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恋愛トーク

経験上、人間が集まると十中八九恋愛トークになる。それが私は苦手だ。アニメや漫画、YouTube、音楽、映画、アイドル。この世にはあらゆる分かりやすいトピックが溢れているというのに直ぐに恋愛の話になる。だれもが恋愛をしていて、だれもが恋愛の話をしたいと信じ切っている。

アニメといっても1シーズンで50以上の新作が放送されている。過去作を含めればその数は膨大だ。その中から共通のものを見つけるのは至難の業といえる。それなら恋愛の話をした方が早いというのは改めて考えると理にかなっている。そう、恋愛は全人類の共通エンタメなのだ。

恋愛事情、言ってしまえば”他人に言う必要性のない性癖”を暴露することで強いつながりを持った気になれる。二人だけの秘密ね、という純真無垢幼稚園児の邪完全形態が大人の恋愛トークといえる。「私はこれだけ話しました。次はあなたが暴露する番です」と言わんばかりの暴力にずっと晒され続けてきた。



そもそも、生物の遺伝子レベルでの共通目標は子孫繁栄。その過程にある恋愛、結婚、子育ては皆が疑うことなく目指すものといえる。そこから外れている人間は遺伝子レベルでのバグでしかない。

私の好きなシンガーソングライターが元恋人との会話で「レズやゲイは遺伝子のバグ」と表現されたことに違和感を覚えたといって曲を作成していた。敬愛しているシンガーソングライターとはいえ、この感覚に関しては私は恋人側の肩を持つ立場だ。

多様化だのLGBTQ+だの表面的な寛容さばかりが目立つ現代。いざ目の前にしたら許容できるほどの懐を用意していないにも関わらず、排他する行為が排他される世の中だ。文字面だけで理解した気になっている人間が圧倒的に多い。私含めて。

私の場合はバグというより劣等種という表現が正確だ。性欲自体がないわけではない。同性が好きな訳でもなく、特殊性癖がある訳でもない。単純にモテないだけなのだ。中学の時に付き合ったのかどうなのかよく分からない関係の相手がいて以降パッタリ。年齢=いない歴といって差し支えないタイプ。

そんなことを話した時の決まり文句は「えぇ彼女できそうなのに」だ。ただ生きてきただけで恋人ができてきたような人間たちには、恋人がいたことがないというのは奇妙に映るらしい。そもそもその手の発言をしている人間は、自分という人間よりも劣っている人間がいることを再認識するためだけに、他人をおだてるという行為をする。その時の大きな部分では思っていないかもしれないが、そもそも他人を評価するというのは相手を下に見ている行為といえる。

極まれに「え?んじゃまだ童貞なの?やば!」という火の玉ストレートをぶつけられる。『いやワンナイトはあるかもしれないだろ』と返答したくなるが、ワンナイトできるような奴が恋人に困るタイプなわけがないと自分で反論してしまう。そもそも返しで童貞かどうか確かめるお前の方がやべえよ、といいたくなるが25歳においては童貞独身野郎のヒエラルキーは最底辺だ。反論する権利すら持ち合わせていない。持っているのは魔法使いになる権利のみだ。

私の周りにいる友人たちは25にもなって童貞であるわけがないという前提で話を進める。恋人がいたことがないやつなんてたぶん人間として認識さえされないだろう。フリーザが戦闘力を見せびらかすように、25歳の経験者たちは経験人数を競い合う。なかには数えてないから分からないなどという輩さえいる。そういう人間たちにとって私は理解の範疇から外れているのだろう。

ありがたいことに「見た目は悪くない」と言われることが多い。面長で他人よりちょいとばかし顔面が大きく、人相悪目で年齢よりも老けて見られることが多いが、多分許容範囲だ。そのため「なんで彼女できないんだろう」の次手で「性格の問題」と片づけられる。藤井聡太もびっくりな詰みの速さだ。

それでも更に詰められた時は「狭いコミュニティのなかで恋愛しているのが気持ち悪い。あいつは○○の元カノみたいなのがたまらなく気持ち悪い」と答えるようにしている。お察しの通り完全な言い訳だ。

これに関しては本音でもあるのだが、正直知っている奴の元カノだろうが多分関係なく付き合う。多分というのは、そういう相手と付き合いそうな雰囲気にすらなったことがないため想像の域を出ないからだ。

理想が高そうといわれることも多い。そもそも恋愛経験がまともにないから自分の好きなタイプもクソもない。そう答えると、好きなアイドルを引き合いに出されることが多い。たしかに元アイドルの西野七瀬が好きだが、恋愛対象として話すのは烏滸がましい。

自分がガチ恋勢だったらまだしも、恋愛として好きなタイプと好きなアイドルが違うことくらい流石の自分でも分かる。それに対して「え、んじゃ西野七瀬に告られても付き合わないんだ」などと知能指数2の返答をする輩がいる。そういう阿呆は相手にしないことにしている。

偶にある、○○のことどう思う?とか、○○に告白されたら付き合う?という類の質問には虫唾が走る。相手としては深い意味はなくコミュニケーションとして聞いていることは理解している。それでも自分達が選べる立場にいると思っている烏滸がましさに嫌気がさす。そして他人の好み(性癖)に土足で上がり込むのも鬱陶しい。そしてただのコミュニケーションにここまでのマイナス感情を抱く自分が嫌になる。

=年齢として歴を積み重ねている間にも、先輩や同期はどんどん結婚していく。最近は後輩の婚約報告も聞いた。自分と同様に歴=年齢だった奴も社会人になってすぐにアプリを駆使して付き合い始めた。

最近は独り身の人間が増えているというニュースはよく聞く。しかし、自称進学校とはいえそれなりに賢く、大学を出ている優れた人間ばかりがいる自分のコミュニティにおいては、歴=年齢は絶滅危惧種だ。自分自身保護する気は皆無なのだが、何故かずっと保護下にいる。アプリでも始めない限り魔法使い待ったナシだ。

前にもこじらせ恋愛についてnoteに書いたことがある。久しぶりに読むと気持ち悪いし、リア友があの記事を読んでいたのを思い出して全く笑えない。だが、書かれている思考や感情に嘘は全くなかった。嘘なしの思考や感情が気持ち悪いのは致命的な気もするが。

ここまでの文章を振り返るだけでも歴=年齢が納得できてしまう拗らせ具合だ。鶏が先か卵が先かと同様、拗らせが先か、非モテが先かは分からないが、結果拗らせているのだから議論の意味がない。

少なくとも、noteという狭いコミュニティーに自分がモテないことへの鬱憤を発散している内はモテることはないのだろう。独身貴族という言葉にプラスして、昨年には”おひとりさま天国”という言葉も爆誕した。これらを盾に今日も無意識の暴力が蔓延る世界を生き抜いていく。

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