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プロセスに巻き込まれるということ:幸田千依「今、絵のまえで会いましょう」のなかから

2023年7月15日まで、東京・代官山のLOKO GALLERYで開催されている画家・幸田千依の公開制作「今、絵のまえで会いましょう」では、「公開制作」の名の通り、幸田が一枚の静物画を制作する過程を公開している。幸田はこれまでも美術館やギャラリーで公開制作という形で絵画を描いている様子を一般に公開してきたものの、東京のアートギャラリーで公開制作を実施するのは初めてだという。

ギャラリーでまず目がいくのは幸田でも幸田の描いている絵でもなく、幸田が絵を描いている横に置いてあるテーブルと座布団だ。私はそれらを美術作品の一部だと思い込み、座布団に座らずに幸田の後ろに立ち、制作の様子を静かに眺めていた。すると幸田は私の気配を感じ取り、座ってくつろいでくださいと勧めてくれたので、座布団に座ることにした。テーブルには幸田の私物だと思われる漫画『ハウルの動く城』やワンカップでつくられたペン立て、ラジオなどが無造作に置かれていた。まるで幸田の家におじゃましているような違和感は、幸田が絵を描いているところを眺めているうちに消え去っていた。私は作品に巻き込まれたのだ。これまで私はさまざまな美術館やギャラリーを訪れてきたが、どの空間にも作品の作者がいないし、作品と私とのあいだには明確な距離が存在した。その距離とはガラス板で隔たれているという物理的な距離だけでなく、「私は作品を鑑賞している」という距離感だ。その反面、この公開制作ではもちろん作品に触ることはできないものの、画家の空間に招かれている感覚を得ることで、作品との距離感が限りなく近づくような気がした。それは芸術作品の見方を根本から変えるものだった。

この公開制作では、鑑賞者である私だけが公開制作に巻き込まれているのではなく、幸田自身も巻き込まれている。幸田の制作する絵の主題であるオーストラリアの国旗やプロペラ機の模型などの静物は、ギャラリーに併設するカフェのスタッフらが持ち寄ったものらしい。しかも、それらのアイテムは各々スタッフが置いたもので、幸田は静物の配置にかかわっていない。幸田はそのように他者に作品の題材を決めてもらったほうが描きやすいと言う。画家の思想やスタイルが色濃く出やすいとされる静物画の題材を他者に委ねるとい う受動的な姿勢は、画家としての信念が欠如しているようにも感じる。だが、他者が自分と 同じ空間にいるほうが絵が描けると言う幸田にとって、信念は他者を通して形成されてい く。制作のプロセスの一部を他者に委ねるという行為は、アーティストが鑑賞者から独立した存在であるという前提を退ける試みだ。

鑑賞者がアーティストに巻き込まれ、アーティストが鑑賞者という他者に巻き込まれるとき、はじめて鑑賞者とアーティストとのあいだに新たな関係が生まれる。その新たな関係はアーティストが鑑賞者を客として歓待し、鑑賞者がそれを受け取るという贈与のプロセスである。近年、アートと社会を接続する概念として注目されているソーシャリー・エンゲイジド・アートでは、完成された芸術作品を通じて人々が出会いつながることが目指される。それとは異なるしかたで、幸田は鑑賞者との出会いを通じて絵じたいもが変化していく相互的なプロセスを「今、絵のまえで会いましょう」という公開制作に投影する。 幸田も私たち鑑賞者もまだどのような作品が完成するかはわからない。しかし、私たちがわかるのは私たちはこの作品に否が応にも巻き込まれているということだ。そして、ギャラリーに置かれている静物たちが梅雨の季節に時たま現れる日差しに巻き込まれているということも。

幸田千依「今、絵のまえで会いましょう」(公開制作)
会期:2023年5月10日~7月15日
会場:LOKO GALLERY(東京・代官山)
開館時間:11:00~19:00
休館日:月、火、祝 
※作家在廊日のみオープン。詳細日程は公式ホームページにて要確認。

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