ピヨる(小鳥書房文学賞 落選作)

 目を開くとね、黄色い鳥がぼんやりと見えたんですよ。黄色い鳥業界で一番有名なヒヨコちゃんですよ。ピヨピヨと鳴きながら、私の頭のまわりを回っていたんですよ。

 しかも、5匹ですよ?

 そりゃ驚きましたよ。だって異常じゃないですか。なぜそんなものが私のまわりにいるんだ、と不思議に思いましたよ。
 でもね、それに勝っていたのはヒヨコちゃんを愛おしく思う気持ちでしたよ。もふもふとした毛、小さな頭、クリクリとした目。そんなヒヨコちゃんたちが頭のまわりを猛ダッシュですよ? 

 可愛すぎますよ。今すぐ抱きしめて、撫でまくりたいと思いましたよ。

 そこで私は掴もうとしましたよ。そのときですよ。なんとヒヨコちゃんは、私の手のひらをすり抜けたんですよ。信じられませんよ。

 私はなんども挑戦しましたよ。しかしどのヒヨコちゃんにも触れられないんですよ。ピヨピヨと鳴きながら、私の手のひらを貫通して、疾走し続けるんですよ。「まぼろしか?」と思わずにはいられませんでしたよ。

 体に違和感を感じたのは、それから数秒後、肩から腕全体を動かそうとしたときでしたよ。激しい痛みが襲ってきましたよ。同時に頭や足にも鈍痛を感じましたよ。口からはよだれが垂れていましたよ。
 なにより私の目に映る世界があべこべでしたよ。
 縦が横で、横が縦で……。
 とても気味が悪かったですよ。

 そこで初めてヒヨコちゃんとは別の風景にピントが合ったんですよ。見えたのはアスファルトと、ずっと奥のほうに倒れているバイクですよ。数分前の記憶がうっすら蘇ってきましたよ。

 私は東京から伊勢神宮までツーリングしていたんですよ。
 たしか名古屋市に入ってすぐですよ。地面に落ちていたペットボトルを交わそうとハンドルを切り、バランスを崩したんですよ。その瞬間、ガードレールが迫ってきたところまで記憶がありますよ。
 事故を起こしたんだと思いますよ。今こうして地面に横たわっているということは、事故としか考えられませんよ。唾を飲むと、口から出ている液体がよだれじゃなく血だということにも気が付きましたよ。冗談じゃないですよ。楽しい一人旅が台無しじゃないですか。

 誰か、誰か助けてくださいよ。

 私は必死で願いましたよ。そんなことも知らず、5匹のヒヨコちゃんは私の頭のまわりを楽しそうに走ってますよ。
 そこでピンときたんですよ。このヒヨコちゃんは私の意識が朦朧としている証拠ではないか、とね。
 格闘ゲームでボコボコにされたあと、キャラクターの頭によく現れる、あいつらですよ。いわゆる『ピヨってる』状態ですよ。まさか肉眼で、そのヒヨコが見えるなんて思いもしませんでしたよ。
 と、ここまでが現場での記憶ですよ。

「……えますか? ジョウノウチさん、聞こえたら左手をあげてください」
 そんな声で目を覚ますと、真っ白い天井が見えましたよ。視界の端にはぼんやりと包帯も映りましたよ。目線を体のほうにやると、点滴袋がぶらんぶらんしてましたよ。よかった、助かった、と胸を撫でおろしましたよ。
「気がつきましたか。奇跡的に打ち所がよく、命に別状はありません」
「こ、ここは?」
「名古屋の病院ですよ」
 医者の野太い声も私を安心させてくれましたよ。家族にも連絡をしてくれたみたいで、もうすぐ到着すると言われましたよ。不幸中の幸いでしたが、奇跡が起きてよかったですよ。
 でもひとつ、不思議なことがありましたよ。ヒヨコちゃんがまだ消えないんですよ。こんなのは激痛が襲った瞬間にだけ見えるものだと思っていたので、正直驚きましたよ。
 ヒヨコちゃんたちは相変わらずピヨピヨと鳴きながら、私の頭の周りをぐるぐる回っていましたよ。全てをすり抜ける彼らは、枕もベッドも貫通していると思いますよ。

 二、三日経っても、ヒヨコちゃんはいましたよ。こんな長いあいだ見えるものなのか、と不思議でたまりませんでしたよ。
 体はというと、顔の擦り傷は少しづつマシになってきましたよ。右腕と足首は骨折したのでギブスをしたままでしたが、肘や膝を曲げることは許してもらいましたよ。
 そこで初めて「頭の周りにヒヨコが……」と、医者に尋ねてみましたよ。
「ああ。それは“痛み鶏”といってね、体に強い衝撃があったときに、現れるものですよ。痛みを養分として食べているんです」
「ということは、やっぱり、まぼろし?」
「あはは、もちろんです。実際には存在していません。痛みが引くまで、もう少しの辛抱ですよ」
「じゃあ、痛みがなくなると……?」
「消えますよ。少しづつ薄くなり、リハビリを始めるころにはいなくなるでしょう」
 言われてみれば、ヒヨコちゃんたちは事故直後より少し透明になっていましたよ。体の痛みはマシになっていたので、食べてくれた証拠ですよ。
「見える人と見えない人がいるから、見えるなら良い思い出にしてください」
 そう答える医者の顔の前を、ヒヨコちゃんたちが楽しそうに横切っていましたよ。

