芸術は「嗜好」で経済状況に影響される
「開運!なんでも鑑定団」で海外の陶器が何十万円すると言ってて、バブルの頃は数百万していたという話を聴きました。
日本の今の一般的な芸術への評価は、昔に比べると下がっているかもしれないし、また、古典的な芸術の良さを理解している人も少なくなっているかもしれないなと思いました。
評価の低い芸術を、嗜む人は少ないだろうし、やろうという担い手はもっと少ないでしょう。過去に無くなってしまって希少価値だけで評価されているチープな芸術も少なくないかも。
芸術への関心が薄くなると、まず担い手が居なくなり、その次に愛好家が居なくなります。芸術にも寿命はあると思います。
崇高な芸術
王族や専制君主が君臨した時代には、その周辺に集まる芸術は、手の込んだ、高度なプロセスから生まれた、いわば崇高な芸術だったと思います。
それが良いか悪いかは別としても、経済的な裏付けがある状態でこそ、様々な試みをすることが可能だし、その結果生まれたものは、それ相応の価値があると考えるのは、普通だと思います。
そして、崇高な芸術を嗜むことが上流階級のステイタスだった時代が確かにありました。
今のようなフラットな世の中では、そんな芸術が生まれる可能性は低いですね。仮に一部の裕福な人々が特定の芸術を支持したとしても、長く続くかどうか、分からない。
「芸術のダイナミックレンジ」と僕は呼びたいけど、振れ幅は狭くなっていて、夢も小さくなっていることは確かです。
映画という芸術
現代は、誰か一人の偉大な芸術家が、国家や王族の保護を受けて活躍するというような時代ではなく、誰もが楽しめる娯楽のような芸術に、資金が集まるようになりました。
大衆から集めた資金を元にして、多くの制作者が協力して作品を作り上げるのが、今の時代の崇高な芸術なのでしょう。
その意味で、映画などは現代を象徴する芸術ではないかと思うのですね。
ただ、その映画さえも、今はコンピュータを使って一人でも作れる時代です。これからどこまで、どんな映画文化が続いていくのか、その行方と芸術の行方は、同じところにあるような気はします。
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