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生きとし生けるもの、その全て。

『怪物』を観て感じた、愛おしさ

この息苦しさを何と表現すれば、今この投稿を読んでいる貴方に百パーセントの全てを伝え切れるだろう。

首を掴まれているように喉の奥が詰まって、嗚咽しか出てこない。
Aquaが今でも脳の隅の方で静かに鳴っている。
この胸の痛さは感動ではない。
切なさでもない。
哀しみでもない。
何者かわからない何かに身体中を侵食されて、その勢いに怯えながらも救われた気がするのは、一体なぜなのだろうか。

そこそこ多忙な日々を送りながらも、ずっとずっと観たいと願っていた作品をようやく観ることが出来た。

一分三十秒の予告を見たい気持ちを抑えて、作品に関する情報を出来うる限りシャットダウンした状態で、劇場に足を運んだ。
知っていることは、出演者が安藤サクラと永山瑛太、田中裕子、少年二人ということ。
タイトルが『怪物』だということ。
そして、楽しげな「怪物、だーーーれだ?」と言う少年たちの声のみ。

是枝監督の作品は脚本も監督自身が書いているというイメージが強くて、今回、坂元裕二さんに脚本を託したということには少し驚いた。
きっと彼の脚本だから、几帳面かつ緻密な作風なのだろうと、勝手に予想していた。
怪物は誰なのだろう。
あの三人の中に、正体が隠れているのだろうか。
名探偵気取りの自分を恥ずかしむことなく、私は画面に食いついた。

結果、私は劇場を泣きながら出る羽目になってしまった。
何があって、こうだった気持ちがこう変わってしまって、だから今私は泣いているのだと言う説明が一切合切できないほどに、訳わからぬ混乱の中、ただ涙が溢れて止まらなかった。
全てを攫われてしまった。
私の全てを、この作品が掴んで離してくれない。
過去も現在も未来も、その全てをこの作品なしでは説明出来ない程に。
目がパンパンに腫れていても、作品のパンフレットはきちんと購入した。
涙でぐしょぐしょの目を見られたくなくて、伸びてきた前髪を手のひらで押さえつけながら、小さい声で「怪物のパンフレットを一部ください」と言った。それでも店員さんにはバレバレで、若干笑われた、気がする。
ついでに蔦屋家電で『怪物』の特集が組まれた雑誌も購入した。
もう、やけくそだった。

家に帰り、ぬるい湯の張ったバスタブの中で、瞼を閉じてAquaを聴いていたら、また泣いてしまった。
青い草の茂った獣道を駆けていく二人の少年の後ろ姿が頭にこびり付いて離れない。
”怪物”のことを少しでも考えれば泣けてしまうくらい、心が握りつぶされてしまっていた。


風に靡く、湖の表面。
どこまでも青い、山奥の孤城。
そこから伸びる、古びた鉄橋。
壊れた自動車と、燃え上がるビル。
Aquaを聴くたびに、ワンシーン、ワンシーンが一枚の写真になって頭の中に保存されていく。

その一枚一枚を振り返っていると、
怪物は、どこにでもありふれた姿に化けて、息を潜めて我々の日常に紛れているのかもしれない。
ふと、そう思った。

「しゃーないやん、人間なんだもの」
安藤サクラさんが、ある雑誌のインタビューでそう語っていた。
初号試写を見終わった後、二人の輝きに心が震えて、号泣してしまった。
そして、ケロッとした顔で彼女を待っていた二人を見て、たまらなくなってまた泣いてしまった、と。
生まれてきてくれてありがとう、と泣きながら言ったという。
「生きとし生けるもの全てが美しく『しゃーないやん、人間なんだもの』と温かく抱きしめたくなりました。」
彼女のこの言葉に、私はようやっと、この息苦しさは、心臓が突かれたような胸の痛みは、まさに温みそのものなのだ、と納得できた。
ずっと浸かっていたいほどに温くて、心地よくて、柔いココロが丸ごと抱きしめられるような、愛おしさ。
こんな感情が自分の中にあったなんて、と自分で自分に驚いてしまって、その弾みでこぼれた涙が、尾を引く温もりに促されて止まらなかったのかもしれない。



ハートの頭をした真っ黒の怪物を、今すぐ抱きしめたい。
大丈夫だよ。大好きだよ。ずっと一緒だよ。
どの言葉を選んでも陳腐で、でも黙らずにはいられない。
劇中曲「Aqua」の凜とした一音一音が、弱虫な私の背中をそっと押す。

不安で、怖くて、先行き見えず足元暗く、安定しているものなど何ひとつ無い今のこの現状も、一度受け入れてみようじゃないか。
ごろんと抱きしめて、床に転がって、それでも無理なら、その時は、また。
こんなふうに思わせてくれるような作品は、他にはない。
もしこのような経験が人生最後になろうとも、後悔しないほどに、私はこの作品に救われた。

作曲家 坂本龍一さんのご冥福を心よりお祈りいたします。



雑誌『SWITCH』6月号『怪物』が描くものにて、一部抜粋

※作品公式インスタグラムはこちらから



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