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痛みと祈り

朝は痛みで意識が戻される。

おかしい。普段起きるより2時間はきっと早い。
起きる、というよりは意識が戻されるが適切な表現なようだ。
実際に起き上がれないのだ。

収まるか分からない痛みと格闘する。
無言で下腹部に集中し、手で抑えながら体をあらゆる方向にくねらせ、両眼をギュッと瞑り、痛みをなんとか逃そうとする。

ちょうど、ベッドがまな板で、頭でなく腹に釘をさされた鰻のような状態である。
昨晩のバラエティ番組の白焼きの調理過程のように、いっそ誰か横からカッ捌いて、内臓を取り出して綺麗さっぱり洗い流してくれたらどんなに気持ちが良いか、と回らない頭で考える。
普段新陳代謝の良くない30代の体にしては有り得ない体の熱さと発汗を覚え、
(あ、これヤバいやつだ)
そう直感的に感じると、より意識を集中させ、痛みの「機嫌」を感じる。

痛みは子どものようなもので、私が起きなければ腹に飛び乗り、横からぐーーーっと手で押してみたり、叩いてみたりを繰り返す。そんなことされたら起きられないよ、と諭したりなだめたりを繰り返して痛みの機嫌をとること体感30分。

ふっ
と緩んだほんの一瞬の隙を見計らって、無の境地で一直線に、何が出ても良いようにトイレへ向かう。寝衣と下着を雑に下ろし座れただけで心の持ちようが変わる。しかしここからも、何が産まれるわけでも無い、終わりの分からない痛みが続く。

この個室の中は懺悔室さながら、ひと1人にそれぞれ秘密があるだろうが、私の耐え難い苦しみへの祈り方は、上半身を右に傾け壁に頭頂部を預けるというものだ。不衛生なのは見逃して欲しい。もうそれを考える余裕すらなく、1人で便座から崩れ落ち意識を失う生命の危機を緊急回避するための祈りがそれなのだ。それをするほかに他の部位に力を強く入れることが適わないのだ。強い痛みが続くほどに強く頭を壁に擦り付ける。呼吸は浅くなり、乱すと座ったまま胃袋からの内容物が口から出てくる予感もする。
ここで少し冷静になり、肺に深く空気を取り込んだ。少し身体の組織が弛んでいくのが感じられる。繰り返し、深く。深く。

気がつくと、その時の身体は中学時代の部活を終えた時のような、ぐっちゃりとした尋常でない汗にまみれていた。
落ち着きを取り戻し懺悔室から出ると、冷えた身体を拭うことより先に薬のありかを探す。
昨晩飲みかけて仕舞うことを忘れた常温の炭酸水が傍らにあったので、それで流し込んだ。
これで隔月の朝のルーティンは終了。

これが、生理痛の始まりである。


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