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負けているときが一番輝く

ふと思い出した話。

最近書いた記事に対して着実にスキをもらえていると実感できており、フォロワーもじわじわ伸びてきている。

目標の100人もそこそこ現実的になってきているので気分が良い。

……………気分が良いのだが、自分の投稿にくだらないものが多くなっている気がしていて「この方向性でいいのかな?」と不安になってきている。

居酒屋の客の話とか、記事の口調をどっちにしたとか、果ては童貞の話とかで最近つまらない投稿が増えてきてしまっているように思う。
※そんな投稿に限って意外と好評だったりするので本当にnoteは分からない。

なんでだろう……と考えてみたが、自分でもくだらないなと思う文章になってしまうのは、恐らく今自分がそこそこ幸せだからだと思う。

生きるのに苦労しないレベルの生活水準を保てていること、気の合うパートナーがいること、趣味があること、その趣味も軌道に乗り始めていることを踏まえると、まあ人生うまくいっているのだと思う。

僕はこの人生に誇りを持っているし、この生活を手に入れるために適切な努力をしてきた自信もある。

でもそういう人に特別面白い話人の目を引く話ができるかというと、そうは思えないのだ。

ちょっとここで、面白い文章と書き手の状態についての関係性を自分なりに考えてみた。

「何かを成し遂げ終わっている人」の話は、安定こそしているもののどこか淡々としている。理由は、多くの人が共感できないからだと思っている。

一方で、「何かを成し遂げようという状態にある人」の話は、ハングリーで文章に強さが出てくる。そして読者からも共感されやすいように思う。

少し心理学の話をする。

皆さん、「マズローの欲求五段階説」を聞いたことがあるだろうか。
モチベーションに関する記述では結構出てくるし、ビジネス書でも取り上げられることが多いのでご存じの方も多いと思う。

一応簡単に説明すると、人間の欲求は五段階のピラミッド状に構成されているという説で、ピラミッドの下位にある欲求をクリアするごとに一段階ずつ上位の欲求へとシフトしていくものである、という説だ。

以下がその図示である。

下から、
生理的欲求→食事や睡眠などの生活のための最低限を求める欲求
安全の欲求→経済的に安定したい、などの生活水準の安定を求める欲求
社会的欲求→家族や会社に所属して社会的な安心を得たいという欲求
承認欲求→所属する集団内で存在を評価されたいという欲求
自己実現欲求→自分にしかできないことを成し遂げたいという欲求
となっている。
(実はマズローは後年に六段階目のさらに高次元の欲求も存在することを発表しているのだが、それはまた別の機会で)

では、多くの人はこの欲求のどの段階に分布しているのか。

ずばり「承認欲求」を満たす段階で多くの人は立ち止まっている。

また、この承認欲求は、実は「低位の承認欲求」と「高位の承認欲求」の二種類が存在している。
それぞれの違いは以下の通りだ。

低位の承認欲求→他者に評価してもらいたい欲求
高位の承認欲求→自分が自分を承認したいという欲求

この低位と高位の承認欲求の狭間で多くの人がもがき苦しんでいるように僕は思えてならない。

低位の承認欲求は満たせたとしても、とても脆いものだ。
なぜなら「自分の価値を他者の評価に依存させてしまっている」からだ。

低位の承認欲求を満たし、いち早く自分の価値を認め高位の承認欲求を満たすことができなければ、すぐに他者評価の微妙な変化に流されて元通りになってしまう。そして、この状態にいる人が実に多いのだ。

ここで話を戻す。
「何かを成し遂げ終わっている人」と「何かを成し遂げようという状態にある人」、これは「高位の承認欲求をクリアした人」と「低位の承認欲求を満たそうとしている人」と言い換えることができると僕は思っている。

上で述べたように、「低位の承認欲求を満たそうとしている人」の方が多く存在している昨今、この層にミートする文章を書けるかどうかが評価される文章か否かを分ける分水嶺なのだと思う。

つまり僕は何を言いたいのか。

人間負けているときのほうが他人からは輝いて見えるということだ。

僕は人生の転落もしたくないし、大きなリスクをとって何かを成し遂げたいというハングリー精神は今のところない。

しかし、面白い人間になりたい、面白いことを書きたいと思っている以上、僕は完全に負けている状態にならなければ人々の胸を打つ文章を書けるようにはならないということだ。

この話は、個人的にもっと考えを詰めたいと思っているので、別の機会で改めて触れたいと思う。

次この話に触れる時は、きっと僕が負けているときだろう

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