見出し画像

【空想取材】 これからの時代の働き方 〜(株)KONAMON・CEO中林が語る「現場主義」〜

今回は(株)KONAMONのCEO・中林に話を伺った。
『たこ焼き器 2.0』を発売し、空前のたこ焼きブームの火付け役になった男は何を語るのか-。青春時代から開発秘話まで、惜しみなく話していただいた。

※このインタビューはフィクションであり、元となった自作ショートショート 「たこ焼き器2.0」の二次創作です。

原体験は大阪での出来事だった

画像1

(▲ 休日、自宅にて)

大学卒業後、大手銀行に就職した中林。(株)KONAMONの創業には、当時の体験が大きく影響していると言う。

中林「高度経済成長の真っ只中で、就職は入れ食い状態やったよ。受けたところは、みな受かった。その中で一番給料の良かった『いざなみ銀行』を選んだんや。研修期間が終わったら、大阪支社に行けって言われてな。当時の偉いさんなんか、皆もともと兵隊さんやったから、嫌ですなんかよう言わんかったわ。

大阪行ったら、ええ街でビックリしたよ。活気あるし、飯は美味いし、東京の下町とは違った味わいがあってな。馴れ馴れしいっちゅうんかな。
住吉のアパートに住んどったんやけど、隣にたこ焼き屋があって、優しい大将が“余ったから”言うて、くれたんよ。東京の下町生まれで、もんじゃしか食うたことなかったから驚いたなあ。カリカリの粉モンなんか食べたことなかったから。生地だけでも美味いのに、タコまで入っとる。お得やねぇ。

関西弁? その時からずっとや。感受性が強かったから、かっこええと思った時にはもう喋っとったわ」

たこ焼きの美味しさを忘れられなかった中林。出張のたびに足繁く通ったと言う。

中林「3年して東京の本社に戻ったんやけど、大阪出張のたびに店に行っとったね。行くたびに大将が『お前誰や!?』言うて、『中林です』『なんや、チューリンか』『音読みすな!』ってやり取りが、お決まりになっとったなあ。
それから大将が亡くなって2代目になっても通っとったけど、再開発で立ち退きになって、店畳んでもうたんや。でもほんまに美味かったから、ワシは『この味を残したい』言うて、有給使って、作りかた習いに行ったんよ。

それから東京で仕事しながらも、技術が落ちたらあかんと思て、家でたこ焼きはようけ作ったよ」

リストラを逆境とは捉えなかった

画像2

(▲ 売り上げを管理する中林)

中林「バブルが弾けて不況になって、いざなみ銀行が合併したんや。その時にリストラにあってな、家内は取り乱しとったけど、ワシはチャンスやと思たね。中間管理職やったから責任があったけど、会社員じゃなくなったら解放された。ほんでたこ焼きの会社しようと思って、(株)KONAMONを登記したんよ」

しかし、中林が会社を本格的に動かし始めるまでにはタイムラグがあった。

中林「ワシの戦力は銀行時代の経験と、たこ焼きの技術だけやったから、経営も採用も何にもわからん。ほんで『これからはコンピュータの時代』とも言われとって、退職金も貯金もあったから、まずは習いに行ったんよ。エンジニアってやっちゃ。初めてコード書いて、画面を自分で作れた時は嬉しかったね。この頃から、ぼんやり『たこ焼き×コンピュータ』って発想はあったかなあ」

ITの技術を身につけた中林。いよいよ、経営に乗り出す。

中林「息子が就職したときに会社の寮に入ったから、ワシと家内は大阪に引っ越したんよ。ほんで店舗借りて、アルバイト雇って、たこ焼き屋始めた。家内が労務の経験があったから、そういう関係は全部任せて。

ワシはホームページ立ち上げて、写真載せたり、感想を書いてもらえるようにしたな。それから5年くらい経ったらECサイトが伸びてきたから、そこで冷凍のたこ焼きを売り始めたんや。ライバルもおらんかったから、めちゃくちゃ売れたで」

たこ焼き器はあっても、なくてもいい

画像3

(▲ 近所を散歩中の中林。棒を使って鳥を追い払っていた)

