信長に焼かれ、明智光秀が復興に協力した「西教寺」と疫病退散の「風鈴参道」

画像1 「風鈴参道通り抜け」納涼、厄除け、疫病退散の願いを込めて。
画像2 風が吹いて、一斉になるとすごくキレイな音を奏でていました。
画像3 風鈴は、中国から伝わった風鐸から変化したもので、強い風によって運ばれる、疫病や邪気から守られるものとしてお寺に吊るされていました。
画像4 ガラス製の風鈴は、江戸時代から作られました。厄除け納涼とかは今の科学が発達した時代には、幻想と言われそうなものですが、人間を発展させた、国家、貨幣、宗教も幻想なのです。
画像5 ここには、願い事を書いた風鈴が、吊るされています。書くことって重要ですね。
画像6 西教寺は、織田信長の比叡山焼き討ちによって、いちど焼失しています。織田信長はこのとき、児童なども容赦無く首をはねていました。某脳科学者によれば、かなりのサイコパスだそうです。
画像7 明智光秀が滋賀県名物の「飛び出し坊や」になっていました。本能寺の変で織田信長を討った人物です。
画像8 「本能寺の変」と言えばYouTubeで有名な動画がありましたね。現在の再生回数は69,570,071回です。ぱねぇ。当時子供がよく口ずさんでました。
画像9 坂と階段が多くて、ゼーゼーハーハー言いながら歩いていました。翌日は筋肉痛です。
画像10 階段を登った先は、ここでした。立派な建物が見れました。
画像11 ここにも階段。いい運動になります。「グリーンエクササイズ」に最適。
画像12 比叡山には猿がたくさんいて、この寺のお墓も猿に荒らされているようでした。人間も自然を荒らしているので、お互い様ですね。
画像13 これは何の鳥でしょうかね。思わず撮ってしまいました。
画像14 ここの近くの比叡山高校に通っていましたが、西教寺の中に入ったのは初めてでした。外は部活のランニングで走ったりしていましたが、坂が多いので走るのはキツかったです。

貴重な時間を使って、記事を読んでいただきありがとうございます。有意義でお役にたてれば幸いです😊