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批評、エッセイ。 常に翻訳の可能性から逃れるような文章を書きたいです。 日記:https://evrluastngpx108.wordpress.com/

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    ヘッダー画像は、惣田紗希さん(グラフィック)と山田和寛さん(作字)によるものです。

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ワークショップ「書くことのプラクティス」を開催します

年末に差し掛かり、手袋がほしい季節になりました。いかがお過ごしでしょうか。さっそく来年の話ですが(鬼は笑ってしまいますが、ご勘弁を)、年明けの2024年1月7日の日曜日に「書くことのプラクティス」という全3回のワークショップの第1回を開催します。場所はわたしが住んでいる静岡県沼津市です。 「書くことのプラクティス」ワークショップの詳細 第1回:<クィア>に書くことのプラクティス 【日時】2024年1月7日 (日) 14:00-15:30 【場所】シンマチ(静岡県沼津市新町

    • 2023年をトレースしてみる:異物としての労働

      今年ももうすぐ終わる。いろいろあったけど、何もなかったような感覚がある。忘年会せずとも、この一年のことを忘れてしまった。記憶は信用ならない。というようなことを昨年の振り返りでも書いていた。そのことも忘れていた。 今年の5月までわたしはフルタイムで、アメリカで働いていた。これは揺るぎない事実だけど、今思えば信じがたいことだ。一年のおよそ半分を週5日8時間労働に費やしていたのだ。やりがいのある仕事で、いい意味でゆるかったし、上司や同僚、周りの人たちはよくしてくれたからこそ、去年

      • 地味=正直な音楽から<べつの時間=歴史>を立ち上げる:岡田拓郎『Morning Sun』 論(終)

        はじめに 岡田拓郎は地味である。 初回の論考で、私は岡田拓郎のことを「地味」という言葉で表現した。だが、地味の中身は複雑だ。ただ地味にそこにいるだけなのに、岡田拓郎の演奏やミキシングによって音楽は一段と華やかになる。どうすれば地味であることは華やかになるのだろう。 地味であることは、正直であると言い換えることができる。ただそこにいる地味さのその姿は、なにも飾らない正直さそのものである。しかし、なにをもって岡田拓郎の音楽は正直なのだろうか。地味=正直であることの複雑さを

        • ATAMI ART GRANT 2023の非常に断片的なレポート、あるいは現代アートの(イン)アクセシビリティについて

          ※以下、作品名は《》で示し、()内の数字とアルファベットはパンフレットで掲載されている会場番号を示す。写真は特に明記しないかぎり、すべて筆者によって撮影されたもの。 12月17日まで開催されているATAMI ART GRANT 2023(以下、「AAG」)は、静岡県熱海市内の計5つのエリアで開催されている現代アートのイベントだ。今年で3年目の開催となるAAGは、静岡県内で最大規模を誇るアートイベントとして、昨年は15万人以上もの来場者数を記録した。このレポートでは、熱海駅前

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        • 2023年をトレースしてみる:異物としての労働

        • 地味=正直な音楽から<べつの時間=歴史>を立ち上げる:岡田拓郎『Morning Sun』 論(終)

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          日記を本にして、販売します

          寝苦しい夜が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。さて、このたびわたしがWordPress上に載せている日記の一部を一冊の本にまとめました。それをboothという通販サイトで販売します。すべて手作業で製本しているので、販売できる本の数は限られているのですが、予想より多くの人に購入していただければ、もうすこしつくるつもりです。もし赤の他人の日記にすこしでも興味があれば、ぜひご購入いただけると幸いです。本について詳しくは、boothのサイトをみていただければわかると思います

          日記を本にして、販売します

          田舎から田舎へ行こう:フジロックフェスティバル2023 Day 1(2023.7.28)

