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奈良時代にはカレーはあったのか。奈良県奈良市。グーグルマップをゆく #73

 グーグルマップ上を適当にタップして、ピンが立った町を空想歴史散策する、グーグルマップをゆく。今回は奈良県奈良市。

 カレーは、奈良時代には日本にあったのではないか?という妄想に取り憑かれている。

 8世紀、聖武天皇の時代、すでに胡椒やクローブ、シナモンなどのスパイス類やニンニクといったものが輸入され、正倉院の中にも収められている。概念化されたカレーというものを取っ払って、インドの食事というところまで拡大すると、奈良時代にはすでに食材が揃っていたと言っても過言ではない。

 天平8年(736年)、インド出身の菩提僊那(ぼだいせんな)という僧が来日する。菩提僊那については詳しいことはわからないが、唐の長安を拠点として修行していたところを遣唐使として唐に赴いていた多治比真人広成(たじひのまひとひろなり)によって来日し、そのまま定住した。

 天平勝宝4年(752年)、聖武天皇の命で、行基が指揮を取っていた東大寺の大仏鋳造が終わり、開眼会が行われる。この際、開眼供養の開眼導師を務めた。天平宝字4年(760年)2月25日、57歳で日本で死去する。

 彼は呪術が得意であったとされるが、その記録が初めて登場するのは11世紀なので実際のところはわからない。風貌についての詳細も残っていないが、釈迦は身長が2メートルもあったとも言われており、当時のインド人(釈迦とは時代が違うが)が長身で菩提僊那も2メートルもあったとすれば、その風貌から発せられる経典は、少し風が吹いただけでも当時の日本人は呪術のように感じたかもしれない。

 ちなみに、ここで言う呪術は密教とも深く関わりがある。密教は5世紀には成立していたと言われており、空海が持ち帰るよりも前に日本に入ってきいる。日本の密教は空海によって完成するが、空海以前にその下地はすでに整っていた。

 菩提僊那は、大半の人生を日本で過ごした。日本にいる間、日本食しか食べなかったというはずはない。故郷の食事を懐かしみ、似たような食事を作って食べたと考える方が自然である。

 奈良時代の日本は肉食を禁じていた。そのために発展したのが精進料理でもある。現在の形のような精進料理になるのは、平安以降であるものの、奈良時代にはすでにその原形は出来上がっていた。干物やあわび、チーズに似た蘇と呼ばれる食材が食され、ニンニクも使用されていたので、インドの食事を作って食した可能性は十分にある。

 インドの食事よりも日本の食事の方がおいしくて母国の食事よりも好んだために食すことはなかったという可能性もあるが、ここはひとつ、奈良時代にはすでにカレーがあったと思いたい。

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