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大好きな彩瀬まるさんの最新刊『かんむり』を読んで。

先進国の中でずば抜けて遅れを取り、「多様性を重んじる社会」を「必死に目指す」、「我慢することが未だに美徳とされる」我が国では、自己肯定感の圧倒的な低さと穏やかな国民性も相俟って、当事者達が後進国程の社会提議すらしない。

当事者同士、被害者同士が同じ立場の者の権利を奪い合い、自分の傷だけ舐めて貰いたがる最悪の図式が、日頃からあちこちで散見される。

根本的に何か一つの事に対して、自分が他人と異なる意見や優先順位や重要度を持っている事は自覚し、不快感を示すのに、同じ様に他人がそれらを持っている事に、まるで気が付かない。

他者を知ろうとする以前に、自分を知ろうとせず、自分が何を望み、何を望まず、何に傷付き何に怯え、何に心が安定するのかに目を向けない。(傷の深さに無意識的に命の危険を察知し、目を向けられない者も居る。)

目を向けないから、アウトプット出来ない。

相手に伝える術を持たない。

そうして鬱屈した感情を持て余す習慣が、他人への評価へと結び付く。

社会(固定観念)に認められようとする事ばかりに必死で、相手の機嫌が取れない限り自分からは行動しない多くの人達。

自分を愛せず怒りや哀しみに蓋をし、その為に言動が無意識に卑屈になり、安心出来る似たような相手しか側に置かない所為で、同調して貰えずにまた不貞腐れる悪循環だ。

相手を愛している振りをして、ひっそりと侮辱し、主語の理解出来ない脳はその侮辱を全て自分に浴びせる。

リスク管理が下手過ぎる。


そんな者同士が夫婦になり、時代や環境の変化を経ながら変わっていく事、変われない事…。

言葉を選びつつも傷付け合い静かに失望を重ねながら、笑顔と尊重の仮面を被ってお互いを憎み続けて行く形(関係性)の根底に、誰の事も愛してない癖に愛されたがる傲慢な幼稚性が垣間見える。

それでも乗り越え、完走した先に見えて来るものを、仮に出会う前から各々が持っていたならば、揺るぎない信頼と愛情に包まれた時間を共に刻めただろう。

だが、人生。

紆余曲折あり勝手な期待や失望を繰り返し学んでいく事の掛け替えのなさこそが、醍醐味であったりもする。

「こんなはずじゃない」と思った事がない程に、毎日悔いなく生きて来た自分でも、時に『かんむり』を探し、藻掻く。

数ある、けれど唯一無二な「あなたと私」の組み合わせでしか生まれない喜怒哀楽の奇跡と軌跡を感じながら、真摯な気持ちで読み切った。


川上弘美さんが帯を書いて下さった事を、命の危機とも思わせんばかりの戸惑いぶりで喜悦なさっていた著者の彩瀬まるさん。

人権や理解や傾聴を長年学ぶ私から見れば、それらを言葉にして紡ぎながらその「どうしようもなさ」に警鐘を鳴らすと同時に、そっと疲れ果てた読者や社会をを宥めたり鼓舞する彩瀬さんも、相当に神秘的で信じ称賛するに値する素晴らしい作家だ。(言い方が何だか烏滸がましくて申し訳なさ1000%)

この作品が、本来の多様性や、相互理解、そして自愛が進んで行くきっかけになることを、心から願わずには居られない。

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