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旅は映画のように―タイ北部編 その4


 DAY6 チェンマイからドイ・インタノン国立公園へ

 5時前に起床。ユーチューブを見ながら、3日目と同じ、30分超えの長めのヨガをする。前日にホテルでカットしてもらい、冷蔵庫に入れていた、マンゴーで朝食。あとは、ミニトマトをいくつか食べる。 

 再度眠くなって来るが、ここで寝てしまうと、寝坊してしまう気がして、我慢する。

 7時10〜45分にホテルに迎えに来るとのことだったが、7時5分にフロントから電話が来る。少し待って欲しいといって、ロビーに下りると、バスは既に他のお客さんのピックアップに向かったのか、その姿はない。しばらくロビーで待つことに。

 すると、スタッフオンリーと表示されたドアの隙間から、猫がひらりと現れる。何とスタッフルームで猫の親子を飼っているらしい。2匹の子猫の姿もある。日本では考えられないけれど。翌日の深夜便で立つまでの時間つぶしは、猫と遊ぶ、で決まりかな、と思う。

 お迎えの車が来て乗り込むと、中国人らしき3人の中年の女性が既に乗っている。後にいくつかホテルを回り、ポーランド人の若い女性2人、インド人の中年女性1人、アルゼンチン人の中年男性1人、ポーランド出身でスイスに住む女性とその娘が乗り込む。

 ポーランド人女性3人を見て、あ、アンジェイ・ワイダの国の人だなと思う。ただ、ポーランド出身の女性は、母国の女性と旅先で
会えたのが嬉しいらしく、若い2人とのおしゃべりに夢中で、話す機会はほとんどなかった。

アンジェイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』(1958)

 滝に寄って写真を撮り、ドイ・インタノン国立公園へ。

 2時間ぐらいトレッキングがあるというのに惹かれて参加したのだが、それほどすばらしい景色が見られるという訳ではない。ガイドに加えて、カレン族の女性も一緒に歩く。
 
 唯一よかったのは、コーヒーの花が見られたこと。エチオピアのコーヒーが好きで、いつか産地でコーヒーの花が咲くのを見たいと思っていたけれど、実現は難しい気がしていた。それが期待していなかった場所で見られたのだから。

コーヒーの花

 カレン族のコーヒーファームに寄り、コーヒー、カスカラティー、ハーブティー、バタフライピーの入ったお茶を飲み比べる。

 タイのコーヒーと言えば、府中市の珈琲焙煎舎というお店のことを思い出す。若い女性が一人で、手網焙煎したコーヒー豆を売っているのだけれど、扱っているのがタイの豆だった。こういう山岳部の少数民族が作っている豆なんだろうな。

 そして、待ちに待った昼ご飯。ツアーで人数が多いので、炒め物、オムレツ、チキン、海藻入りの野菜スープと品数が多い。今回の旅で一番バリエーション豊かな食事。隣のグループは、スープには全く手をつけていない。食べないか聞いてから、スープをもりもり食べる。野菜不足を一気に解消する勢いで食べた。

 隣に座ったアルゼンチン人の男性は、ヒマラヤに挑戦した、勇敢な日本人女性の話をしてくれた。田部井淳子さんのことかなあ。ラグビーをやっていた方で、ラグビーワールドカップのときに、試合を見に日本に来たこともあると言っていた。

 シンガポールから来た3人組の女性は、高校のクラスメートだという。1年だけ、同じクラスだったというだけで、卒業して30年以上経っても、一緒に旅行するなんて、仲がいいんだなあ、と驚く。クラスメートとラインのグループを作っているらしく、食べながらもその様子を実況中継したりしている。旅行を企画しても皆が行ける訳ではないので、行ったメンバーで写真などを送って、行けなかったクラスメートを羨ましがらせるのだという。