10年あまりたこ焼き屋を経営し、店舗は大阪と京都に拡大。おっちゃんや店長と呼ばれていた中林も、いつの間にか社長に変わった。そこにある種の問題を感じていたと言う。

中林「会社が大きくなって、ええ人材も育ってきたから、現場には出なくてよくなったんや。でも結局、お客さんと触れ合ってないと、課題が吸い上げられへん。部下から報告が上がっても、肌感がないねん。

そこでもう一度、難波の本店に立ってみたんやわ。すると食べてもらう喜びもあったけど、作る喜びもあったんやわ。たこ焼き器を売ろうと思ったのは、その時かなあ。みんなに家で作って欲しいと思ったね」

メーカーと契約し、家庭用・業務用のたこ焼き器の販売に乗り出した中林。中でも家庭用たこ焼き器の売り方には自信があった。

中林「家庭用たこ焼き器って、あったらあったでええけど、なかったらなかったでええやろ? よっぽど好きじゃないと、一人ではたこ焼きせえへん。家族で一台、もしくは仲間の一人がもっとったらええんや。

そこで、大阪と東京の大学生に向けて広告を打った。サークルで一台を目指してな。あってもなくてもええもんやから、みんなきっかけがないと買わへんねん。そのためには強烈に意識ささんとあかん。だからビラ配ったり、サークル紹介雑誌のスポンサーになったりしたよ。もともと明確なマーケットがあるもんではなかったから、マーケット作るところからやったね」

たこ焼き器2.0へ

画像4

(▲ スワイプしてたこ焼きを転がす中林)

店舗、たこ焼き器ともに売り上げは好調。しかし業績は、一歩突き抜けられなかった。その時、目にした電気屋の広告に勝機を見た。

中林「IoTの時代が来たやろ? あらゆる家電がインターネットに繋がって、便利になる。そんな謳い文句の広告があったんやけど、家電一覧にたこ焼き器が入ってなかったんや。まあ序列で言うたら家電の中の最後尾やから、たこ焼き器なんか。でもワシはチャンスは逃さへん。絶対インターネットと繋げたろう、と思ったね」

メーカーにすぐに連絡し、中林自ら開発に乗り出した。

中林「相手さんの人員を割かせるわけにはいかんかったから、ワシがやるしかないと腹くくったね。場所だけ借りて、コード書いて実装しての繰り返しや。半年くらいかかったけど、ええもん作れたと思てるよ」

こうして、たこ焼き器2.0は日の目を見た。中でも特に気に入っている機能があると言う。

中林「スマホとは絶対に繋げなあかんと思ったね。あとは協力企業さんのおかげですわ。

特に気に入っとるのは、連動アプリを起動してスワイプしたら、タコ焼きが回るところかなあ。あとはTANITAさんとAPI連携しとるから、カロリー計算も自動で、食べた分はそのまま体重計アプリに反映されるのよ。これはスポーツマンや女の子に好評やで。

あとは何と言っても、ルンバちゃうかなあ。iRobot Corporationのマサチューセッツ本社に、営業に行ったんよ、たこ焼き器片手に。『この下にルンバ付けまへんか?』って。ほんだら、ユニークやなあって褒めてもろて、協力してくれることになった。何でもまず行動やね。

だからもう、青のりや鰹節が飛び散っても掃除せんでええやろ? でも『ワシのおかげや』って言いたいわけやないねん。みんなの掃除したくないってニーズがワシにアイデアを授けて、動かしてくれたんや」

なにごとも、ニーズは現場から

画像5

(▲ 中林の焼いたたこ焼き)

社長ながら、今でもアプリの新機能を開発しつつ、店舗に立ち続ける中林。その野望は尽きない。

中林「現場がベースやね、いつまで経っても。今度ソウルと上海の空港にも店舗を出すんよ。そこでたこ焼きのニーズを広げてから、たこ焼き器の海外事業やね。

部下にもいつも言っとんよ。現場に立てって。だからウチは営業もマーケティングも採用も、みんな立っとる。さすがに仕事に追われとる時は、社内用に開発した『VRたこ焼き屋』で済ますときもあるけどな。やっぱりお客さんのニーズが落ちとんは現場やで。肌を持って課題を体感してから仮説立てたら、何でも上手くいくわ」

来月には『ホットプレート2.0』をリリースする(株)KONAMON。食文化をリードする存在に、今後も目が離せない。

取材:ファビアン
model by まーちゃん(ぱくたそ)

※このインタビューはフィクションです

面白いもの書きます!