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私がレースクイーンにハマったきっかけ

最初に。自己紹介

初投稿になります。
「レースクイーンフェチ」の中の人です。

こんな運営・撮影をやっています。
レースクイーンフェチ

https://twitter.com/RQfetish

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(非アダルトです。モデルも募集中です。)

特に名乗って無かったのですが、名無しではやりにくいので「evestyle」と名乗ります。実際にこのハンドルネームやURLでレースクイーンサイトを運営していたし、コアな部分は狭い業界なので、身元を隠す意図も無いですが、便宜上ここではそういうことにしておきます。

1998~2002年はサーキット・撮影会・イベントへ参加して写真を数百万枚撮ってたので、RQ懐かし話は語り尽くせないくらいたくさんあります。
吉岡美穂さんやインリンさんを取材したり、宗政美貴さんや牛川とこさんと仕事でご一緒したこともあります。
レースクイーン(以下、RQと略)のことが好きすぎて、趣味が嵩じて仕事、というよりライフワークとなってしまった私ですが、「note」では、そんな私がRQについてのコラムや懐かしい話を綴っていきたいと思います。

最初は全文無料ですが、将来的には1投稿につき100円くらいの微課金を考えています。お金を払ってでも読みたい、と思わせるハードな読み応えのコラムにしていきますので、よろしくお願いします。
「レースクイーンフェチ」と並列するうえで、どうしてお色気系の記事も多くなると思いますが、RQ本人がコラムを読んでも許される、というかRQ本人が読んで欲しい!という内容にしたいので、匿名で流言飛語や嘘を並べたような品位を傷つけるゴシップ記事、下劣すぎるエロ記事は書くつもりはありません。
とはいえ、フェティッシュでセクシーな内容も濃厚にしていきますので、RQやモデルに堪らなく色気を感じる方にも楽しんで頂けると思います。
できるだけ頻繁に更新していきたいので、「レースクイーンフェチ」と合わせてよろしくお願いします。

第001回 私がレースクイーンにハマったきっかけ

さて、記念すべき第1回目は自己紹介やイントロダクションを兼ねて、
どうして私がこんなにRQを好きになり、現在も惹かれているかを語りたいと思います。

時は1995年頃。Windows95がリリースされた頃。
NTT東日本・西日本によるテレホーダイがサービス開始。
時間帯が限定されるとはいえ、常時接続サービスはインターネットを急速に進化・普及させていきました。
現在はインターネットに繋ぎっぱなしが一般的で、スマホでもwi-fiなどでどこでもネット接続できますが、1995年頃はISDN回線によるダイヤルアップ接続しかなく、ネットに繋いでる間は家庭一般電話が話し中になったり、通信速度も最大64kbpsだったりと、非常に低速だった時代なのです。

当時まだ大学生だった私は、俗にテレホタイムと呼ばれた23時を心待ちにしていました。
初めてのインターネットはIE(インターネットエキスプローラー)?それともネットスケープ?
そんな時代。
そりゃ思春期が一番興味を持つといえば…「エロ」に決まってるじゃないですか!
世界中に繋がっているネット上では、エロやアングラが溢れ返っていて、いくらでも世界中のエロ画像が見放題!
なんて夢のような世界なんだ!よーし、エロいキーワードで検索してエロ画像ダウンロードしまくるぞ!

…と意気込んでみたものの、期待に反して結果は惨憺たる有様でした。
低速回線なので、画像1枚を表示するのに、数十秒は待たされます。
どんなエロ画像なのかと心躍らせて、ジワッジワッと少しずつ表示されるJPG画像のほとんどは、期待を裏切るようなゴミのような画像だったり、詐欺サイトへの露骨な入り口だったり。やっと見つけた裏サイトも、下品な無修正だったり画質の劣悪な見るに堪えない物ばかり。
画像1枚の表示に数十秒待っては虚しくブラウザの×マークをクリックする作業の繰り返し。そんな無為な時間を過ごしているうちに、貴重なテレホタイムが終わるのだった。

何だこれは…。
こんな塵と詐欺しかないのが、これが俺の待ち望んでいたネット世界なのか?

私が夢見たインターネットの世界は、この世には存在しないのだろうか。
期待が大きかった分、失望も深かったのを鮮明に覚えています。

しかし、ある日。ある検索ワードが私の人生を劇的に一変させたのです。
どうせつまらない画像しか出てこないのだろうと投げやりになりつつ、
私は「Yahoo!」ではなく「goo」の検索バーにキーワードを入力していました。(当時はまだGoogle検索は存在せず、日本国内では「Yahoo!」「goo」が二大巨頭でした)

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これは…?

