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父と、わたしと、あるひとと

かつて、わたしにむかって「お前は分裂病なんじゃないか?」と吐き捨てたのは父だった。

熱湯の入った鍋を流しにぶちまけて威嚇してきたのは父だった。

不機嫌さで家族を支配していたのは父だった。

高校生のわたしがマニキュアをしているのを見て「ふざけたことをしていると殴るぞ」と脅してきたのは父だった。

怖い夢を見て泣いているわたしに「しょうもない本を読むからだ」と言い捨てたのは父だった。

結婚も出産もする気がないと言ったわたしに「どうしてくれるんだ」と言ったのは父だった。

「鬱っぽくなってて働けない」と言ったわたしに「そんなことどうでもいいから迷惑をかけるな」と言ったのは父だった。

母の実家で決して玄関から先に踏み込もうとしなかったのは父だった。

わたしに洋楽と出会うきっかけをくれたのは父だった。

わたしに映画の面白さを教えてくれたのは父だった。

英語の詩を教えてくれたのは父だった。

清潔とは継続であると教えてくれたのは父だった。

わたしが日々生きるためのお金を稼いでくれていたのは父だった。

わたしの素となったひとりは、まちがいなく父だった。

わたしは父が嫌いだった。
大嫌いで、そして認められたかった。
捨てられないし、捨てられたくないと思っていた。
父を軽蔑しながら、父の暴戻さに倣い、父の支配的な態度を真似た。
真似をしている自覚などさらさらなかった。それは単に正しいふるまいだった。当時わたしの中では。
父の言動に委縮し、それを憎み、疎んじていたのに。
だからわたしは自分がよく分からなかった。
自分のことが嫌いだった。
でも音楽は好きだった。映画も、詩も。
それらはわたしのことを助けてくれた。わたしの日々を明るくしてくれた。
だから音楽や映画や詩をくれた父に、わたしは感謝をしなければならないと思っていた。
すべての素になった父に、ずっと感謝し、ずっとひれ伏し続けなければならないと思っていた。

ある日、あるひとがわたしの人生に現れて言った。

「あなたのお父さんがticket to rideを書いたの?」

そんなわけがなくて、わたしは笑った。
当たり前のことだった。
close to youもHotel CaliforniaもLoco-Motionもベンチャーズのギターも、なにひとつ父が作ったものなどないのだった。
かつて父の本棚にそのCDが並んでいたというだけだった。

「わたしもYouTubeでたまたま聴いた曲好きになることとかよくあるよ」

彼女がそう言ったので、それからわたし達はYouTubeで流行っている音楽の話をした。
オールディーズのリバイバルや、まったく新しい日本の音楽のことを。
わたしが出会って、わたしが自分で好きになったもの。

わたしを作ったのはたしかに父だった。
わたしの価値観を、わたしの攻撃性を、わたしの繊細さを、わたしの臆病さを、わたしの苦しさを、作る素になったひとりは、間違いなく父だった。
でもそれはすべてじゃない。
わたしのすべてではない。

わたしは自分で出かけていって、音楽や映画や詩や、そういった素晴らしいものたちに、自分で出会ってきたのだ。

「あなたのお父さんがticket to rideを書いたの?」

そう言った友人とは、今でも時々LINEをしている。
わたしが自分で出かけていって、自分で見つけた友人だ。

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