          フジロック1日目。朝早くに家を出て、まずは東京駅へ。そこから上越新幹線「とき」で越後湯沢駅まで向かう。初めて新潟に行く。湯沢は群馬と長野に近いことをグーグルマップで確認する。東京からも1時間15分で着く。正直、近すぎる。けど、新幹線代は高い。越後湯沢駅に着いたあとは、10分ほど歩いて、ここから2泊する民宿へと歩を進める。とにかく暑い。新潟なのに、という言い訳は直射日光には通じない。直射日光は平等ではないほどに平等に降り注ぐ。日焼け止めを塗っておいてよかった。そうではないと、悲

          田舎から田舎へ行こう:フジロックフェスティバル2023 Day 1(2023.7.28)

          対話は本質的に「良い」ものではない:対話を生業にすることについて

          この短い文章はもともとあるZINEのために書いたものだが、そのZINEが発刊されることがなくなったので、ここに載せることにする。この文章の裏の狙いはある政治家の政治活動を批判することだったが、この「批判」がその政治家だけでなく、現在の社会における「対話」という言説の用いられ方に一石を投じるものとなればよい。 この文章は今年(2023年)の5月に書かれた。 ✳︎ ✳︎ ✳︎ 僕は昨年の8月からそれまで通っていた大学で、対話プログラムを担当するフェローとして働いている。そして

          対話は本質的に「良い」ものではない:対話を生業にすることについて

          プロセスに巻き込まれるということ:幸田千依「今、絵のまえで会いましょう」のなかから

          2023年7月15日まで、東京・代官山のLOKO GALLERYで開催されている画家・幸田千依の公開制作「今、絵のまえで会いましょう」では、「公開制作」の名の通り、幸田が一枚の静物画を制作する過程を公開している。幸田はこれまでも美術館やギャラリーで公開制作という形で絵画を描いている様子を一般に公開してきたものの、東京のアートギャラリーで公開制作を実施するのは初めてだという。 ギャラリーでまず目がいくのは幸田でも幸田の描いている絵でもなく、

          プロセスに巻き込まれるということ:幸田千依「今、絵のまえで会いましょう」のなかから

          「労働」という欲望の適切な保存にむけて:石川祐太郎×Josh Kline “クロスレビュー”

          ※本来、「クロスレビュー」とは複数の人間があるひとつの物事に対して評価を下すことを指すが、わたしはひとりの人間が複数の物事に対して同時に評価を下すことだと思っていたので、その定義のままこの語を用いる。 2023年6月5日、アーティストの石川祐太郎はロッカーに黒いスプレーペイントで「DON’T LIE」と書く様子を収めた動画を自身のインスタグラムで公開した。そんな石川は、現在代官山のギャラリー・LAID BUGで個展「Punch-Drunk」を6月10日まで開いている。地下1

          「労働」という欲望の適切な保存にむけて:石川祐太郎×Josh Kline “クロスレビュー”

          ぐったりとした日曜の昼間に

          死んだら周りの人たちは泣いてくれるのだろうか、ということを考えているときはだいたい気分が落ち込んでいるときだろう。なぜなら、その問いには答えがないから。答えがないことを考えるなんて意味がないよ、なんて言われたら、もっと気分が落ち込んでしまう。なにかを書くことなんて、ほんとうに気分がよければしないはずだ。そんなときは体は動くし、心は躍る。けれど、日曜の昼間にベッドにぐったりとして、スマートフォンを両手に文章を描いている時点でなにか答えのない問いを考えてしまっているということだ。

          ぐったりとした日曜の昼間に

          岡田拓郎論(5):日本語を地味に切断するーーあらゆる身体の偶然性をめぐってーー

          岡田拓郎にとって「身体としての日本語」とはなにか。この文章ではこの問いについてさらに思考を深めていきたい。前回はアルバム『Morning Sun』におけるブレスという歌詞への身体的な介入を通じて、岡田が歌詞の意味ではなく、その意味が形成される身体的な過程に焦点を当てていることについて書いた。そのとき浮かび上がってきた問いが、どうして日本語で歌ったのか、ということだ。それを答えるために、はっぴいえんどという日本語ロック論争の渦中にいたバンドを取り上げ、はっぴいえんどが求める日本

