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36歳無職と、外出自粛と note。


絶賛自粛中の皆さん、ご機嫌いかがでしょうか。いったい何が絶賛かといいますと、あなたの在宅は確実に社会防疫の為になっているということです。というわけで、俺も家にいます。今月ずっと家にいる気がします。自粛しかしてない。はい。今日は日記です。

そんな感じで、もっぱら家でゴロゴロしていた所為なのか、退職してから早一ヶ月になろうとしているこの頃、便秘がひどくなってきてしまいました。もはや一週間出ないのが普通になってきてしまっており、ついに最近、アレに手を出してしまいました。

浣腸。

もうね、あああぁぁぁ‥‥みたいな声が出ました。これ以上詳しくは語りませんが、ほんとすごいですねアレ‥‥。現在は妻に命じられ、排泄力を鍛えるために肛門の筋肉を締めたり緩めたりするトレーニングに、鋭意取り組んでいるところです。



・・・ごめんなさいごめんなさいごめんなさい もうきたないハナシしないんでもう少しだけ見ていってください。最後にいいこと言うから。



さて、


note、面白いですね。(不自然な導入)
現在note歴1週間というところなのですが、いろんな文章があって勉強になります。いや、俺なんて全然まだまだだなと思わされます。でも何でこれがこんな********るのかな? というのもあります。が、それもまた勉強です。

そんなふうにnoteに触れてみる中で、私なりに少し思ったことがあります。ここ最近、主に文章力というものについてとやかく言ってきた私なんですが、うーん、やっぱりもっと重要なことがあるかもな、と。


それすなわち、題材、ですね。
テーマ。コンテンツ。ネタ。何を書くか、ということ。


陳腐な言い草で恐縮ですが、文章力、というのは、料理における味付けだと思います。題材は素材ですね。うん。
よっぽど一流のシェフでなければ、凡庸な素材で、客を唸らせることはできない。逆に料理人の腕が少々落ちても素材が良ければ、客が喜ぶ食事を提供できる。
‥‥はぁ〜、陳腐ぅ〜。どこかで聞いたことあるやつ〜。でもこれは、自分でやってみて初めて意味がわかることもある、ってことで。これも学びよ。


文章力というのは、学習や慣れで向上する余地もあるが、良い題材は、取りに行かないとなかなか得られない。noteを読んでいると、良質の体験。経験。取材。これらが、俺には足りないなとしきりに思ってしまう。


例えば、俺の昨日の一日といえば、買い物に行ったぐらいのもので。
ゆうべ寝不足で、少し外に出ただけですぐ疲れてしまったこと。昼から夜にかけて気温が急に下がり、道ゆく人が寒がっていたこと。確かに寒かった。でもいまは普通の風邪にも罹るわけにいかないと思ったこと。台湾エステの店の前を通った時「オニイサンマッサージ」と声をかけられ、「いまそんな得体の知れない濃厚接触するわけねーだろ」と思ったこと。

‥‥ぐらいなもんです。凡。全然、物語にならない。

逆にこれを読める創作にするのが文章力なのだとも言えるけど。
(ほんとに言ってることがいちいち凡庸すぎて死にそう)




俺にもし、
マンションの4階から***を***させたり、
***を**して****した経験があったら、
どう書くかな。

これは今日聞いてマジで爆笑した話。ズルいよと思った。いやズルくないけど。ほんとすごい人いる。面白い体験を持つ人。



ただ、それと同時に、
何もないように見える日常の中に、特別な何かを見出す能力、観察眼も必要かとも思う。そしてそのためには、「その特別な何か」を表現できる言葉が自分の中にないといけないのではないか。ありふれた生活に面白さを見つけるツールとしての、語彙力と教養。‥‥俺には、それらが希望に見える。いくつになっても、勉強を続けていきたくなりませんか。


文章というのは、自分のなかから出てくる表現であり、ということは自分の人生そのものの投影だとも言える。なのでまずは、自らの経験や体験に、面白さを見出さなければならない。幸不幸に関わらない、人生の、豊かさ。


俺が思うにそれは、探しに行く、
ということでもあるけど、もっと言えば、
一生懸命に生きる、ということに尽きるのではないだろうか。




家で肛門を締めたり緩めたりしているだけでは、いけないのだ。


(終わり)

 

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最後まで読んでくれてありがとう。 無職ですが、貯金には回さないと思います😊