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噤みの午後 Diary

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「噤みの午後日記」の続編。ただし身辺雑記厳禁。
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夏休み読書リスト: 現地調達篇

夏休み読書リスト: 現地調達篇

7月11日ウラジオストックから成田に飛んだあと、昨日(8月5日)羽田からミュンヘンへ帰ってくるまで、関東、関西、九州をうろつき回りながら、毎日のように人と会っていた。そしていま、僕の前にはうず高い書物の山。うち自分で買ったのは二冊だけで、あとはすべていただいたものだ。手に取るたびに、日本の夏の思い出が蘇る。ミュヘンに残された(あと僅かな)夏を、これらの本に読み耽ることで満たしてゆこう。以下はそのリ

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小池昌代の〈詩と小説〉: 『赤牛と質量』を読む その4

小池昌代の〈詩と小説〉: 『赤牛と質量』を読む その4

 あともうひとつだけ、どうしても論じてみたい詩があるとすれば、「釣りをした一日」で、それは詩集の4番目に配されているのだった。困っちゃうな。これじゃきりがないよ。

実際、この詩集の最初の4作品には、異様な力が込められている。登板早々、いきなり連続三振を奪うベテラン投手の迫力である。選手生命を賭けて投げているのだ。『赤牛と質量』は、きっと小池さんの代表作になるだろう。(ここで前言撤回。どうしても論

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世界を繋ぐふたつの書店:Traga Mundosとワールドエンズ・ガーデン

世界を繋ぐふたつの書店:Traga Mundosとワールドエンズ・ガーデン

先月、復活祭のさなかにポルトを訪れた。ポルトガルの北部の古都である。

(ポルトの町の様子はこちらから↓)
https://note.mu/eyepoet/n/n5a22350d3f8b

本当の目的地は、スペイン・ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラだったのだが、地図を見るとそれほど遠くないようなので、寄り道することにした。街自体もさることながら、会いたい人がいたのだ。

そのひとりが、

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映画「US」と小林敏明「故郷喪失の時代」(文學界 2019年6月号)

映画「US」と小林敏明「故郷喪失の時代」(文學界 2019年6月号)

今ミュンヘンで公開中の映画「Us」(ドイツでの題名は「Wir」)は、ホラー映画の形を取りつつ、そして実際に観てみるとすごく怖いわけだけれど、現代米国社会への批評をこめた風刺劇でもある。

監督はJordan Peele。前作の「Get out!」もホラーにして社会風刺、怖くて悲鳴を上げつつも、鋭い批評性が感覚的な恐怖と絶妙のバランスをとって、観終わったあとには、なぜか爽やかで力強い印象が残るものだ

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サルマン・ラシュディ、イタロ・カルヴィーノを朗読する

サルマン・ラシュディ、イタロ・カルヴィーノを朗読する

先日ニューヨーカー誌のポッドキャストを聴いていたら、サルマン・ラシュディがイタロ・カルヴィーノの短編を朗読するという。題名は、「Love Far from Home」。聴いているうちにどこかで読んだような話だと思い始めて、本棚を調べてみると、やっぱりそうだ。和田忠彦さんが訳している「愛ー故郷を遠く離れて」ではないか。岩波文庫の『魔法の空・空を見上げる部族」で一読して深い感銘を受けた覚えがある。

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フランク・オハラを飯野友幸さんと読む

フランク・オハラを飯野友幸さんと読む

飯野友幸さんから待望のオハラ論が届いた。『フランク・オハラ 冷戦初期の詩人の芸術』(水声社)だ。

フランク・オハラは以前から気になる詩人だった。彼の書く詩が自分の好みだということははっきりと分かるのだが、その理由を言い当てることができない。そもそもほとんどの作品が、読んでいて心地よいのだけれど、何を言っているのか分からない、実にもどかしい存在だった。そのもどかしさを解きほぐしてくれる導き手の到来