 私なんて、高校時代の同級生でやり取りが続いている人はいないのだから、大違いである。
 
 さて、期待した最高地点だが、看板が立っているだけで、展望がある訳ではなく、肩すかしを食らった感じ。

一応、記念撮影

 帰りに、王と王妃のパゴダに寄る。マリーゴールドなんかが咲いていて、人工的ではあるけれど、まあ、キレイ。

 大気汚染のせいか、遠くまでは見えないけれど、山並みも見えた。

 帰りに立ち寄ったローカルマーケットで、いちごを買ってその場で食べ、さらに干したマンゴーを買い、帰りの車内で食べながら帰って来ましたとさ。

 翌日、何をするかを考えたとき、象を見に行きたいけれど、自力でエレファントキャンプを往復する、というプランに食指が動かない。一番近いエレファントキャンプに行っても、入場料にはえさやりしか含まれておらず、往復の交通費と入場料で3000円弱かかる。プラスの料金を払えば何ができるのかも、ホームページには記載がなく、よくわからない。

 そこで、ホテルでエレファントキャンプに行くツアーを教えてもらう。安いものだと、4000円強である。詳しい内容を知りたいが、ツアーの担当者は5時までの勤務なのでおらず、フロントの人から、アプリを使って自分で連絡を取るようにいわれる。それは難しいので、テクテク歩いて、旅行社探し。ホテルと同じ値段で、同じエレファントキャンプに行くツアーをやっているお店で、申し込みをする。象の水浴びのお手伝いや、食事も込みだというので、即決。担当してくれた、きれいにお化粧して、サラサラのロングヘアをなびかせているお姉さんは、元お兄さんのような気がする。

 ツアー申し込みで現金を使ってしまったため、換金しようと、またまたテクテク歩いていると、電話が入る。さっきのお姉さんからだ。午前中のツアーに申し込んだのだが、人数が多いので、午後のツアーに回ってもらえないかという。了解して、電話を切る。換金は近くのお店を何軒か見て、一番レートのよいお店に戻って来ると、まさかの店じまい。まだお店に人はいるので、ガラス戸を叩くも、開けてはもらえず。翌日、換金するまで、ほぼ文無しになることが決定する。

DAY7  

午前 チェンマイ市内の寺院巡りと、マッサージ


 朝起きて、10分ほどヨガをやり、6時に間に合うように、ホテルから一番近い寺である、ワット・プラ・シンへ。托鉢する僧侶の数が多いのは、日曜だそうで、今日は日曜ではないからダメかもしれないけれど、托鉢を目にするわずかな可能性に賭けてみることに。しかし、待てど暮らせどそれらしい姿は見られない。帰ろうとすると、朝ご飯の屋台が出ていて、手持ちのわずかの現金でも買えることが判明。こうして、120円ぐらいで、ご飯にオムレツを乗せた朝食にありつくことができた。早起きは三文の徳とはこのことか、と納得。

 ついでに、一昨日、マーケットで買った、桑の実も食べる。足が早いので、かなり傷んでしまっていたけれど。

 宿から歩いて、七大寺院でまだ見ていないものを見学し、換金ショップが開いたら換金し、さらに銀の寺院ワット・シースパンを   見て、マッサージを受けてホテルに帰って来ることが、午前中のミッション。

 ホテルからワット・クータオまでテクテク歩く途中で、通りかかった寺院たち。

 ワット・クー・タオまで30分弱を歩くだけで、鼻がツンとして、喉が痛くなって来る。さすが大気汚染度数が世界ランキング上位だけのことはある。

ワット・クー・タオ

 ワット・クー・タオ近辺は、どうやら文教地区らしく、タイの早稲田と遭遇する。早稲田は、海外展開もしていたのか、商売熱心だなあ、と感心する。

タイの早稲田

 と、今度は私立の中高らしきものの横を通りかかる。学校を取り囲む塀が全て在校生の写真で埋め尽くされている。学校の宣伝を兼ねているのだろうが、日本では考えられないことだ。タイでは、生徒の肖像権が、それほど主張されていないのだろう。

