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№1 親しくならない選択肢

以前の職場に、素敵な人がいた。
優秀さ、思いやり、容姿の良さなど持っていたけれど、私は最初親しくなりたいと思えなかった。
それは私の卑屈ゆえ。輝いてる(と自分が見做す)人におびえてしまう。その頃の私は親しくなるために何か資格のようなものを持っていないと恥をかくような気がしていた。同じ勤勉さ、気配り、何かすごくて人に一目置かれるもの…そんな気分が詩になった。

今なら、丸裸(と自分で思い込んでいる)の自分が相手とかかわることで何が起こるのか、それを感じてみたらよかったと思う。それが大人になってからの人生のおもしろさなんだと感じることがしばしばある。
すごいと思えばすごいと素直に感じればいい。でも、相手に自分の感想を伝えてばかりいても仕方ない。コミュニケーションは、評価合戦ではないわけで、世間話と呼ばれるものをすればいいんだと今わかる。
その人の優秀さ、思いやりはその人の人生のためであって向かい合う自分のためにあるものではなく、同じように私の私らしさも私の人生のためにあるのだと。そしてお互いの人生が交差するまではそれほど出番はない。

そもそも職場では誰かと必要以上に親しくなる義務はなく、仕事でつながれば十分なのだ。
そして私は社会人何年目かにして、学生気分を卒業して、気分だけは少し楽に働けるようになった。



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