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目の前のCRTモニターに、女性の美しい画像が映し出されていたのです。
(当時は液晶モニターなんて高額で低性能だったので、でっかいブラウン管ディスプレイが主流でした。ここらへんのPC話をし出すと長すぎて本筋から外れてしまうので割愛)

大学生だった私の脳内に、火花のように何かが閃いた瞬間でした。

そうか…!
今までは「エロ」「アダルト」のような直球キーワードだから見つけられなかったのか。

「脚フェチ」「ミニスカート」のようなキーワードを駆使して、ターゲットを絞り込んでいきます。

そして私はキーボードで打ち込んだのです。
「レースクイーン」と。
(当時は「レースクイーン」なのか「レースクィーン」なのかどっちやねん!と思ってました。また、「RQ」ではなく「RC」のような誤用もしました。Race Queenなので、RQが正しいですね)
ジーザス・クライスト。
オー、神よ。
神は実在したのか。
こんなにきわどいハイレグ姿で!?股下スレスレの超ミニスカ姿で!?

こんなに綺麗なお姉さんが笑顔で微笑んでいるなんて…!
これはいったい何なのか!?こんな桃源郷が存在していたのか!?

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その日から、テレホタイムの暇さえあれば、RQ画像を漁ってダウンロードしまくりました。ヌードや無修正AVには一切興味を示さず。18禁キーワードは一切検索せず。
当時はまだデジタルカメラがほとんど存在せず、フィルムをスキャンしてネットにアップする時代でしたが、ゴミばかりのアダルトに比べて、画質もモデルの質も雲泥の差。
眉目麗しい女性が、ミニスカートから伸びる脚線美を誇示している写真は衝撃的でした。それこそ、人生を変えるほどに。

時は巡り、その後私はプロカメラマンとなるのですが、今でもその時のレースクイーンという群像を追い求めている気がします。

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model:大上留依

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model:紅月

懐かしい思い出は、止め処なく。

当時は画像をフロッピーディスクやMO(光磁気ディスク)に保存していたので、今では行方不明ですが、鈴木史華さんの画像を集めていたことをはっきり覚えています。
画像の無断使用はできないので、「鈴木史華」で画像検索してみて下さい。
1996年 KUREレーシングチームの赤/黒ツートンのエナメルコスチュームが真っ先に表示されるはずです。光沢ワンピースのミニスカート部分には、煽情的に深いスリットが入っていました。
ネット世界に絶望していた男子大学生が、こんな画像を見せられたら、どうなりますか。
この世に天国は存在したのか…!
おお、神よ!
アッラーアクバル!
ネコと和解せよ!
と、脳内麻薬がドバドバ分泌されるのは必然であります。

(長くなるので、ここから敬称略)
鈴木史華、今見ても最高ですよね。他にも、美人RQが揃っていました。
片石貴子、石黒都記子、須之内美帆子、浅丘瞳、貴村真夕子、織田良子、杉浦美雪。この後、実際にお会いすることになる、杉村陽子、篠崎ゆき、宗政美貴、宮本耀子。ミニスカポリス(2~3代目ポリス)だった七森美江、いけだりか、吉永千夏。BE BRIDESのクールなコスチュームに憧れました。チームアナブキの遠藤由貴とか最高でした。

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何について語りましょうか。
アルカサバのSWEET?
銀JIVE?
ENDLESS?
「スーパーGT」ではなく「全日本GT選手権(JGTC)」、「スーパーフォーミュラ」ではなく「フォーミュラニッポン」だった時代。
東京オートサロンや大阪オートメッセにも毎年行きました。モーターサイクルショーも含め、今と比べ物にならないくらい盛り上がってました。東京オートギャラリーとか、ワゴンスーパーカーニバルとか、覚えてる方はいますか?当時はゲームショーも春秋の年2回開催だったんですよね。
全国の撮影会にも足繁く通いましたね。
テイクズウ、Cat Walk、NB☆AGENCY、MP21、フェスタソーレ、サファイア、マックスプロデュース、Studio Still、ai-land、みらい企画、EXIT、プラウド、Be★jo、NEO PROMOTION、プランニング・K。
今までの撮影枚数は、いったい何千万枚になるのか。天文学的数字です。(使ったお金も相当な額になるでしょうが…それは考えないことにしています)

懐かしい話は、まだまだ語り尽くせませんが…
各RQについて語り始めると無限に長くなるので、初回はここまでに。

1990年代~2000年代にレースクイーンに熱く熱く情熱を燃やした私の生き様。
次回以降も書き連ねていきますので、同じようにRQに熱い想いがある方、思いを共有しましょう。
ではまた次回。

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