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日本の学校給食の変遷

昭和時代から令和時代まで


〈目次〉
1.はじめに
2.日本の学校給食の変遷
3.年代別の給食メニュー 
(1)昭和初期から昭和中期の給食メニュー
(2)昭和中期から昭和後期の給食メニュー
(3)平成から令和の給食メニュー
4.おわりに


1.はじめに

私は昭和生まれで、学校給食が大好きでした。

私の記憶では、小学校の給食の主食はパンでしたが、高学年の時から週に1回ぐらい、お米のごはんが出始めたのを記憶しています。

学校給食は、子どもたちの栄養と健康に大切な役割を果たしています。

今回は、学校給食の変遷を給食メニューに照らし合わせながら、ご説明いたします。


2.日本の学校給食の変遷
1889(明治22)年、山形県鶴岡町(現・鶴岡市)の大督寺というお寺の中に建てられた、私立忠愛小学校で、生活が苦しい家庭の子どもに無償で昼食を用意したことが、日本における学校給食の起源とされています。

その後、1923(大正12)年には児童の栄養改善のための方法として、学校給食は国から奨励されるなど、少しづつ広まりをみせました。

しかしながら、戦争による食料不足などを理由に、中止せざるを得なくなりました。

そして、戦後になると、食糧難のため児童の栄養状態が悪化し、国民の要望が高まったことで、学校給食が再開されました。

1954(昭和29)年には「学校給食法」が成立し、実施体制が法的に整いました。

更に、2009(平成21)年に「学校給食法」が改正施行されると、学校給食を取り巻く環境はさらに向上していきました。


3.年代別の給食メニュー
学校給食は、時代の中で形を変えていきました。今、給食を食べている子どもたちと、お父さん・お母さん、おじいさん、おばあさんとでは慣れ親しんだメニューが異なります。

給食メニューを年代別に紹介します。

(1)昭和初期から昭和中期の給食メニュー
戦後は捕鯨が推進されていたことや、鯨は低カロリーで高たんぱくなこともあり、鯨肉を使ったメニューが人気でした。

飲み物には、脱脂粉乳が提供されていました。牛乳から脂肪分をぬいた粉ミルクを水でとかしてあたためたもので、独特のにおいがあるます。
そのため、苦手な子どもも多かったようです。

また、主食にパンが出されたことで、日本人の食生活を変えたともいわれています。

◼︎人気メニュー(例)
・鯨の竜田揚げ
しょうが汁と醤油で下味をつけた鯨肉に、片栗粉をまぶし、油で揚げた料理です。かつては学校給食の定番メニューでした。

・コッペパン
ジャムを塗ったり、おかずをはさんで食べます。1976(昭和51)年に、米飯の給食が正式導入されるまで主食として定着していました。


(2)昭和中期から昭和後期の給食メニュー 
洋風化が進み、現在でも人気のカレーライスやスパゲッティなどのメニューがみられるようになりました。

コッペパンが主流だったパンのバリエーションも多様化し、米飯も導入されました。
鶏肉や豚肉もよく提供されるようになり、飲み物も脱脂粉乳から牛乳に切り替わりました。

◼︎人気メニュー(例)
・ソフトめん
正式名称は、「ソフトスパゲッティ式めん」といいます。学校給食向けに開発され、袋から出しためんをミートソースやあんかけなどと、からめて食べました。

・揚げパン
コッペパンを油で揚げ、砂糖などで味つけしたスイーツ的な感覚のパンです。砂糖の他にも、きなこ、ココア、シナモンなど、色々な味のバリエーションがありました。

(3)平成から令和の給食メニュー
韓国料理、イタリア料理、フランス料理のメニューが取り入れられるなど、国際色が豊かになるました。

食育(※)を意識して、昔ながらの郷土料理、行事食なども提供されています。地産地消が推進され、地元の野菜を取り入れる学校も増えてきました。

(※)
「食育」とは、様々な経験を通じて、食に関する知識と食を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てることです。

◼︎人気メニュー(例)
・カレー
近年の給食では、白米ではなくナンが一緒に出ることもあります。
ご当地メニューも人気で、広島県江田島市の小中学校で海上自衛隊公認の「江田島海自カレー」が出されました。

・鶏肉の唐揚げ
サクッとジューシーな歯ごたえで、ご飯に合うおかずとして大変人気があります。

4.おわりに
子どもたちの栄養と健康のため、学校給食はとても大切です。
これからの学校給食も時代ともに変化していくと思います。



以上

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