戦略的モラトリアム㉑

その日から自分の生活は活気を徐々に帯びていった。専門学校に行き、その後、寮に帰って入試勉強。夜になると、警備の夜勤で都内中を飛び回った。土曜は勉強とバイト。日曜は基本休日だが、模試のある日は、朝早く電車に乗って都内に向かう。そんな生活は僕にとって、とっても肉体的にきついものだったけど、その間、たくさんの色を手に入れたって実感できたし、何よりその生活が楽しかった。
この生活はこれからしばらく続いていくことになるだろう。無念にも自分で止めた振り子をまた振るために、僕は無様にまたもがき始めのである。

振り子をまた振ることできるだろうか。

きっと、まだ止まるべくして止まっていなんだ。そう信じたかった。

自分の人生に本気になってる自分ってなんて楽しいんだろう。
 全国模試当日。久しぶりに感じるこの緊張感にびりびりと抵抗しながら、日曜のガラガラ電車に乗る。専門学校も日曜は休みだし、僕は寮を朝早く、そっと抜け出して、都内に向かったのである。
 試験場に着くと、懐かしい光景。ギラギラに光った目線を持った連中とその中にチラホラいるモラトリアム人間らしき奴。そいつらもギラギラとした目線を持っていた。僕はその中にちょっとした後ろめたさも感じながら、入っていった。とても心地のよい空間だったと思う。

 やがて試験が始まり、僕はこいつらと一緒の土俵に立っていた。

カリカリ……

カリカリ……

 「やめてください。試験終了です。お疲れ様でした。」
 どっちらけの試験後、僕は夕焼けに映える鉛筆の鉛筆になっていたんだ。僕らは都会のビル群に隠れていくあの太陽に薪としてくべられ、夕焼けは赤みを増し、僕らの熱情を奪いながら燃え盛っていた。行き交う渋滞の車のボンネットに映る太陽に僕らは自分の一部を感じずにはいられなかったんだ。
 
 帰りの電車の中、僕はこの状態が妙に心の閉塞感を除去してくれたように感じていたんだ。予備校のような隙間産業に僕っていう存在が飲まれてしまったのか?いや、そうではない。彼らにやられちまったんだから。予備校生っていうギラギラに。
 彼らのパワーってとても強力で、分厚い扉に鍵までかけた僕の心の根っこをとうとう開放してしまったらしいんだ。その時、何となく(?)始めたきっかけが、僕の中で一つの強い決意としてより確固に固まりつつあったんだ。
 
その日の夜、僕の微熱は僕の将来に対する冷感をチンしていた。ほっかほっかの心はそれから長続きはしなかったが、その残像が毎日の単調さの中で際立って僕を刺激していた。

二〇〇〇年 六月 下旬  場所 都内にある専門学校 天気 ピーカン
精神状態 いっぱい、いっぱい

「おい、具合でも悪いのか?」
先生の声ではっとした。僕はどうやら講義中にペンを持ったまま眠ってしまったらしい。しかも、起こされるまで気づかなかった。
「あっ。平気です。すいません。」
「今年の夏は暑いからな。みんなも気をつけろよ。」
どうやら何とかやり過ごせたようだ。最近は夜勤が多くて、徹夜になる日も結構多かった。しかも、一日おきの仕事にしているのだが、忙しいらしく毎日入る形になってきている。稼げるから文句はないが、勉強に支障が出るようなら考えねばなるまい。
とにかく今日は仕事もないし、部屋でゆっくり休もう。

「帰りに飯でもどう?」
帰りがけに声をかけてきた同じ科の男。僕とは比較的仲がいい。同い年だし、地方出身者。それなりにものの見方も合っていた。
「別にいいよ。じゃあ、途中で電車降りて、都会散策でもするか。」
「いいね(笑)。」
僕らは結構意気投合していたが、一年前の予備校のそれとは明らかに違っていた。僕は始めから彼と自然に話していたし、へんな警戒もしてなかった。それは彼自身がモラトリアム人間であるということに僕が気づいてしまっていたからである。それゆえ、気も合ったし、意気投合できたってわけだ。

都内のレストランに入った僕らはお互い気をつかって、禁煙席についた。とっさに話を切り出した彼。
「最近どうよ?」
許容範囲が広すぎる質問。答えに戸惑った僕は
「まあ、それなりかな。」
「疲れてる?」
「バイトがきつくってさ。」
「でも稼げるんだろ?」
「まあまあ。」
「何に使うんだよ、そんなに稼いでさ。寮の奴も心配してるぞ。深夜に出て行って朝帰ってくるってさ。」
「まあ、そういう仕事だから仕方ないじゃん。」
「先生も心配してたからさ。ほら、今だって目の下。」
手鏡を出した彼。そこにはパンダ。
「隈ができるほどやるバイトって、一体何よ?」

「……。」

こいつになら言ってもいいか。そんな一瞬の気の緩みから僕は言葉を発した。誰にも言わないってことを念押しして……。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》