究極のシェアハピ文化を持つメキシコに恋した理由
小娘とジョブズが旅に出て150日が経過した。
というのに、私たち二人はまだ4ヶ国目のメキシコにいる。なぜこんなにも長く、私たちはメキシコから脱出出来ずにいるのだろうか。
今回はその理由をまとめてみた。
独り占めなんて幸せじゃない
私たちは3ヶ国目のアメリカから、カウチサーフィンというアプリを利用している。
カウチサーフィンとは、
やはり出費を抑えるために、私たちもなんとなく使い始めたのだが、最初はタダで人のお家に泊まるという環境に、不思議な感覚を覚え、どうホストと関係性を築けばいいのか、本当にわからなかった。
私たちとしても、無料だからといって、搾取(いいとこ取り)みたいな形になってしまうのは嫌で、何か私たちからも提供できることはないかと色々と考えた。
その結果、今の時点の私たちにできることは2つあると結論づけた。
日本の料理を提供する。
お話をたくさんする。(日本や海外で感じた文化の違いを共有する。)
この1を実行する時に、メキシコ人のシェアハピ文化を痛感するのである。
今までメキシコで約10回ほどホストのお宅に泊めさせてもらっているのだが、必ず毎回と言っていいほど、「日本の料理を作りたいと思っているんだけどアレルギーや食事制限とかはある?」と聞くと、
「ないけど、お友達よんでもいいかな?」
必ずこの返答が返ってくる。
「日本食を作ります」という言葉を発した時点で、新しいお友達が3.4人は増えることが毎回確定するのだ。私たちもお友達が増えるのは本当に嬉しいし、みんなに日本食味わってほしい。毎回とてもドキドキするけどみんないつも完食してくれる。いつか日本のカレーを作った時は、余ったカレーをお皿に盛って、ご近所さんへお裾分けしにいった、優しいママも。
毎回滞在中はそんなこんなでプチパーティーが行われるのだ。メキシコ人がパーティー好きなのも、これが理由なのかもしれない。
独り占めしたってハッピーになんかなれない。
幸せは分かち合ってはじめて本物になる。
メキシコ人のこのメンタリティは、競争ばかりしてきた日本人の私には心に刺さって抜けなかった。
OPEN THE DOOR
私たちがホストとお別れをする時に必ず言われる言葉がある。
Mi casa es tu casa
私のお家はあなたのお家
どうしてこんなにもみんな優しく、ウェルカムしてくれるのか。
その答えを教えてくれたのはあるカウチサーフィンのホストだった。彼は小娘よりも1つ歳下の達観した考えを持つ、シェフ。彼はつい最近アメリカから地元に戻ってきた。
メキシコ人は“より良い人生”を求めて、アメリカに渡る人がたくさんいると彼は語った。彼もその1人だったと。だが、アメリカでの生活は、彼の思い描く“より良い人生”ではなかったんだそうだ。
どうしてメキシコ人がこんなにもオープンマインドで、見知らぬ人へ心のドアを開けてくれると思う?
彼はこう語った。
「もともとほとんどのメキシコ人はとても貧しい環境で育っている。みんな、どれだけ貧しい環境で生きることが大変かを、ちゃんと知っている。だからこそ、困っている人を見かけたら助けるし、あなたたちのような旅人を見かければ、力になりたいと思うんだよ。」
「ただこの考えはあまり賢くないし、vulnerable(傷つきやすい)だよね。どんな人かわからない人を自分のテリトリーに入れることは、どんな時代もどんな国でもタブー。だけど、そのリスクを負ってまで、人を助けるのは、やはり過去の厳しい環境での生活を知っているから。他の人にそんな経験をしてほしくないから、私たちメキシコ人は、誰にでもドアを開くんだよ。」
彼は、カッコつけるでもなく、誇らしげな顔をするでもなく、静かにそう語ったのだった。
大切なのはカンパニー
メキシコ人にとってカンパニー(仲間・友情)はとても大きい意味となる。
ディズニーの作品「リメンバー・ミー」を見ても、実際に現地の方からお話を聞いても、そこにはメキシコ人たちの愛情深さが溢れていた。
「リメンバー・ミー」で描かれている、死者の日という行事。日本で言うお盆のような存在。
オフレンダと呼ばれる祭壇に、ご先祖様の写真を飾り、亡くなった人たちを迎えるんだそう。ホストに話を聞くと、あの映画はメキシコの文化に忠実で、大好きな映画だと言う。
あるホストは死者の日ではなく、お葬式についても説明してくれた。日本では、知人が亡くなると「喪に服す」という表現があるように、悲しみを共有するというのが一般的だ。
しかし、メキシコでは真逆。
これまたパーティーを行うんだそうだ。パーティーの参列者は最低でも300人。参列者はお家に招かれ、ホストであるご家族は特別な料理(行事料理)を提供する。そして音楽を流したり、ダンスをしたり、亡くなった方の過去の話をしたり…
あくまでの亡くなった方のこれまでの人生を讃える儀式なんだそうだ。だから喪に服すような静かで悲しみに溢れる式ではなく、その人の人生を讃えるような、ハッピーで楽しい式である必要がある。
自分が亡くなった時に参列してくれる人が数人だけしかいないというのは、本当に悲しいこと。大勢の人たちに囲まれて楽しく過ごせる最後の時間なんだそうだ。
大切なのは友人やお世話になった多くの人々が周りにいると言うこと。その人の人生が幸せだったかどうかは、どれだけ多くの人とシェアハピをしてきたかということなんだ。
最後に、あるホスト(ケレタロで私たちを迎え入れてくれたジョブズと同い年の女の子)は、私たちにこんな言葉を送ってくれた。
Un viaje se mide mejor en amigos
que en Kilometros.
A travel is better measured in friends
than in kilometers.
旅は進んだ距離ではなく、
道中に出逢った友達の多さで測るべきだ。
ここでもやっぱりアミーゴ・アミーガ(友達)にいかに囲まれたが大切なんだと、またメキシコのメンタリティを感じたのだった。
そんな大好きなメキシコでの生活を一日一日大切にしていきたい。
写真はグアナファトでの一枚📷
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