?
自分の教育実習で、何をしていたのか思い返しても何も心当たりがない。
もちろん「それは何ですか」なんて聞くことはできない。
自分でどんなに思いを巡らせても、何もなかった。敢えて言うなら、指導教官が病休で担任モドキをしていただけだ。
最終日は指導教官も来たが、そんなに不始末はやらかしていない。
見よう見まねで学校生活をプロデュースした。
数週間は何とかそれをこなしていただけ。
ただ、自己紹介のときに「不登校でした」「高校も辞めました」ということを堂々と言ってのけた。恥ずかしがることではないし、他の大学生よりもほんの少し経験豊富なだけ。感覚がおかしいのか「高校中退」について、あえて隠すことはしなかった。もちろん教員の中には『異物』として自分を見る目があったのは間違いない。だが、そんなものを気にするほど20年以上の人生を重ねてはいないのだ。元不登校として、そんな周囲の目は何とも感じない図太い心は錬成している。
もしそれが「見ないもの」なら、勝手にやってろ
きっとその堂々とした態度が、彼らの一部の人の癇に障ったのだろう。
不登校は見ないようにしているとでも言うのか。
不登校は恥ずかしいことで、悪いこと。
教員の中ではそういうことなんだろ?
今も昔も変わらない。反吐が出るほどの考え方だ。いかにも公務員的な、いや、教員的なモノの考え方だ。
この県では教員一家の子供が教員になる割合はとても高い。自分のような「異物」は本来入り込む余地はないのだ。
それだから、忠告なのか。
そう考えていると、気分がどんどん沈んでくる。
あーぁ、この業界とはホントに縁がないよね。
次の日になると、また自分の顔つきが大学生に戻っている。もちろん考え方もモラトリアム人間に。
そして、導かれるように大学へ帰っていった。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》