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たくさんの顔を持つ国イスラエル 戦争終結 復興へ向けて

トップ写真はゴルゴダの丘、イエス処刑の地に建つ教会


はじめに


古代より、戦争が絶えない現イスラエルの領土。
イスラム諸国との国交が途絶えていた時期が長く、アクセスするにも航空会社が限られる。そんな不便さからか日本から訪れる人はそれほど多くはありません。今回の紛争において、日本人の犠牲者が出なかったことは不幸中の幸い。

パスポートのスタンプは要注意

イスラエルへ入国する際の注意点。出入国の際、パスポートにスタンプを押させない。(笑) もし、イスラエルへの入国が分かると、他国へ入国できなくなるリスクがあります。

私たちは親子二人でイスラエルへ行きました。緊張の入国審査場。私は強面のおじさん審査官の列へ。長男はきれいなお姉さん審査官の列へと進みます。私はおじさん審査官へ「No, stamp please.」と、懇願するような口調で伝えると、予想に反しておじさん審査官、「Don't worry.I understand.」
とても優しく対応してくれました。拍子抜け。

きれいなお姉さん審査官の列に並んだ長男。スタンプを押さないでと伝えると、「お前は何しにイスラエルへ来たんだ!ここはイスラエルだ!」と、強い口調で怒られたそうです。(笑) 入国審査で、どこに並ぶかで明暗が分かれます。きれいな花にはとげがある。昔から言います。

イスラエルはひとつの国とは思えない国民性

と、まあ無事にイスラエル入国。イスラエルでは3泊4日滞在。訪れた都市はエルサレム、テルアビブ、ハイファ、アッコ、要塞が残る死海近くのマサダ。それぞれの都市で全く色が変わり、そこに住む人たちの国民性を一つにまとめるのは無理。そう感じるほど。

エルサレムにて

エルサレムはご存じのとおり、宗教色が強く、戒律が厳しいイメージ。
ですが、どこの国でもいろいろな人がいるんだな~と悟った出来事。
ホテルの通りを挟んで向かいにあるコンビニ。そこでアイスを買ってホテルへ戻る横断歩道を渡っている時。ポケットからおつりでもらった紙幣が風に飛ばされ道路へ落ちてしまいました。


エルサレム ホテル前の道 安息日なので閑散


拾わねば!そう思い、引き返そうとした時、タクシーが私のお札の前に停車。さすがエルサレム。みんな親切でわざわざ車停めて拾ってくれるんだ。
と、待っていると、私のお札を拾ったタクシードライバー。車に乗り込み、
私にウインクして爽やかな笑顔と共に走り去ってしまいました。(笑) ここは三大宗教の聖地エルサレム。このドライバーさんは何教を信仰しているのか?気になります。

イエス処刑の地ゴルゴダの丘教会外観
旧市街バザール イエスが十字架を背負って歩いたと伝わる

最後の地マサダにて

2日目は、マサダの要塞が残る死海近くの砂漠地帯マサダへ。約2000年前、ローマ帝国によってエルサレム陥落。逃げた人たちはマサダ要塞へ立てこもります。そして2年間ローマ帝国を苦しめましたが、ついにマサダも陥落。国を無くした人たちが世界各地へ散ることになった場所。
1838年ドイツ人考古学者によって発見されました。

実際の高さ分かりますか
マサダ要塞から 向こうに見えるのが死海
マサダ要塞内部 当時の色が残っている

この要塞は標高が高いところへ作られていて、攻めるにも崖だらけで道がありません。ローマ帝国は、捕虜としたイスラエル人を使い、要塞までの道を作らせました。味方を裏切る行為をさせたのです。2年かかりで道が完成。ついにマサダはローマ帝国に屈しました。
現在、徴兵で集められる兵士への入隊式はこの地で行われます。
兵士たちの胸に刻まれる言葉。『マサダを忘れるな!』
そんな歴史上に現在進行しているのが今の戦争なんです。
簡単に語れないです。

マサダを忘れるな イスラエルの強い意思

死海へ浮いてみた

マサダからの帰り道、少し死海へ寄り道。
せっかくなので水に浮いてみました。
黒い泥のような砂は化粧品として名物になっています。
水に入った感想は、とにかく塩分が濃いので肌がひりひり痛い。
水に浮かんだ状態で読書ができるか試してみた結果。普通にできました。

ラクダが居ました
死海はこんなかんじ
隣のお姉さん オーマイガー!