          岡田拓郎論(5):日本語を地味に切断するーーあらゆる身体の偶然性をめぐってーー

          身体としての日本語を探し求める:ふたつの切断をめぐって(岡田拓郎 『Morning Sun』論(4))

          岡田拓郎がすべての曲の作詞と作曲を担当したアルバム『Morning Sun』では多くの曲を通して「過ぎゆくものや失われゆくもの」に対する「抗えなさとか無力感」が描かれている。そして、その「過ぎゆくもの」とはこのアルバムでははっきりしている。そう、時間だ。それは3曲目の「Birds」でも「水のように時間は溶けて」と明らかにされている。だが、それを打ち消すようにアルバムの各所で「ハッ」という岡田の息継ぎの音が聴こえる。その音はこれから溺れることに抗うかのような息継ぎで、「水のよう

          身体としての日本語を探し求める:ふたつの切断をめぐって(岡田拓郎 『Morning Sun』論(4))

          bonobosの解散によせて

          bonobosが解散した。それもあっけなく。 昨年夏のリキッドルーム公演がわたしにとって彼らの音楽を生で聴く最後の機会だった。壮大だった。余韻に浸りながら、リキッドルームから恵比寿駅までの10分はなにかが鳴り止まなかった。 さまざまに変化したクィアなバンドはあっけなく解散した。いや解散という言葉ではない、霧散してしまったような。bonobosは霧のように眼前から消えてしまった。ユーチューブの野音ライブのアーカイブを観ながら、「In rainbow, I'm a rainb

          bonobosの解散によせて

          先行批評の検討:岡田拓郎『Morning Sun』論(3)

          さて『Morning Sun』というアルバムをじっくり聴いていこう。全8曲で構成されている2020年に発売されたこのアルバムは岡田による2枚目のアルバムだ。前作『ノスタルジア』では彼がサポートギタリストを務めるROTH BART BARONの三船雅也と、優河がそれぞれ参加している。一方、『Morning Sun』ではすべての曲で岡田がギターとボーカルを担当している。『Morning Sun』は発売当初から高い評価を得た。だからといって、このアルバムのなにがよいのかを端的に示し

          先行批評の検討:岡田拓郎『Morning Sun』論(3)

          South Penguin「gadja (Takuro Okada Remix)」 から考える”ルーツミュージシャン"としての岡田拓郎:岡田拓郎『Morning Sun』論(2)

          岡田拓郎の『Morning Sun』について書くまえに、「gadja (Takuro Okada Remix)」について考えてみたい。バンド South Penguinの曲「gadja feat. Dos Monos」を岡田がリミックスした本曲は、South Penguinのボーカル akatsuka の呻き声ともとれるボーカルと反復するビートが特徴的だ。あたかも akatsuka がこのビートの反復という檻から逃げ出したいという欲望が滲み出ている声。しかし、それと同時に彼の

          South Penguin「gadja (Takuro Okada Remix)」 から考える”ルーツミュージシャン"としての岡田拓郎:岡田拓郎『Morning Sun』論(2)

          2022年とは(わたしにとって)なんだったのだろうか?

          2022年はどんな年だっただろうか、と一言で言い表すのは難しい。いつも年の瀬とはそういうものだ。なにも覚えてなんかいない。しかし、いろんな出来事があり、いろんな経験をしたということは覚えているし、だから逆説的にもなにも覚えていないのだろう。だからこそ、ここで文章を書く意味がある。日記もそうだ。自分の書いた日記を振り返って読んでいると、そうだ、この日はこんなことがあったなあ、と感慨にふけたりすることができる。 今年は量を書くことを意識した。文章量を増やす一環として日記をnot

          2022年とは(わたしにとって)なんだったのだろうか?