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京都・街の湧水12、番外・古井戸の碑

 平安の世から時代を織りなした千年の都・京都。市中にはかつて多くの井戸があった。生活用水の井戸だけでなく、霊験豊かな霊水として信仰を集めた井戸や、神仏を安置した場所から水がわいた井戸など長い歴史のなかでさまざまないわれが積み重ねられてきた。  かつてこの地に名水の井戸があったという石碑、石標だけのところや、新たにボーリングしてかつての名水を復活させ「新」の冠を付けた井戸も設けられた。都市づくりのなかで消えてしまい、石碑やいわれ書きだけが残された名井を追った。 ①少将井  少

    • 京都・街の湧水11、御苑の古井戸

      37妙音弁財天の白雲水  手水場に備え付けの柄杓(ひしゃく)で、白雲神社・妙音弁財天の白雲水を飲んだ。口当たりが良く、なめらかな水だった。「軟水です。深さ60㍍のところからくみ上げています。涸(か)れたことは一度もありません」と神官。  京都御苑(ぎょえん)の中で、拝観料無しの施設で井戸水が出ているのは、妙音弁財天の白雲神社と宗像神社の手水場の2カ所だけ。   現存の井戸は文化遺産級  京都三大名水の一つとされる京都御所近くの縣(あがた)井や染殿井、祐井(さちのい)とい

      • 京都・街の湧水8

        28下鴨神社の御井、三本杉の井  下鴨神社の社域は水の宝庫だ。湧水の多さでは京都の古社寺で最も多い。賀茂川と高野川が合流して伏流水が豊かな三角デルタ、水を蓄える糺の森があることもあって、いたるところに湧水がある。  境内に瀬見の小川、奈良の小川、高野川の分流・泉川の細流があることも湧水の多さにつながっている。しかも湧水の井戸がそれぞれ個別になっていることがすごい。 御神水をくむ御井 御井は奥の院  本殿に向かって左側にある三井社の祠が神社の主祭神。主祭神は「水の神」であ

        • 京都・街の湧水6

          ⑳深草・茶わんこの水 東山連山の36峰目、伏見稲荷のある稲荷山から南に続く桃山丘陵。最南端が宇治川で切れる。伏見はかつて伏水(ふしみ)といわれ、丘陵の森がはぐくんだ地下の畜養水と宇治川及び伏見と京都との水運の利便を図って開削された宇治川派流の伏流水が合わさった水の宝庫だった。 桃山丘陵のすそ野  茶椀子(ちゃわんこ)の水がわく井戸は桃山丘陵のなだらかなすそ野にあり、丘陵が畜養した水が直接的にわき出るとみられている。水をくむ手押しポンプを押すと水がドッと出る。  飲用不可と

        京都・街の湧水12、番外・古井戸の碑

          京都・街の湧水7

          24 若一神社の開運出世水深さ15㍍から湧出  若一(にゃくいち)神社の開運出世水は社域の2カ所にある。浅い井戸で深さ15㍍から清水が湧出する。井戸水の水温でだいたい深さが分かる。深く掘り下げで京都盆地にあるという地下タンクからくみ上げる深場の水は夏場冷たくで冬場温い。水温14度~16度程度と四季を問わず一定だ。浅場の井戸水は外気の影響を受けるため、四季を通じて水温が一定というわけにはいかない。  若一神社は西大路通りと八条通りの交差点わき、平清盛の別邸・西八条殿跡にある。

          京都・街の湧水7

          京都・街の湧水6

          ir_hyssop961 2023年1月4日 21:06 ⑳深草・茶わんこの水 東山連山の36峰目、伏見稲荷のある稲荷山から南に続く桃山丘陵。最南端が宇治川で切れる。伏見はかつて伏水(ふしみ)といわれ、丘陵の森がはぐくんだ地下の畜養水と宇治川及び伏見と京都との水運の利便を図って開削された宇治川派流の伏流水が合わさった水の宝庫だった。 桃山丘陵のすそ野  茶椀子(ちゃわんこ)の水がわく井戸は桃山丘陵のなだらかなすそ野にあり、丘陵が畜養した水が直接的にわき出るとみられてい

          京都・街の湧水6

          京都・街の湧水6

          ⑳深草・茶わんこの水 東山連山の36峰目、伏見稲荷のある稲荷山から南に続く桃山丘陵。最南端が宇治川で切れる。伏見はかつて伏水(ふしみ)といわれ、丘陵の森がはぐくんだ地下の畜養水と宇治川及び伏見と京都との水運の利便を図って開削された宇治川派流・濠(ほり)川の伏流水が合わさった水の宝庫だった。伏見ほど多くの井戸がある地域はない。  茶椀子(ちゃわんこ)の水がわく井戸は桃山丘陵のなだらかなすそ野にあり、丘陵が畜養した水が直接的にわき出るとみられている。水をくむ手押しポンプを押すと水

          京都・街の湧水6

          京都・街の湧水5

          ⑯大黒寺の金運清水  大黒寺の井戸は2001(平成13)年に掘られた。古寺ではごく新しいが、古くから名水・伏水(ふしみ)のわく土地柄を生かした伏見らしい取り組みだ。だれもがあやかりたいし、ありがたがる「金運清水」と名付けられた。本尊・大黒天などに供える霊験あらたかな水といわれている。伏見の数ある醸造元と同じで、まろやかな口あたり。  大黒寺の正門が閉じられていても寺に隣接する保育園の扉が開いているから、近所の人たちがペットボトルを手にひっきりなしに水くみに訪れ、「金運」を

