四元康祐

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詩人、小説も少々。でも本当に好きなのは写真? このホームページは現代詩の批評フォーラム Japan Poetry Review (jpr) と連動し、その一部をご紹介するとともに、現代詩以外の話題も取り上げています。jpr へはこちらから。 https://note.mu/jpr

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    日本の現代詩の批評フォーラム Japan Poetry Review (jpr) のうち、四元康祐が投稿したコンテンツのみ収めています。jpr の全貌は、以下のリンクからお入りください。 https://note.mu/jpr 開かれた言葉で、個々の作品に寄り添いながら、総体として日本の現代詩の大きな見取り図を描いてゆきます。

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    詩集や詩作品の紹介、鑑賞。

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    「噤みの午後日記」の続編。ただし身辺雑記厳禁。

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    知らなくても生きてはいけることばかりだけれど……

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    詩論、詩人論など、現代詩を考察するする文章。

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中原中也「朝鮮女」を読む

朝鮮女 朝鮮女の服の紐 秋の風にや縒れたらん 街道を往くをりをりは 子供の手をば無理に引き 額顰めし汝が面ぞ 肌赤銅の乾物にて なにを思へるその顔ぞ ―― まことやわれもうらぶれし こころに呆け見ゐたりけむ われを打見ていぶかりて 子供うながし去りゆけり…… 軽く立ちたる埃かも 何をかわれに思へとや 軽く立ちたる埃かも 何をかわれに思へとや…… ……………………………                        (『在りし日の歌』収) この詩には「世間」が描かれている

    • 細田傳造 『アジェモニの家』を読む

      二週間かけてシベリア経由で日本に行って、三週間うろうろして、ミュンヘンに帰ってきてからも友人とふたりでチェコを旅したりして、二ヶ月ぶりに静かな日常が戻ってきた。これまで読めていなかった詩集を少しずつ読み始める。 今日読んだのは細田傳造の『アジェモニの家』。朝食の席で手にとってそのまま一気に最後まで読み通してしまった。こんなにすごい詩人がいたのか、とびっくりする。 中学が通る 朝七時四十七分 中学がふたり 小声で話を しながら通る (略) 中学が通る おなじ大きさのカバンを

      • 夏休み読書リスト: 現地調達篇

        7月11日ウラジオストックから成田に飛んだあと、昨日(8月5日)羽田からミュンヘンへ帰ってくるまで、関東、関西、九州をうろつき回りながら、毎日のように人と会っていた。そしていま、僕の前にはうず高い書物の山。うち自分で買ったのは二冊だけで、あとはすべていただいたものだ。手に取るたびに、日本の夏の思い出が蘇る。ミュヘンに残された(あと僅かな)夏を、これらの本に読み耽ることで満たしてゆこう。以下はそのリストである: 『ぎぎよしらむ 第0号』(小林真楠 冨所亮介ほか)7月16日 早

        • 高階杞一 + 松下育男 『共詩・空から帽子が降ってくる』

          高階さんから「新しい詩集を送るよ」とメールがあって、楽しみに待っていたら、届いた詩集には高階さんの他に、松下さんの名前もあった。しかもそのふたつが「+」で繋がれていて、題名には「共詩」と謳われている。おまけに帯には「ライト兄弟」(!)とあるではないか。 共同で書く詩と言えば、昔は連歌や連句、最近では連詩がある。連詩でもふたりだけで行う場合は「対詩」と呼んだりする。僕も小池昌代さんや田口犬男さん(今ごろどこで何をしているのだろう?)と、一年以上の時間をかけて詩をやり取りしたこ

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          小池昌代の〈詩と小説〉: 『赤牛と質量』を読む その4

           あともうひとつだけ、どうしても論じてみたい詩があるとすれば、「釣りをした一日」で、それは詩集の4番目に配されているのだった。困っちゃうな。これじゃきりがないよ。 実際、この詩集の最初の4作品には、異様な力が込められている。登板早々、いきなり連続三振を奪うベテラン投手の迫力である。選手生命を賭けて投げているのだ。『赤牛と質量』は、きっと小池さんの代表作になるだろう。(ここで前言撤回。どうしても論じてみたい詩は、ほかにも表題作の「赤牛と質量」と「黄金週間」などあって、こちらは

          小池昌代の〈詩と小説〉: 『赤牛と質量』を読む その4

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          48 Hours in Porto

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          世界を繋ぐふたつの書店:Traga Mundosとワールドエンズ・ガーデン

          先月、復活祭のさなかにポルトを訪れた。ポルトガルの北部の古都である。 (ポルトの町の様子はこちらから↓) https://note.mu/eyepoet/n/n5a22350d3f8b 本当の目的地は、スペイン・ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラだったのだが、地図を見るとそれほど遠くないようなので、寄り道することにした。街自体もさることながら、会いたい人がいたのだ。 そのひとりが、アントニオ・アルベルト・アルヴェス(Antonio Alberto Alves)

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          小池昌代の〈詩と小説〉:『赤牛と質量』を読む その3

          この詩集に収められている詩を、片っ端から網羅していこうというわけではないが、三番目の詩「香水瓶」もどうしても外せない。現代詩における〈自由〉を問いかける作品だからだ。それは僕が詩集『単調にぼたぼたと、がさつで粗暴に』で取り組んだ問題でもある。 20年前に詩の賞の副賞として貰った6本の香水瓶から詩は始まる。 それぞれの瓶にアルファベットが刻まれ 普通に並べれば poetry ぽぅえっとりぃー こんな洒落た贈り物をくれる賞といえば、花椿賞だろうか。でも貰ってから20年経った

