遠のいていたモヤ感
忘れちゃうことって、本当にたくさんある。
そんなに忘れちゃうのに、どうでもいいことはいつまでも頭の隅にこびりついていたりする。本当にどうでもいいことなのに。
忘れちゃうのは大したことじゃないから忘れちゃうんであって、
どうでもよくなかったら覚えているもんだ、なんて、誰が言ったんだろう。
。。。かつてのわたしだ。なんと生意気な。
10代?20代だった? 一度聞いたら忘れない、記憶の引き出しがパカパカ開いてスルスルいろんなことを出し入れできるのが当たり前と思っていた頃。
どうでもいいことも、大事なことも、つぶさに鮮明に覚えていて、脳内保存期間が長い。その分、神経が立ちやすかったりして、ちょっとしたことでイラッとしたり、モヤッとしたり、気を回しすぎて疲れ果てたり、思い出し笑いや思い出し泣きしたり、思い返せば、なんか、いそがしそうだったな。
遠い過去、日記の中のわたし。確かにわたしなんだけど、自分じゃないみたいに見えてくる不思議。そうか、こんな感じだったっけ。
”忘れちゃうのは大したことじゃないから忘れちゃうんであって、
どうでもよくなかったら覚えているもんだ”
この時はきっと、想像もしなかったんだろうな。
大したことすぎて抱えきれなくなると記憶が飛ぶこともある、と。
渦中にいる時は必死すぎて覚えてない。振り返らずに走り通そうとするから。そうしないと、自分が保てない。なんでもない、大したことないというふうに言い聞かせながら前を向いて走らないと、溺れてしまうから。振り返ったら終わり、迷ったら最後、区切りがつくまでは絶対に振り返れない。
数年経って、ようやく、あの頃、本当にしんどかった、と、吐露できるようになった気がする。
脳は、覚えていないけれど、自分再生のプロセスはつぶさに追うことができる。書き散らかしてきた、たくさんのノートと手帳を見ればすぐに。そうやって、この先も必要なことだけをつないで、書き残していくようにしてからは、脳にも余計な負荷がかからなくなったように思う。何より、イライラしたり、クヨクヨ悩む時間は格段に減った。
最近、『大豆田とわ子と三人の元夫』で、すっかり遠のいていたモヤ感が呼び起こされ、追体験で思い出したどうでもいいことがしばらく頭の隅にこびりつく。
でも、ドラマおもしろくて。。。つい見ちゃう。
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