気に入った女生徒や、
男子生徒の写真をパシャリ。

 この後、塀に囲まれた旧市街に戻り、ワット・チェン・マンを見学していると、初老の日本人男性から声をかけられる。私が『地球の歩き方』を手に持っていたから、日本人だとわかったのだろう。
 大分県から来た、元警察官の方で、定年後、ベトナムのハノイで日本語教師をしたこともあるという。警察官として働きながら、日本語教師の資格を取るための勉強をしたそうである。やる気のある方というのは、おられるものである。この暑い中を、歩いて街歩きをされるというので、気をつけてくださいと言って、お別れする。
 
 さて、もう両替所も開いているはずだと、またもやスーパーリッチに行き、両替。一万円両替だと多い気がしたけれど、細かいのは三千円しかなく、これでは足りない気がする。パーツが余ったら、空港で両替することにして、一万円換金。

 現金を手にしたし、暑いしで、2キロ弱離れた銀の寺院ワット・シースパンまで、またボルトというアプリでバイクタクシーを呼ぶ。

ワット・シースパン

 ワット・シースパンは、全て銀でできているという点で、他の寺院と異なる、独自性があった。が、本堂内は、女性は立ち入り禁止。女性だからといって、入場料が割引された訳でもないのに。今どきこんな寺院があることに驚いた。『地球の歩き方』には本堂内の写真が載っていたけれど、これは男性カメラマンが撮ったということなんでしょう。
 
 さあ、これで見学はおしまいで、後はホテル近くの寺院の中でやっているマッサージ屋に行くだけ。こちらは、ネット検索して、日本人もチェンマイで最安のマッサージ屋さんとして紹介していたお店。
 マッサージ屋さんに着くと、横になってマッサージしてもらえるのに、ナイトマーケットよりもさらに安いだけあって、午前中だというのに、満員御礼。屋外でならすぐできると言われるけれど、それだと暑いので、屋内のスペースが空くまで、少し待つことに。お店にいたネコちゃんと遊ぶ。

マッサージ屋さんの待機用の椅子でぐっすり
暑いからか、午前中からウトウト

 マッサージは1時間コースでお願いする。日本円で500円ちょっと。ちゃんと着替えが用意されていて、狭い着替えスペースでタイパンツに履き替えて、マッサージしてもらう。マッサージ師のお母さんは、部屋の天井近くに張り巡らしてある、銀色の鉄棒のようなものをつかんだ状態で、私の体を踏み踏みしてくれた。足ばかりだったナイトマーケットと違い、全身をマッサージしてもらえて、全身の血行がよくなった感じ。体が凝っているせいで、ときどき痛かったけれど、全体として上手で、また来たくなるマッサージだった。

 マッサージ後、ホテルにとんぼ帰りし、大急ぎでシャワーを浴び、荷物をまとめて、チェックアウト。12時までにチェックアウトというタイムリミットに何とか間に合う。大きな荷物は、夜にホテルに戻って来るまで預かってもらうことにする。
 
 昨日の旅行社の、元お兄さんっぽいお姉さんが、既にフロントの近くでスタンバっている。お姉さんにホテル内で写真を撮って来ることを告げて、その場を離れる。

暑いので、こんなものを飲みました。飲みかけですみません。 

 宿泊したホテルは、一般客用と、高級なお客様用の二つの入口があり、エリアもわかれている。下の写真は、高級なお客様用のエリア。す、すごい、リゾート感に溢れている。

 しかも、こちらのエリアにはピカピカのレンタルサイクルもたくさん置いてある。昨日、一般客用のフロントでレンタルサイクルのことを聞いたら、ないと言われたのだが、あるじゃあないか〜。それも誰も借りてないやつが、こんなにたくさん。一般客には貸し出すなということなのか、ケチくせえなあ、と思うが、まあ、もう乗る必要もないし、いいや。

午後 エレファント・キャンプヘ

 ホテル内の写真撮影を終えたら、いい塩梅にツアーのお迎えが来る。ちょっと大きいタクシーといったところで、お腹の出た中年のドライバーさんから、横の助手席に座るように言われる。今日は、イギリス人青年2人と、中国人の若いカップルがツアー仲間。イギリス人青年は、大学を出たばかりで、これから何ヶ月もかけて、アジアを回るんだとか。若くて体力も時間もあるっていいなあ、と思う。一人のお兄ちゃんは私好みのイケメンで、白い歯を見せて笑うと、よりハンサムさが際立った。