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          映画「US」と小林敏明「故郷喪失の時代」(文學界 2019年6月号)

          今ミュンヘンで公開中の映画「Us」(ドイツでの題名は「Wir」)は、ホラー映画の形を取りつつ、そして実際に観てみるとすごく怖いわけだけれど、現代米国社会への批評をこめた風刺劇でもある。 監督はJordan Peele。前作の「Get out!」もホラーにして社会風刺、怖くて悲鳴を上げつつも、鋭い批評性が感覚的な恐怖と絶妙のバランスをとって、観終わったあとには、なぜか爽やかで力強い印象が残るものだった。 前作が黒人に対する人種差別をテーマにしていたの対し、今回は貧富の格差、

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          Camino Finisterra: 〈地の果て〉まで歩く

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          小池昌代の〈詩と小説〉:『赤牛と質量』を読む その2

          詩集の二番目に置かれている「ジュリオ・ホセ・サネトモ」という作品には、見覚えがあった。以前雑誌で読んだ時の、冒頭の印象が強烈だったからだ。 妻とはセックスしない 妻だけでなく もうだれとも 韓国で出会ったスペイン人 ジュリオ・ホセ・マルティネス・ピエオラは言った 韓国で開かれていた詩祭の席で飛び出した発言らしい。「一座は湧いた」「韓国ではまだ/みんな妻と性交をしている/日本ではーー」などと言っているうちに、例によって話はポーンと飛んで、ジュリオ・ホセというこの男が詩に目覚

          小池昌代の〈詩と小説〉:『赤牛と質量』を読む その2

          森山至貴さんとの往復書簡「詩と音楽と社会的現実」が(ひとまず)完結しました。

          2017年の春から14往復、28編にわたって連載してきた森山至貴さんとの往復書簡がこのたび最終回を迎えました。言葉と音楽、覚醒と陶酔、創作の技法、翻訳、言語的クィアとしての詩、天皇制、エロス、愛、自由といったテーマについて、その時々の互いの実作活動に即して語り合ってきました。この企画を持ちかけたのは僕の方ですが、正直言って、始める前はこんなに長く、そして深く語り合うことになるとは思ってもみませんでした。そして実は、森山さんからの最後の手紙にお答えしたいことや、これまでの手紙で

          森山至貴さんとの往復書簡「詩と音楽と社会的現実」が(ひとまず)完結しました。

          森山至貴 x 四元康祐 往復書簡 「詩と音楽と社会的現実と」: 最終回 コロスとコーラス、「炊飯器」、「A Freedom Song」、まだ歌われない歌

          From M to Y お返事を書かねば書かねばといっているうちに日本は10連休におよぶゴールデンウィークに突入してしまいました。例年では、左右をちらちらと見ながら「いっせいのせ」でないと休むこともできない、と人々が我が身を嘆く古典的で日本人らしい自虐を耳にし、私としてはその陳腐さに鼻白むことも多いのですが、今年は少し様子が違うようです。 ご存知の通り、5月1日から新しい天皇が即位し元号が変わります。日本はどこもかしこも「平成最後の〜」と銘打ったあれこれに満ちており、数日

          森山至貴 x 四元康祐 往復書簡 「詩と音楽と社会的現実と」: 最終回 コロスとコーラス、「炊飯器」、「A Freedom Song」、まだ歌われない歌

          小池昌代の〈詩と小説〉: 『赤牛と質量』を読む その1

          小池さんの最新詩集『赤牛と質量』の特徴は、自由自在な重層性だ。 冒頭に置かれた「とぎ汁」を見てみよう。 死ぬときも こぎれいにしておかなくちゃいけない なんて言って ハサミ、シャキシャキ せっせと他人の 髪の毛を切ったり 顔を剃ったり (中国では みみたぶにも剃刀をあてるの) そして百二歳まで生きた 胡同(ふーとん)の床屋さん 出だしの部分だが、いわゆる口語自由詩の典型的なスタイルだ。カッコのなかの言葉が、ちょっと異質な声を予感させるけれど、ふつう「詩」と聞いた時、たい

          小池昌代の〈詩と小説〉: 『赤牛と質量』を読む その1

          平成の詩 ふたつ: ユリイカ篇

          実は、最初西日本新聞のために平成の詩を書いたとき、とんでもない間違いをおかしてしまった。行数と段落数を勘違い(!)して、指定された分量の三倍ほど書いてしまったのだ。書き上げる直前に気がついて、青くなった。駄目だろうとは思いつつ、暗澹たる気持ちで最後の数行を書き上げて、担当のデスクに事情を話したら、案の定「絶対無理」という返事。 仕方なく一から書き直したのが、前篇で紹介した「平成を脱ぎ捨てて」である。最初の長過ぎる作品は「平成の父子」というタイトルだった。昭和天皇が「ご崩御」

          平成の詩 ふたつ: ユリイカ篇

          平成の詩 ふたつ: 西日本新聞篇

          今年に入って、平成の詩を二篇書いた。最初は西日本新聞からの依頼で、これは「平成ララバイ」という企画の一環だった。平成を回顧するシリーズの合間に毎月ひとつずつ詩を挟んでゆくという。第一回目の詩は1月に松本圭二。2月が僕で、3月には三角みづ紀が書いている。令和の時代が始まるまで、あとひと月は続くのだろう。誰が書くことになるのか、楽しみだ。 僕の書いた詩は次のようなものだ。   平成を脱ぎ捨てて 平成が始まった時 父は五十六歳、僕は二十九歳 僕らは平成を象徴するもう一組の父子

          平成の詩 ふたつ: 西日本新聞篇