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ペナインウェイ・フォトアルバム

ペナインウェイ・フォトアルバム

先週日曜日の日経「日曜随想」に書いたイギリスの山歩き、ペナインウェイの写真です。

出発の朝はいい天気だったのだけれど、途中から急に霧が出てきて、そこから悲劇は始まるのでした。

帯の話

帯の話

柴田元幸さんに新刊『前立腺歌日記』の帯文を書いていただいた。柴田さんに帯文をいただくのは、実はこれが二回目である。最初はいまからちょうど10年前、栩木伸明と一緒に訳したサイモン・アーミテージの詩集『キッド』(思潮社)だった。柴田さんはこんな風に書いてくださった。

「詩とは翻訳で失われる何かである」とロバート・フロストたちは言った。
「詩とは翻訳で得られる何かである」とチャールズ・シミックたちは言

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田中庸介『モン・サン・ミシェルに行きたいな』を読みたいな

田中庸介『モン・サン・ミシェルに行きたいな』を読みたいな

なにを隠そう、ぼくは田中庸介の筆跡フェチである。彼から郵便が届くたびに、封筒の宛名を眺めてうっとりする。それからおもむろに封を切るのだけれど、中身はたいてい詩の雑誌「妃」である。

ついこのあいだも「妃」の最新号が届いた。表紙に「一番高貴な詩の雑誌」と銘打ってある。ここからもう田中庸介の気配が滲み出ている。たしか前の詩集『スウィートな群青の夢』の帯には「当代最高の詩のスピリット!」と銘打っていたっ

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遅ればせながら、「びーぐる」41号 (その3): フォトポエム 「篠栗に来い」

遅ればせながら、「びーぐる」41号 (その3): フォトポエム 「篠栗に来い」

フォトポエムは最初高階杞一さんと組んで、ぼくが写真を提供し、彼がそれに詩をつけるという形でやっていた。その成果が『千鶴さんの脚』という詩集に結実したのを機に、今度は僕が自分の写真に自分で詩をつけるという形で引き継いだ。それがなんとまあもう4年も前のことである。

自分一人でやると、ついつい詩の付けやすそうな写真を選んでしまうという危険がある。写真と言葉がある種の共犯関係に陥ってしまうのだ。まったく

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遅ればせながら、「びーぐる」41号 (その2): 海外現代詩紹介 Marie de Quatrebarbes

遅ればせながら、「びーぐる」41号 (その2): 海外現代詩紹介 Marie de Quatrebarbes

こちらも創刊以来続けているコーナー。「PIW通信」は日本の現代詩人を英訳を通じて海外に紹介している活動の報告だが、こちらはその逆で、海外の現代詩人を日本語訳とともに紹介する。僕が海外の現代詩にふれる機会はもっぱら詩祭であり、その中でもPIW の母体であるRotterdam のPoetry Internationalは最大規模の詩祭のひとつだから、いきおいそこで知り合った詩人を紹介することも多くなる

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遅ればせながら、詩の雑誌「びーぐる」41号: PIW通信「大崎清夏特集」

遅ればせながら、詩の雑誌「びーぐる」41号: PIW通信「大崎清夏特集」

「ファシズムの夏」と題した日記に「びーぐる」41号の秋山清特集について書いたが、その直後、日本から雑誌が届いた。

表紙の写真はずいぶん昔ミュンヘンで撮ったもので、自分ではすっかり忘れていたのだが、細見和之さんが掘り出してきてくださった。毎回特集の企画を担当する者が、表紙の写真も選ぶというしきたりなのだ。秋山清のイメージとこの写真がどう結びつくのだろうと若干不安だったのだが、手にしてみるとなんとな

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ファシズムの夏:その4 フォトエッセイ 「ニュルンベルク裁判所」

ファシズムの夏:その4 フォトエッセイ 「ニュルンベルク裁判所」

ウンベルト・エーコ『永遠のファシズム』(和田忠彦訳 岩波現代文庫)は、戦争犯罪をめぐる考察のなかでニュルンベルク裁判についても言及している。

勝者が勝者の論理によって敗者を裁くという点について、「厳密な適法性もしくは国際的慣例の範囲からみて、あれは越権行為だった」としながらも、エーコは「ニュルンベルクでの議論は一点の落ち度もない。忍耐の限度を超えた振る舞いに対しては、法律を含め、規則を変える勇気

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