戸原 多津子 2

戸原多津子の名で投稿している詩について、追って文章をつけています。解説、説明もしくは言…

戸原 多津子 2

戸原多津子の名で投稿している詩について、追って文章をつけています。解説、説明もしくは言い訳?その時思っていたことを書いていきます。

最近の記事

№8 出会いは貼ってはがせる付箋

人と出会うことを極端にとらえていた過去の私は、ドラマチックな出会い以外をどう思っていたのだろう。 しかも、ドラマチックな出会いなどまずなかった。ただロジックとして出会いがある、ではなく出会いとなった、などいろいろこじつけ方はあったかもしれない。 私は今、付箋をイメージしている。出会いは、はがしてもいいのだ。はがした後は、捨てる人もいるかもしれないし箱に放り込んでいる人もいるだろう。大切だと思う出会いなら、しばらく貼ったままにしておけばいいのだと思っている。   基本、人生とい

    • №7 ほっといては「離れてて」

      「寄り添う」という言葉は胡散臭い。 長い間、そう思っていた。 今ならわかるが、親が子に対して寄り添うのと、他人が他人に寄り添うことは違うのだ。 親はちょっと過剰になるときもあるし、親子という関係性が「寄り添う」を良くも悪くも保証してくれる。 他人が自分に対して寄り添ってくれるということ、それは時間という貴重なものを自分と一緒に使ってくれるということだと私は思っている。 ただ時間を切って渡してくれるのではなくて、相手の時間の流れの中にときどき私を招き入れて、一緒に流れてくれる

      • №6 外の人、という感覚

        人生が旅に例えられることはよくある。 「世界」の中を旅している。 目的や、目的地がなくても旅はできるけれど、「世界」を求めて旅をすることはできないはずで、もし自分が「世界」を求めて旅をしているのならそれは蜃気楼のようにいつまでもたどりつけないのではないのかとふと思う。 すでに世界の中に自分は存在していて、視線をもっと自分の胸元にもってきていいのだと理解した私は、自分の履物が汚れていることや、手に小銭を握っていることや、口が何かを歌っているといった自分の様子にようやく気付いた感

        • №5 なるようになるさという不思議

          「不思議に思う」という言い方には (私は普通で、多分世間でいう常識というものを持ち合わせ、それほどおかしな生活もしていないが) という前提があるように感じ、人との会話の中で 「不思議~」と相槌を打つのもまずは私がまあまあまともであることが必要だと心の奥で思っていたような気がする。 小さいころから「不思議~」と思うよりは 「どうすれば?」と常に考える生活だったように思う。 それはわかりやすく例えて言えば 家庭が貧困の状態にあり、空腹が満たされることがなかなかなかった。 空腹

        №8 出会いは貼ってはがせる付箋

          №4 迂回路という正しい道

          ちょっとほかの詩とは雰囲気が違うものになってしまっているのですが、 人生で問題ごとが起こったときは、状況を出口のないトンネルに例えることはよくあるなと思って… そしてそのトンネルを出るためにのんびり歩く人はなかなかいなくて、何とか無傷で、若しくは傷を負っても最速で、とかとにかく必死に懸命に、集中力を研ぎらせないように暗い中走っているのではないでしょうか。 そんなことを思っていたことがスマホのメモに残っていて、詩になりました。 私は思いついたことをスマホのメモ機能に残しています

          №4 迂回路という正しい道

          №3 秘密にすることの効果

          いつも心から離れない心配事がある。 でも、今日は嬉しい出来事もあった。 そんな気持ちを詩にしました。 心配事を抱えながらの生活に、うれしいことがあっても「これを心から喜べない…」と残念に思っていました。 ひっそりと公園のベンチに腰掛け、心配事は足元に一旦おいて、てのひらに嬉しかったことを載せてそれだけを見る。 私の編み出した方法は、うれしかったことを誰とも共有しないことです。 誰も私のうれしさを奪ったりしないはずなのに、不思議ですね。

          №3 秘密にすることの効果

          №2 本当の自分は映るだけ

          さて人生の途中、私は書籍の形でHSPと出会いました。 ええ…私のことだ…なんでこんなにわかってしまうのか… その本を何度も読み返し、ある意味ほっとした気持ちになっていました。 ちょうどそのころ人間関係のトラブルが身近に起こっていて、悩んでしまう自分の感情を確かにその本が癒してくれたのです。 でも問題の本質は「そのトラブルは自分のせいだ」という考えを持ってしまうことだったのです。 自分のせいでこのトラブルが起こっているのならば自分が変わるか、謝罪するかしなければ解決しない…

          №2 本当の自分は映るだけ

          №1 親しくならない選択肢

          以前の職場に、素敵な人がいた。 優秀さ、思いやり、容姿の良さなど持っていたけれど、私は最初親しくなりたいと思えなかった。 それは私の卑屈ゆえ。輝いてる(と自分が見做す)人におびえてしまう。その頃の私は親しくなるために何か資格のようなものを持っていないと恥をかくような気がしていた。同じ勤勉さ、気配り、何かすごくて人に一目置かれるもの…そんな気分が詩になった。 今なら、丸裸(と自分で思い込んでいる)の自分が相手とかかわることで何が起こるのか、それを感じてみたらよかったと思う。そ

          №1 親しくならない選択肢

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          おとずれてくださり、ありがとうございます。 このアカウントでは、別に設定して詩を投稿している「戸原多津子」アカウントに対して、その詩を書いたとき考えていたこと、書いた理由、言い訳、解説…などを自由に投稿していきたいと思います。 個人情報などが特定されないように少し気を使っているので、いったいどういう人?のような疑問や不安定さを感じられるかもしれませんが、もしかするとぼんやり戸原多津子が見えてくるかもしれません。 この文章を書くこと自体に大きな目的はありません。よって、効果(影

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