 さて、1時間以上かけてエレファント・キャンプに着くと、着替えるように言われ、デニムの上下にお着替え。腕も足も出るから、日焼けしないように、念入りに日焼け止めを塗る。そして、象さんにサトウキビみたいなものをエサとしてあげる。象は3頭しかいないのに、合計16人のツアー客からひっきりなしにエサが与えられるのだから、象たちも大変である。

 エサやり以外にも、象さんと散歩したり、ハーブ入りのおにぎりを作って食べさせたり、木の皮で象の体を洗うスポンジを作ってから、水浴びの手伝いをしたり。 

 同じテーブルでおにぎり作りをした、メガネをかけたタイ人の観光客が、何かと親切にしてくれる。水浴びの手伝いをするときは、そこにあるサンダルを借りて、履き替えた方がいいよ、と教えてくれたりとか。

 誰かに似ているなあ、と思ったら、昔、同僚だったOさんに似ていることに気づいた。Oさんは、保護猫や保護犬を飼っていて、穏やかで、とても気持ちの優しい人だった。親切にしてくれたタイ人は、Oさんを色黒にした感じで、国籍は違っても優しい人は似た顔つきになるんだなあ、と思う。
 
 水浴びの後は、少し早い夕ご飯。パッタイが出てくるけれど、ベタベタしていて、おいしくない。ナイトマーケットで食べたパッタイの方がはるかにおいしかった。でも、昼は来る途中のコンビニでヨーグルトを買って食べただけでお腹が空いていたので、完食した。他にも、フライドチキン、野菜の炒め物、スイカが出る。

 同じテーブルになった中国人カップルと話すと、女性の方は高校からオーストラリアに留学し、今もオーストラリアにいて、シェフをしているという。勉強したのは西洋料理だが、今は和食の店で働いているという。男性の方は、日本のアニメが好きで、1から10まで数えられるといって、実演してくれた。オーストラリアで暮らす女性はもちろん、男性も、英語の語彙が私なんかより遥かに豊富で、きっと優秀なんだろうな、と思う。 

 中国というと、文化大革命に翻弄される庶民を描いた、謝晋監督の『芙蓉鎮』(1987)がすぐに思い浮かぶのだけれど、彼らは若いから、知らないだろうなあ。

 また車で市内に戻って来るが、運転が荒いというので、イギリス人の二人は途中離脱。おそらくアプリで車を呼ぶつもりなんだろうが、来るのは素人ドライバーに過ぎないと思うのだけれど。彼らは安いホステルに泊まっており、長旅だから節約する必要もあるんだろうになあ。
 
 ホテル前でツアーの車を下りるのがルールだけれど、途中のショッピングセンターで買い物をしたかったので、ワン・ニーマンというショッピングセンター前で下ろしてもらう。ここと、メーヤーというショッピングセンターをぶらぶらする。

 メーヤーの地下のスーパーマーケットで、ココナッツ味とマンゴー味のチューイングキャンディ、ドライマンゴーを買い、フードコートでタピオカ入りのタイティーを飲み、何が入っているのかよくわからない、かき氷のようなものを食べる。 

タピオカ入りタイティー
かき氷的なスイーツ

 とりあえず、今回の旅でやりたいことをやり尽くした感があり、満足する。時間に余裕があったので、嫌になったら、すぐにバイクタクシーを呼ぶつもりで、2.5キロ先のホテルまでぶらぶら歩く。
 
   結局、ホテルまで歩いて帰り、荷物を受け取って、アプリでタクシーを呼ぶ。さすがにたくさんの荷物をしょって、バイクタクシーにまたがるのは危険な気がしたので。空港まではあっという間に着く。
 
