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№2 本当の自分は映るだけ

さて人生の途中、私は書籍の形でHSPと出会いました。
ええ…私のことだ…なんでこんなにわかってしまうのか…
その本を何度も読み返し、ある意味ほっとした気持ちになっていました。
ちょうどそのころ人間関係のトラブルが身近に起こっていて、悩んでしまう自分の感情を確かにその本が癒してくれたのです。

でも問題の本質は「そのトラブルは自分のせいだ」という考えを持ってしまうことだったのです。

自分のせいでこのトラブルが起こっているのならば自分が変わるか、謝罪するかしなければ解決しない…という変な理屈と、客観的に見ていやどう考えてもAさんとBさんがもめていて、自分は同じコミュニティにいるだけでまさに当事者!ではないのに何でトラブルを抱えているとそもそも考えるのか?という私の中のまともな部分が戦っていました。

その後さらに、自分の気質がHSPかはどうでもいいのだというくらいのことが人生に起こり、
アダルトチルドレン
ヤングケアラー
カサンドラ
などの言葉が自分の歴史にラベリングされていることにようやく気づき、それによる認知のゆがみと向き合う日々を送ることになりました。自分のことってこんなにもわからないもんなんだと、今までの生き方を恐ろしく感じたのを覚えています。

虐待 という人間のふるまい。

かなり耐えられました。かなり完璧に隠し通せました。
そして、耐えられ、隠せたから、それはなかったことになっていきました。
記憶の中に鮮明に残っても。
自分の身にそのようなことが起こっていることを何とかして解決したかったのですが、いつしかあきらめという思考が生まれ、虐待をやめてほしいという気持ちより、

安全地帯に逃れたい

という気持ちが強くなり、虐待について決着をつけず安全地帯もどきをさまようことになったのです。

そして何年もたって後、ようやく自分に課していた厳しい生き方を支える考えをゆるめ、ものすごくぜいたくで自分勝手に感じる
「自分の感情を認め、大切にする」
という生き方があることを納得しました。
でも、納得したからと言ってその生き方にシフトすることはまた、何らかの訓練を要するものです。

そのことを詩にしました。
勿論、新しい考えに基づく生活が自分を幸せな気持ちにするとわかっていても、もしそうできなくてもいいんだよって自分を許したい。人生ずっと必死って、大変だと思ったのです。








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