私と弟とこのせかい


「オレは、あの家じゃ日陰の存在だった」とよく弟は言っていた。
あの家、とは父親の実家のことだ。私は昔から学校の成績はよかった。
受験もまぁ成功した方に入るだろう。それを口々にみんなが褒める。弟は、あまり勉強は得意な方ではなかったため、言外に「それに引き換え弟くんはねぇ」という空気を感じていたのかもしれない。そんなこと思っていない、と本人たちはいうに違いないが、意識してるかそうでないかの違いだけだ。
「優しい子だけど、優しさでご飯は食べられないものね」と、そういえば父方祖母は言っていた。

私も私で、「女の子だったら〇〇大学くらいで十分でしょ」「女の子なんだから文系でいいじゃない」とか、随分なことを言われた。
そのくせ合格したら、手のひらを返したように「貴女はやると思ってたわ」「さすがまーちゃん!」と褒めちぎる。
大学に入ったら入ったで、今度は就職の話、OB訪問の話などをされる。それも、入りたての頃にだ。私は、勉強がしたくて大学に入ったのに・・・。

父方の家族は、例えるなら「30年前の日本における鉄板の、安心安泰出世コース」をフルコンボしたみたいな構成だ。もっと身もふたもない言い方をすれば、『金融系大企業か公務員に収まって終身雇用』、である。
そんなあの世界では、女の子は丸の内の事務職OLにでもなって、実家も会社もりっぱな殿方をさっさと捕まえてとっとと子供を産むのが美徳だ、といまだに信じられている。
男の子は、テレビで●●大芸能人とか〇〇ボーイとかもてはやされるような大学に入ってなきゃ、人間として終わっていると烙印を押されかねないのだ。弟は、押されそうになった。そして今は、私たちの年下の従兄弟たちにその順番が回ってきている。

「あなたたち姉弟は、男と女が逆だったらよかったわね」と昔は随分言われた。私は笑って受け流したけど、弟は内心、傷ついたに違いない。
昔は泣き虫弱虫甘えん坊、顔だってだんご鼻で・・・なんて言われた弟も、今や精悍な顔立ちの男性に成長し、りっぱな企業に就職もした。(履歴書から面接練習から最終プレゼンからできうる限りサポートした。自他共に認める姉バカである。)
父方の祖母は弟に会うたび弟を褒めちぎり絶賛していた。
引き換え、私はそういう『終身保険』から完全にコースアウトしたことを彼らも認めているせいか、私に対する扱いも随分あっさりしたものになった。
それでも、父方の70代祖母は「ひ孫は、女の子のひ孫は欲しいわ」と私に言う。「結婚しなくてもいいから、子供は産んで、女の子を」「ねえ貴女、卵子の冷凍保存、今のうちにやっておきなさい」と大真面目に、ニコニコ天真爛漫な顔で、言ってくる。
さすがに私もぞわぞわした気持ち悪さを感じた。
「あのねおばあちゃん、それ、年間維持費が100万はくだらないのよ。それ払ってくれるなら、やってもいいけど。それを10年20年、やってくれる?」
それを言ったら、その場は引き下がってくれた。彼女は、多分諦めていない。だから、会いたいくないのだ。

私たちには私たちが注意深く意識しないとおよそ気づけないほど深いレイヤーにあまりにも多くの『呪い』が潜んでいる。特に、ここ日本では。
親の介護は子どもがするのが普通とか、子供の面倒は親だけで完結させて然るべきであるとか。
男は女よりいい大学に行って立派な会社に入るべきとか、女は別に文系でも構わないであるとか。
一人暮らししなきゃ一人前ではないとか、恋人がいないなんておかしいとか、恋愛に興味がないなんて珍しいとか。
これらは全て私が、自分の家族の中で見たり受けたりしたものだ。
私は女なので、どうしても『女として』『女らしく』という大義名分の元、嵌められそうになった足枷ばかり思いだすが、これは社会通念としてのセクシャリティ全体にかけられた呪縛だろうと思う。
昨今のニュースを見ても思うが、きっとあの家は、今の社会の膿の縮図だった。

離れて未だなお、その呪いが時々私の足首を掴む。そのたび、苦しくなる。
けれど少しずつ、振り払っていくしかない。
今の世界や社会を自分が変えてやろう、と思えるほどのガッツは、私には湧いてこない。多分、多くの人がそうなんじゃないだろうか。
けれど、世界に自分を変えられないだけの強さは、持っていよう。


ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!