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思いやり ≒ おもてなし ≒ 思い込み

さっき、こんなことをつぶやきました。

海外のレポートの日本語訳(?)がTLに流れてきて、そこにこういうことが書かかれていたのですね。

日本人の社会に対する関わり方が、諸外国と違いがあるんだろうなと感じました。

「思いやり」 と 「おもてなし」

まず似ているなと思う言葉がこの2つ。
相手がどう思っているか、確認していない状況で、対応を決めるのですね。「〇〇さんは悲しんでいるだろう」「助けを求めているんだろう」「お客さんはこういうことをされたら嬉しいだろう」
みたいな感じです。

相手の真意は分からないけど、自分にはだいたい分かってる、みたいな感覚があるんでしょうね。

自分はどうなってもいいから、相手のために何かしたい!
相手が喜んでくれるなら、なんだってする!

というのが日本人の感覚であり、美意識なのではないかと。

思い込みや刷り込み、ステレオタイプにレッテル貼り

相手がどう思っているか確認していない状況で何かを決めるというのは、平たく言えば「思い込み」なんですよね。

カタチとか、イメージだけで決めている。
中身は知らなくてもいいけど、表面的にそうあれば美しいじゃないか。
桜はハラハラと散って哀しいのが美しいだろ。

みたいなステレオタイプ、レッテル貼り。
そんなところまで行ってしまう考え方なんですよね。

社会という理想世界がカタチとしてある

なんかよく分からないけど、社会はこうあると美しいのではないか。
美しい日本って、こういうものなんじゃないか。
という思い込みが、日本人の社会に対する関わり方なのかもしれません。

その裏側で「本当はこうなんだけどな」とボソッとつぶやいている人が沢山いる。それが日本という社会なのかなあと思ったりなんかしています。

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