大好きだった祖母、大嫌いな祖母

小さい頃から母方の祖母が大好きだ。
しっかりしていて何でもきびきびこなす。私の最大の理解者。怒ったりなんかしないでいつでも私に優しい。
そう信じていたからこそ、あの夜祖母を頼り、今こうして一緒に暮らしている。

けれど、私が二十数年信じ続けていたそれが、間違いだったことにしばらくして気づく。
まずは日頃の生活態度。実家にいる頃家族みんながしていただらしなさはもう許されるものではなかった。休みの日に十時過ぎまで布団の中でだらだらしていたあの頃は、今となっては懐かしい。

それはむしろ生活態度が改められて良いのだが、しんどかったのは考え方の違いだ。
60も離れていれば生きて来た時代も全く違うし、考え方も違う。
「あなたたちは良いわね、豊かな時代で…私なんか戦後何もない時代が青春時代だったから…」はもう数えきれないほど聞いた。
その言葉の裏にある、「今の若いあなたたちはたるんでる、甘えている、わがままだ」が辛かった。
祖父母が現役の頃は働けば働くほど豊かになれた時代でもあるので、
「残業なんてして当たり前でしょ。じゃなきゃどうやって稼ぐの」くらいな勢いなのである。日本の労働生産性の低さが先進国の中でもダントツなのは最早有名な話だと思うのだが、その話をしても「ちょっとしか働かないで、どうして稼げるのかしら」と議論は平行線をたどる。

祖母がまだ元気だった頃はかなりきつい言い方で反論していた。(ほぼ反撃だったと思う) 祖母にわかって欲しかったというよりは、『自分の考え』≒『自分自身』を否定されたようでそれが嫌だった、というところだ。

彼女ががん(それもまぁまぁ進んだ)になってからというものの、もうそんな反論はしない。「奨学金なんて借金よ。あなたは借金持ちなのよ…恥ずかしいと思わないの」と言われても、ぐっと堪えた。夜中台所でこっそり泣いた。
「奨学金を返さなきゃいけないなんて、おかしい。奨学金は返すものじゃない。まーさん、何か悪いことした訳じゃないでしょ。日本はおかしいよ。」と言った、香港人の同僚の言葉を思い出して自分を慰めた。

そうやって堪えるうちに、漸く私は気づいた。
「価値観を完璧に共有するなんて、無理だ。例えそれが、大好きな人でも。家族だったとしても」
言葉にしてみれば当たり前すぎる。
けれど、多かれ少なかれ、親しい友人や、とりわけ家族に対して、私たちは期待しているんじゃないだろうか。
「この人は、私の考えを理解してくれる。共感してくれる。だって、家族だから。親友だから。」
友人の場合は鶏か卵かというところで、共感できるから友人になっているというところもあるだろう(多分そちらの方が多い)。けれど家族はそうは行かない。家族は、選べないからだ。

価値観が自分と真っ向から違うと、本当に悲しくなる。けれど、もうそれは、仕方ないことだ。諦めるよりほかない。
また、そうやっていくうちに気づくことがある。「完璧に分かり合えなくても、それは大した問題じゃなかった」ということ。
完璧に全て理解してはもらえない、ということは、全てを理解しあえないわけではないということでもある。共有できない価値観もあるけれど、共有している価値観もまたそこに在ったということ。
私たちで言えば辛いものが好きであるとか、歌を口ずさむのが好きとか、例えばそんなところ。料理の塩加減の好みもそっくりだ。
「こんな辛いもん、わしは食えんわ」と祖父がいつもひーひー言うのを、「ちっとも辛くないわよ、ねぇ?」「うんほんとほんと」と涼しい顔をして二人で意地悪をする。別に働き方の考えが違ったって、大したことじゃない。そう思えばいい。

祖母は病気になってからと言うもの愚痴っぽくてすぐ機嫌が斜めになる。気に入らないと思う行動を見つけるとすぐ忌々しそうに指摘する。ちっとも完璧でもないし優しくもない。
けれど今日、頼まれた洗面台の掃除を徹底的にやり、ついでに100均に行って収納グッズを買い整理もしてみた。
「輝くようだわ、まーちゃん。いつもよく働いてくれてありがとうね」と言われた。やっぱり、祖母は私に優しかった。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!