 空港で両替所の場所を聞いて行ってみると、両替所が閉まる時間に滑り込みで間に合う。パーツを日本円6000円に換える。
 
 帰りのベトジェットは、機内持ち込み荷物の計量があるが、大きい荷物だけで、手荷物は計られていないよう。そこで、トイレで日本に着いても寒くない服装に着替え、ダウンを着て、エコバッグにあれこれ詰め込み、無事にクリア。

DAY8 関空から成田へ

 朝、関西国際空港到着。あいにくの雨である。これから半日のフリータイム。まずは、国際線ターミナルから国内線ターミナルへ移動し、コインロッカーに荷物を預ける。
 コンビニで、朝食代わりにゼリーとお茶を買い、座るところがないので、立ち食いする。 

 それから、1週間ぶりのお風呂に入るために、アクアイグニス泉州温泉へ。お風呂と大阪湾がつながっているかのように錯覚する作りで、遠くまで見渡せて、心が広々とする。最初は他のお客さんもいたけれど、最後は私だけになり、この景色をひとり占め。1時間ぐらい浸かっていた。

アクアイグニス泉州温泉(イメージ)

 お風呂から上がると、足が軽くすっきりして、スニーカーが緩くなったように感じる。いかに足がむくんでいたかが、よくわかる。

 桜を見に行くことに決め、近場で見に行けるところを探す。山中渓(やまなかだに)という場所に行くことにし、関西空港線から阪和線というのに乗り越えて行く。
 
 駅の線路沿いが桜並木になっていて、きれいである。山並みに霞がかかっているのが、幻想的な雰囲気を醸し出している。山の所々で桜が咲いているのがわかる。お天気のいい日にお花見ハイキングしたら、最高だろうなあ。

山中渓駅

 お腹が空いて来て、電柱に、近くで柑橘類が売っているというチラシが貼ってあったので、そこまで柑橘類を買いに行く。私の好きな不知火が売っていたので、それを買い、歩きながらさっそくひとつ食べる。不知火を買ったときに、付近の地図をもらい、枝垂れ桜がきれいな地福寺というお寺があるというので、そこまで行ってみる。曇り空なのが残念だが、枝垂れ桜は満開である。

地福寺の枝垂れ桜

 駅まで戻って来ると、やっていないと思った食堂が営業中であった。肉うどんを注文。老夫婦がやっていて、おじいさんが調理して、おばあさんが出してくれる。体が一気にあったまる。

 駅のホームに阪和線が入って来る様子を動画で撮影して、リュミエール兄弟ごっこをする。旅の終わりに、ビクトル・エリセもインパクトを受けた、初の映画といってもよいものの、真似っこ。

この様子を動画で撮影しました。

リュミエール兄弟『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1896)

 関空に戻り、まだ時間があるのでファミレスでパフェを食べる。
 最後に乗るピーチは、着ているもの以外を全て計るというので、7キロ以内という計量をクリアするために、下着からTシャツから、羽織る用のシャツから、ロング丈のパンツから、持って行った服を片っ端から身につける。本類も重さがあるので、突っ込めるものは片っ端からポケットに突っ込む。『地球の歩き方』まで、無理やりダウンのポケットに突っ込む。

 戯曲『アンネの日記』(1955、フランシス・グッドリッチ、アルバート・ハケット作)で、アンネ一家が、周囲から疑われずに隠れ家に避難するために、着込めるだけ着込んで、自宅から隠れ家にやって来るというシーンがあるのだが、そのシーンを思い出す。もっとも私の場合、密告の危険を避けるためではなく、単にプラス料金を払わないで済ませるため、というけちくさい理由であるが。

戯曲を基にした映画『アンネの日記』(1959)

 1回目は重量オーバーだったが、2回目で無事クリアする。クリアした途端、着込だものを抜ぐ。ご苦労なことである。
 ここで、飛行機が1時間以上遅れることが発覚。安いとはこういうことか、と思う。待ちくたびれたが、飛行機に乗り込み、成田に着き、ダッシュで京成線に乗り、23時過ぎにやっとこ自宅に到着。無事、8日間の旅を終えたのであった。


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 これまでの旅の模様は、以下の記事をご覧ください。


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