【短編小説】雨の日がある理由
空は灰色の雲で覆われ、ジメジメした空気が肌にまとわりつく。
ーーこんな気持ちのまま、家に帰る気になれない。
蒴玖(さく)は、学校帰りで制服のままだったが、気の向くまま近所の神社に向かう。
しばらくすると目的地の赤い鳥居が見えた。
鳥居までの階段を登り始めると、蒴玖(さく)の右頬が雫で濡れる。
蒴玖は、右手で濡れた頬を拭う。自分の目元を触り涙でないことを確認して空を見上げた。
ーーチリンチリン……チリンチリン……。
空は一面灰色のまま、雨が降る前の草独特の強い匂いが鼻に届く。耳には鳥居から連なる音が聞こえる。
今度は、口元近くが雫で濡れた。
ーー雨か……。よかった……。
ポツリポツリと雨が降り出してきたが、蒴玖は雨が降り始めて良かったとさえ感じながら、そのまま階段を登りきる。
赤い鳥居をくぐると一瞬で異世界へと入り込んだ錯覚に落ちた。
参道には沢山の風鈴が横にも上からも吊るされ、風鈴から垂れる色んな色の短冊が、くるくる風に吹かれ揺れている。
頭の上にも両脇にも竹が組まれ、風鈴のトンネルの中に足を踏み入れていた。
ーーチリンチリン……。チリンチリン。
今日は平日、しかも雨予報。
普段ならフォトジェニックとして賑わうこの神社も今日は誰一人居ない。
耳には沢山の風鈴音が、高い音を出しながら不揃いに鳴り響く。風で揺れ動く沢山の短冊に目を奪われる。
蒴玖のこのざわざわした気持ちも、一瞬で吹き飛んでいた。
毎回ここに来れば、このファンタジックな感覚を感じる。頭の中まで、この空間に奪われ、何もかも忘れられるこの空間が好きだった。
蒴玖は、自分でもよくわからない、ざわざわするこの気持ちが嫌で、この空間に入り込みたくて今日はここに来た。
蒴玖は両手を広げ目を閉じ、大きく深呼吸をした。ゆっくり目を開き、風鈴のトンネルを進んでいく。
風鈴のトンネルを出て、社殿の屋根がつき出ている箇所を見つける。雨で濡れてない石の上に腰を下ろした。
先程より少しだけ雨が強くなり始める。
蒴玖は、雨音を聞きながら、雨に濡れる風鈴をトンネルの外から見つめて想いにふけた……。
蒴玖には、好きな女がいる。仲良しグループの1人歩莉(あゆり)である。だが、その歩莉は同じグループの碧(あお)が好きで、この2人は両思いだ。
自分がはいる隙間はない事も理解している。
蒴玖にとっても2人は、仲良しで大好きな友である。自分も好意を抱くのだから、皆んなも好意を持って当たり前だし、2人はお似合いだと思っていた。
だが、やはり親密な2人を見るのは、なんだか少しだけ心が曇るのも事実だ。自分の思いとは違う所がざわざわする。
でも、歩莉を取り合うとかそういうのは違う気がして、好きな人に幸せになってほしい。
幸せにしてあげられるのが自分じゃないのは残念だが、それはしょうがないと思っている。
歩莉の気持ちを大切にしたい。
これが蒴玖の恋愛だ。
それなのに、少しずつ知らないうちに小さなざわざわが溜まっていた。今日、学校であの2人が恥ずかしそうに手を繋ぎ、帰っているのを見かけてからというものの、どうも落ちつかない。
ーー俺はどうしたいんだろう?
自分自身に問いかける。
蒴玖はあまり人に自分の話しをしない。だから自分のことを相談する人がいない。本当は、甘えているし話しているつもりなのだが皆んなにそう言われる。
こういう時に気がつく。
ーー本当に俺は本心を言ってない。
友達を信用してないわけじゃないし、嘘も言ってない。だからと言って、自分も理解できていない本心をどう言えばいいのか?言い方も甘え方も相談のしかたもわからない。
ーー自分がわからない……。
蒴玖は悩みがあると、子供の頃から来ていたこの神社の風鈴をいつも見にくる。
小さい頃一度、雨の日にたまたまここに来て、何をしたわけじゃないのに、心が落ちつき晴れた経験をした。
今考えると、癒されるという事を始めて覚えた場所だったのかもしれない。
いつも活気があるこの場所も、雨が降ればいつもと違うしっとりとした空気に包まれる。
蒴玖は、雨が降っているこの場所が晴れている日よりも好きだった。
蒴玖は、雨をうけながらも、いつもと同じように揺れる風鈴も境内に咲きほこる花々も、どれだけ濡らされても、いつもと変わらずにあり続ける姿を見つめていた。
ーーいつも雨は嫌な気持ちを洗い流してくれる。
明日になれば太陽が出て、また皆んなを輝かせるのだろう。
朝になると、6月のまだ少し冷んやりとした空気と雨の後の澄んだ空気で、みんなが新たな気持ちになるように……。
そう考えると、みんな悩んで弱音を吐いてもいいのは雨の日がある理由じゃないかとさえも思えてきた。
それに、日が当たらないグレーの世界には、普段よりも色が映える。
普段は見過ごすことさえも、立ち止まって向き合える。流れる時間を生きる私達に、立ち止まる時間を与えてくれる。世界の休息の時間。
蒴玖は、降り始めた雨の中、自分を想いやるゆっくりした時間を過ごし、いつの間にかざわざわしていた気持ちもほどけてゆく。
ーーああ……。このままでいいんだ。好きでいいんだ。少しだけ羨ましくて弱音が吐きたかったんだ……。
気持ちが落ちついた蒴玖は、帰るのに立ち上がった。
すると先程まで目に入らなかった手水鉢に目が止まる。
花水鉢にされている色鮮やかな大きな紫陽花が目にはいった……
普段見慣れているはずの紫陽花の赤や紫の色、ふっくらとした形を見て、単純に美しいと感じ、この気持ちを誰かと共有したいと思った。
歩莉の笑顔が蒴玖の脳裏に浮かび顔が綻ぶ。
だがそれは直ぐに打ち消した。
「やっぱり秘密にしよう……」
蒴玖はやはり自分には秘密が多いと思うと、可笑しくなり笑う。
沢山の風鈴も一緒にチリンチリンと笑っているように聴こえた……
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