 謎が解明してスッキリした私は、ヒヨコちゃんとの共同生活を楽しみ始めましたよ。撫でようと手を伸ばしてみたり、呼んでみたり、ときには叱ってみたり。もちろん触れることは出来ませんが、私が大声で呼ぶと、こちらを向いてくれるようになりましたよ。人差し指をヒヨコちゃんの前に出して、「ジャンプ、ジャンプ」と言うと、たまに飛んでくれるようにもなりましたよ。意思疎通に成功し、達成感がありましたよ。
 ほかにも面白いことがありましたよ。ジャンプを失敗したヒヨコちゃんに別のヒヨコちゃんが衝突したんですよ。どちらもポテンと倒れ、起き上がり、ピヨピヨと喧嘩を始めましたよ。その2匹をよく見ると、ヒヨコちゃんの頭にも小さなヒヨコちゃんが回っているではありませんか。私は思わず吹き出しましたよ。
 そんなこんなで、楽しい入院生活でしたよ。なにより、こんなに可愛い鳥が私の痛みを取り除いてくれているなんて、感謝しかありませんよ。

 しかし人生は残酷ですよ。出会いがあれば別れがありますよ。痛みが引くにつれ、ヒヨコちゃんたちの輪郭がぼんやりしてきましたよ。
 そして二週間が経ち、ついに運命の日がきましたよ。「そろそろリハビリ始めましょうか」と言われましたよ。日常へ復帰する目処がたった嬉しさと、ヒヨコちゃんとの別れの寂しさが同時に押し寄せてきましたよ。

 リハビリが始まると、ヒヨコたちの姿は完全に消えてしまいましたよ。最後の瞬間、「お元気で」と呟くと、「ピヨ」と鳴いて羽をパタパタしてくれましたよ。
 これから静かなリハビリの日々がしばらく続く、そう思いましたよ。ところが、私とヒヨコちゃんの物語の第二章はここから始まるんですよ。

 どうやらヒヨコちゃんは線だけになり、まだ私の周りに存在していたんですよ。

 そしてリハビリ二日目、私は右足をかばうあまり左足を捻挫してしまったんですよ。激痛でマットに倒れこみましたよ。それとともにヒヨコちゃんの輪郭は濃くなり、完全復活ですよ。
 私は痛みで涙を流しながら、彼らとの再会を果たしましたよ。ヒヨコちゃんたちは嬉しそうに駆け回ってましたよ。私は嬉しいのか悲しいのか、自分の感情がわからなくなりましたよ。でも、喜びがあったのは事実ですよ。

 病床に戻った私とヒヨコちゃんに新たな事件が起きたのは、その二日後でしたよ。なんとヒヨコちゃんが大きくなってたんですよ。
「ヒヨコですから、エサを食べれば食べるほど成長しますよ」と、医者が言いましたよ。頭の周りを走るヒヨコが成長するなんて、聞いたことがありませんよ。

 騒音と共に目を覚ましたのは、翌日でしたよ。
「コッケコッコー」
 頭の周りには、茶色いニワトリが5羽、互いにぶつかりながら、獰猛に駆け回っていましたよ。成長の早さにびっくりしましたよ。どうやら強い痛みが大好物のようで、私はエサを与えすぎたみたいですよ。
 それから毎日、ニワトリたちは日の出とともに夜まで鳴き続けましたよ。あまりの五月蝿さに発狂しそうになりましたよ。もはや可愛さはどこにもないですよ。それどころか、からかわれているようで腹が立ってきましたよ。
 見舞いに来た家族も、終始イライラしていている私を不思議そうに見ていましたよ。私は妻に八つ当たりしてしまいそうなので、梨と漫画を受け取ったら、直ぐに帰ってもらいましたよ。漫画は私の好きな先生の最新刊でしたが、「コケコッコー」が脳内に響き渡り、読めたもんじゃないですよ。全く、あんなに愛おしかったヒヨコちゃんが、こんなに憎たらしいニワトリになるなんて信じられませんよ。

 それでも痛みは順調に回復し、再びリハビリの日が近づいて来ましたよ。私の痛みを食べて丸々と太ったニワトリたち。今度はおさらばしたくて仕方がなかったですよ。

 当日になると、ニワトリは前回と同じく、輪郭がおぼろげになっていきましたよ。私はもう怪我をしないように、ゆっくりと足を運びましたよ。そして初日のリハビリが終わるころ、ニワトリたちはいよいよ線だけになりましたよ。
 と、そこへ“なにか”がやってきたんですよ。姿は全く見えませんでしたが、声が聞こえるんですよ。人の喋り声のようでしたよ。
 私はためらいましたよ。もう痛みはこりごりだ。でも、何が起きているか見たい。そんな気持ちでしたよ。
 そして好奇心が勝ち、やってしまったんですよ。ニワトリの運命を見届けるのも宿命だと思い、頭を一度、壁にぶつけてみましたよ。するとニワトリの輪郭が、少しだけ濃くなりましたよ。もう一度ぶつけましたよ。また濃くなりましたよ。
 目をこらすと、見えたのはやっぱり人でしたよ。作業服を着たオジサンでしたよ。胸には『JA愛知』と書いていましたよ。

 ということは、このニワトリ……。

 名古屋コーチンですよ! 品種があったなんて思いもしませんでしたよ。愛知県で事故ったからか、と考えるしかなかったですよ。
 私は驚きのあまり、尻もちをつきましたよ。体に激痛が走ったのは言うまでもありませんよ。もちろんニワトリは完全復活。コケコッコ地獄の再来ですよ。
 リハビリで疲れた私は全てが嫌になり、耳栓をして寝ましたよ。ただの気休めですが、脳内に響く鳴き声が少しだけ小さくなった気がしましたよ。

 その翌朝、目を覚ますと、頭の周りをぐるぐる回っていたのは5本の『ネギま』でしたよ。なんだか涙が止まりませんでしたよ。
 そして退院の日、私はヒヨコを1匹買って、家に帰りましたよ。妻は不思議がり、息子はとても喜んでましたよ。

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