テルアビブはまるで違う国

エルサレムから車でテルアビブへ移動。1時間半から2時間くらいだったかな。古代へタイムスリップしたかのようなエルサレムから。一転、地中海へ面したテルアビブはビーチリゾート地。市街は高層ビル。ビーチ沿いは高級ホテルが軒を連ね、まるでニースのような賑わい。

テルアビブ ダウンタウン
恒例の不動産チェック 高いです

エルサレムでは宗教的理由で、女性は肌の露出は控える。ユダヤ教もイスラム教もそう聞いていましたが、テルアビブはビーチリゾートだけあって、女性の水着、街を歩く服装。ここはワイキキビーチ?錯覚するほど。さっきまで居たエルサレムとのギャップ。大きすぎてショック受けるほど。

テルアビブ地中海に沈む夕日
夜も賑やか 人が歩いています

テクノロジー最先端の町ハイファ

翌日はテクニオン(イスラエル工科大学)がある町ハイファへ。地中海沿いの町。海から山手の高台へ住宅やキャンパスが品よく建てらえていて、兵庫県芦屋市の高級住宅街のようでした。平地部は世界のIT企業が集結する最先端の都市。海側では港の開発が大規模で進んでいました。中国の資本で。

ハイファにあるバハーイー教の本部 この庭、世界遺産です

5000年の歴史の町アッコ

ハイファから海沿いを走り、レバノンとの国境に近い町アッコへ。ガイドさんの説明によると、レバノンからのミサイルが普通に飛んで来るとのこと。市民も慣れている。日本人からすると恐ろしい常識です。

このアッコは5000年以上の歴史がある町です。普通に書いてますが5千年。(笑) バハーイー教の聖地らしいのですが、私は存じ上げておらず、そこはよく分かりませんでした。

現在はオスマン帝国によって築かれた旧市街があり、とても美しい街並み。古くは1100年代に十字軍によって築かれた要塞もあり、それは、現在の街並みの下に存在するとのこと。歴史好きにはたまらないスポットです。ナポレオンもここを攻めましたが失敗に終わりました。

オスマン帝国が作ったアッコの街
アッコの街に瞬読 宣伝でした(笑)

日本とのつながりは?

このように本当に何千年という歴史がある土地。多くの争いによって権力者も変遷。私たち日本人の常識では計り知れないものが残っていて、今現在も過去から続く歴史が作られているのがよく分かります。

イスラエルに住む人たちの国外脱出。古くはアッシリア帝国、バビロニア帝国によって。そしてローマ帝国によって。その年代を見た時、日本の記紀神話や歴史に残されている時期。けっこう近いのです。そして彼らは東を目指しました。極東と呼ばれ、日出る国といえば、私たちの日本。かもしれないのです。
キリストの復活祭は『Easter』 なんで?
青森県にキリストの墓がありますね。(笑)
徳島にはキリスト神社かも?的な神社もあるのですよ。

テルアビブ空港近くの看板 車窓から

これから私たちにできること

イスラエル人とパレスチナ人。双方にとって大切な領土。
そのあたりを理解した上で、早期戦争終結。緊急では人道支援。そのあとは復興への援助。それらが急がれます。

なんと言っても観光や聖地巡礼での収入も多い国です。
治安が安定したタイミングで、ゆっくりと訪れること。それが、イスラエル人、パレスチナ人双方への貢献の一助になるのでは。
そんな思いから今日のブログを書きました。

最後までお読みいただきありがとうございます。




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