          京都・街の湧水5

          干潟の伝統漁・付録

          東京湾内湾のうまいもの  出世魚  幼魚から成長するにつれて呼び名が変わる魚は、ご祝儀ものの出世魚として結婚式、節句祝などのおめでたい祝宴の席に出された。魚体が桜色のマダイを最高として、食糧難の戦時中は魚価の安いボラの幼魚イナをお膳に並べた。  マダイは同じ大きさの魚体が人数分そろわなかった。イナは多く採捕されたので見栄えが悪くても人数分をそろえるのが容易だった。食味の良いススキは一尾のままでは大き過ぎ、身を切って料理するので身を切ることの忌避から祝儀の食膳には上らなかっ

          干潟の伝統漁・付録

          干潟の伝統漁5止

          メヅキ見突きとか目突き漁とも  地方によって「ミズキ(見突く)」とか「目突き(メズキ)と呼ぶ。道具は、ヤスの一種ヘシ。ヘシは「押す」「圧す」「突く」の意味。銛(もり)はゴム等を用いて発射、投射する道具。ヘシを含めたヤスは獲物の魚貝を突くだけの道具。ヘシの先端は長さ約10㌢の針棒が5~10本付いたもの。鉄製で集落にある鍛冶屋の手作り。長さ3~7㍍程度の柄の先に針棒があった。漁場の水深によって柄の長さを替えて使った。   ヘシ、箱メガネは手作り ヘシの先端の針棒の数は狙う魚

          干潟の伝統漁5止

          干潟の伝統漁4

          ハゼの手づかみ漁ハゼは夜、干潮の干潟で寝る。初の事例報告  海水温の下がり始まる9月から10月にかけて、ハゼは深場に入る前、冬支度なのか、夜半に干潮時の干潟で寝る。ウソだと思う人がいるかもしれないが事実だ。ひと休みしているだけかと思っていると、手づかみにしてもじっとしているので多分寝ているのだと思うしかない。  大きさは体調15㌢~20㌢とほとんど型がそろっている。深場に入るヒネハゼ、落ちハゼ級だ。夜8時過ぎごろ、大潮の干潮時、干潟はすっかり潮が引いて干潟のほとんどは干出し

          干潟の伝統漁4

          干潟の伝統漁3

          ウナギの寝床「例(たと)え」で、ウナギの寝床という言葉がある。間口が狭く奥行きの深い細長い建物の例えだという。ウナギが孟宗竹を切った竹筒や丸石を積み上げた土手の狭い隙間(すきま)に入り住み家としている生態から、狭く細長い場所をウナギの寝床と言ったらしい。  それとは別に、実態として「ウナギの寝床」があり、そこに何匹か集団でいるということを子どものころに体験したことがある。ウナギの寝床を海た湖沼に潜って実際に見たわけではないが、海釣りと湖沼釣りで寝床があり集団でいることを体験し

          干潟の伝統漁3

          干潟の伝統漁2

          メソッコの大量遡上   国内初の事例報告  水がヒタヒタ状態となった細くて浅い流れをウナギの幼魚・メソッコが大群となって遡上する光景に出会った。成長して大きくなったウナギが秋ごろ、川を下るとは聞いていたが、メソッコが集団で大量遡上する光景には度肝を抜かれた。恐らくこの報告が国内での初観察の記録になると思う。  大量遡上を見たのは細流の小川。幅1~1・2㍍程度の農業用水で、小高い丘が連なるふもとにある農業用ため池を水源としている。水田に水が必要な春先からの時期は小川に板を積

          干潟の伝統漁2

          干潟の伝統漁(概観)

          江戸前漁業 まず、干潟の伝統漁法や漁村集落の状況を概観する。  江戸前の漁業は、干潟での伝統漁法だった。江戸城に献上の魚を取る御菜八ケ浦(芝浦、品川から相模国=神奈川県の生麦、子安など8漁村)の主に干潟とその少し沖合で採捕された魚貝を江戸前と呼んだ。徳川家康の江戸城入場を機に発展した江戸市中の人々の魚貝を賄ってきた。江戸前の魚貝は干潟の伝統漁法で採捕された。  八ケ浦で営まれた漁法は次第に、漁船や漁業資材も含めて内湾の干潟が広がる沿岸地域の村々に伝播した。海辺に田畑の耕作地が

          干潟の伝統漁(概観)

          京都・街の湧水4

          ⑫出町青龍妙音弁財天の龍水三角州の右岸に  賀茂川と高野川が合流する三角州のそば。出町柳で河原町通りから下鴨神社に行く鴨川・出町橋西詰めにある。賀茂川と高野川の合流点のやや上流の右岸沿いだ。五山送り火の夜、大文字が良く見える場所のごく近くにある小さな神社。手水場の小さな龍の口から湧水が出ている。  京都の寺院には龍があちこちにいる。大寺の法堂(はっとう)天井画はどこも生き生きと龍が描かれている。また京都で龍は賀茂川の象徴。手水場に水はだいたい龍がいる。 地下30㍍から

          京都・街の湧水4

          京都・街の湧水3

          ⑧城南宮の菊水若水   城南宮は京都市伏見区中島離宮町7にある。鴨川左岸近くにあり、水を飲める手水場は入り口の1カ所だが、「平安の庭」や参道を挟んで向かいにある別園の「室町の庭」「桃山の庭」など広い園内の池に注ぐ湧水が各所にあり水の宝庫だ。 鳥羽離宮の鎮守  平安時代後期、白河上皇や鳥羽上皇によって、城南宮を取り囲むように城南離宮(鳥羽離宮)が造営されて院政の拠点となり、離宮の鎮守となった。離宮は政治・文化の中心となり、城南宮で歌会や舟遊びも行われ、王朝文化が花開いたとい

          京都・街の湧水3