2022年とは(わたしにとって)なんだったのだろうか?
2022年はどんな年だっただろうか、と一言で言い表すのは難しい。いつも年の瀬とはそういうものだ。なにも覚えてなんかいない。しかし、いろんな出来事があり、いろんな経験をしたということは覚えているし、だから逆説的にもなにも覚えていないのだろう。だからこそ、ここで文章を書く意味がある。日記もそうだ。自分の書いた日記を振り返って読んでいると、そうだ、この日はこんなことがあったなあ、と感慨にふけたりすることができる。
今年は量を書くことを意識した。文章量を増やす一環として日記をnoteとはちがう媒体ではじめた。なるべくnoteでも文章を書こうとした。たとえば「無理して書かないということ」という文章は西村紗知さんからもいいねをいただいた。多少ポストモダンな内容にはなっているものの、書くことについて考えるための自分の足場となった。そのただなかで私は卒論を書いていた。その過程は「卒論を書くこと:ライティングの倫理とオーバーライティングの実践」に詳しく書いてある。この文章は正直あまり読まれていないが、個人的には気に入っている。もちろん、この文章で扱ったアルマン・アヴァネシアンの『Overwrite』という本は今年読んだ本のなかでも特に印象に残っているものの一つだからという理由もある。邦訳はされていないし、アヴァネシアンという哲学者すらあまり知られていないが、読む価値はあると思う。この文章は私なりの『ライティングの哲学』のつもりで書き始めた。その結果、この文章は「ライティングの倫理」についてのものになった。書き始めたときの自分と書き終わったときの自分の変化を楽しむこと、その享楽を味わうことができるのは実際に文章を書いた自分だけだ。
アヴァネシアンが強調したポエティクス(詩学)と私が今年興味を持ち始めた現代短歌をなかなか切り離すことはできない。現代短歌じたいはたまにツイッターに流れてくるくらい(そういえばツイッターも1年前くらいに始めた)で、能動的に歌集を読んだり歌を作ったりすることはなかった。今夏、京都を訪れた際、小さい本屋さんを回っていたら偶然見つけた「泥書房」という本屋さんが短歌の本を専門にしていたので、いろいろと歌集を開いては閉じていると、店員さんが北山あさひの『崖にて』を薦めてくださった。この歌集も印象に残っている本のひとつだ。現代短歌はわずか31音でさまざまな視点から、さまざまな方法で社会を切り取る。ちょうど今年の9月に大学で詩や歌をいろんな言語で発表するイベントがあったので現代短歌を5首用意し、英語に訳して発表したところ、意外にも観客に好評だった。そんなわけで今では私の携帯のメモにはたくさんの短歌にかんするアイデアが書かれてある。
今年は文章量を増やそうとしただけでなく、より多くの文章を外に開き、開こうとした。それは卒論もそうだし、友人の展覧会に際し勝手に(ここが大事)書いてその友人に送りつけた「写真・言葉展『わたし、東京、22歳』によせて」もそうだ。そしてなにより嬉しかったし少しばかり気合を入れて書いた『エクリヲ vol.14』に書いた音楽批評誌の『痙攣』レビューである。まだ発売されていないが、来年1月9日ごろからBOOTHにて発売されるらしい。いつもお世話になっている山下さんに誘われ、1000字という短いながら内容の詰まったレビューを書いたので、お楽しみに。
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書いた文章についての振り返りはこのくらいだろう。個人的には大学を卒業し、現在は同じ大学で働いている。1年限りのポストなので、このままだと来年の9月からはなにもすることがなくなる。一応それは防ぎたいので、最近は大学院を探している。研究したいこともよくわかっているわけではないが、とりあえずなにか勉強したいことはあるので、大学院で2年ほど過ごすのもよいだろう、となっている。場所は日本かヨーロッパ。ヨーロッパだとフランスかドイツに興味がある。学費が安い(というよりほぼ無料)し、言語を話すことができれば過ごしやすいと聞いた。美術館が多くて、食べ物が美味しければいいのかもしれない。簡単な人間だし、過酷な気候を持っている地域に5年住んだので、なんとかなりそうだと考えている。ということで、2023年もよろしくお願い致します。よいお年を!
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