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私の半径500メートルを撮り続けるために。

 繰り返し書いてきていることですが、僕の撮影はそのほとんどが休日の、朝方です。それ以外は時間が取れない。冬の今だと、6時過ぎから。夏場ならもう少し早めに。

 で、もちろん、それを数年繰り返していれば飽きてくるわけです。また同じ場所にシャッターを切る。だからほとんど何も撮らずに帰宅ということも。散歩ですから、一人になる時間を得ただけでも良い気分転換になるのでそれはそれで構いませんが、やはりシャッターを切る楽しみをもう少し味わいたいし、できれば新鮮な気分で撮りたいですよね。

 今回はなかなか撮影のために外に出られない自分が、どうやっていつもの日常を撮り続けているのか、を書いてみたいと思います。

1.メインのコースはある程度固めておく

 それでは飽きてしまうじゃん、と思われることでしょう。確かに飽きます。僕のコースは近くの池のある公園から、遊歩道か、あるいは神社へ通じる道へ、または、居酒屋のある通りを抜けて街のショッピングセンターへ、というのが基本ですが、ここを毎週なぞっていたら当然撮るものなんかもはやないわけです。
 でも、無意識的にですが、それをやってきています。そんな毎回のコースでも、猫が来たり、変なものが落ちていたり、それまでちゃんとあった提灯が壊れていたり、と微妙な変化があったりします。猫に餌をやるな、と書いてあるその前で餌をやっている人がいたりして、色々考えさせられたりも。
 それらを切り取って、果たして写真足り得るかという問題はさておいて、定番があることは、そこから逸脱したものを見つける目を養えるような気がするのです。(偉そう、自分。)または同じものでも、その日の気分によって違う角度や距離から撮ることも出てきます。街の風景の解釈をし直すわけです。
 散歩とはいえ同じ景色だと飽きてきますから、むしろ苦行のような気もします。しかしこの、見慣れたもの、すっかり当たり前になっているものを解釈しなおす作業が役立つと信じています(写真だけでなく)。

2.ときどき歩く道にこそ変化がある。

 そうやって定番を作ると、そうでないルートが出てきます。この前はいつものルートから外れて裏の砂利道を歩いてみました。するとなぜか白菜が並んで小雨に濡れていたりする。整骨院のガイコツが変なポーズをとって窓から顔を出している。しばらく歩かないで「とっておいた」ルートは定番よりほんのちょっと大きな変化に出くわすことができます。そんなものに出会った朝は気分が良くて、いつもの景色すらちょっと違う視点で見つめようとする気持ちが高まってくるものです。

3.まだ歩いていない道がある。


引っ越してきて数年経ちますが、ほんと、まだ歩いたことのない道があるのです。とはいえ、だいぶ塗り潰してきましたが。子供の頃から中途半端に知っている町ゆえに、そこにあるのにそれまで通らなかったから、体がその道に気づかないフリをしている、という道があるわけです。
 古墳群につながる坂道の途中にある角を曲がってみたら池にたどり着いたり、それまで看板には出ていたが行ったことのない場所がイチョウの名所だったり、わけの分からない形で歩道があるのに気づいたり。

 写真の場所も、あるとは知っていたけれど、30年以上通ったことのない道でした。写真にしやすいかどうかは置いておいて、めちゃくちゃ植物たちが独特な場所。おまけにヤギもいる。

 無意識にスルーしている道はないか、と意識的になることは大事だと思います。  

4.エッジー境界を見つける。

 今回これがいちばん言いたいことかもしれません。デジカメWatchの記事に以前東京のエッジ、つまり境目を歩くと言う記事がありました。街と街の境目は、やはり色々変なものがあるのです。
 たとえば、地方にある、車で入るラブホって、なぜか街と街の境目にあることが多い。そりゃ街中には作れないでしょうけど、街や区域の境界あたりに建っていることが多いのは何か考えさせられるものがあります。
 それに街の境界は川や山で区切られているから、それなりに独特の光景を持っているわけです。
 そうした街の境界だけではありません。たとえば平地と丘をつなぐ坂道には、先ほどもあげたように、メインの道路だけではなく徒歩向けの階段があったりします。それに気づいたのはそこに住み始めて数年後、と言うくらいひっそりとあったりするわけです。つまり、3で書いたようなまだ歩いたことのない道に出くわす可能性がある場所なんですね。そうやって歩いて、僕は小さな神社を見つけました。上のヤギの写真も、川と丘との境界にある場所です。何かと何かの境目。それは街中にも民家と商店の切れ目とか、そんなのでも見つけようとすると、ちょっと面白いものに出会えるように思います。

5.自転車で出掛けてみる

 半径500メートルの枠を飛び出てしまう、というのも一つの手です。僕の場合、自転車も趣味なので、のんびり50キロとかやっていたものですが、ここ最近は時間が取れないことと、カメラ熱が強すぎるのもあってそんな遠くには出掛けていません。
 けれども、近場へでも自転車で走ると目線が遠くなるため、徒歩とは違う視野を得られるかと思います。また当然ながら自分の領域から離れるので、普段とは違う景色を見つけることにも。
 これは車でも構わないとは思います。でも、あくまで半径500メートルの延長戦ですから、そこまで遠くには行かないという前提で。朝の散歩の時間に戻れる範囲での自転車活用です。
 以前は乗りながら、面白いものに出会ったら自転車を停めて撮ろうと考えていましたが、自転車に乗ると興が乗って停まるのが面倒になります。だから、半径500メートルをちょっと離れた場所へ向かうための手段として、そこからは徒歩で自転車押しながら、というやり方が一番バランスがいいかもしれないですね。

ちなみにブロンプトンはそんな撮影のための移動手段として最高です。

6.青い鳥現象。

 青い鳥を探して見つからずに帰ってきたら、家に青い鳥はいた、という話です。
 散歩に出て、まあ今回も不作だなと帰ってきたら、窓辺に映る電信柱がちょっと素敵だった、なんてこともあります。半径10メートルの世界をぐるぐるしてみると、意外と見落としているものがあるものです。
 この流れで、家族を撮る、家での出来事を撮るということも考えられると思います。そうしたプライベートをカタチにした写真があるのも知っています。が、僕の場合、家族やその周囲を撮ることはもちろん撮りますが、それは完全なるプライベート、内輪で見るものです。やはり家のなか、つまり半径0メートルの光景は外には出しづらいかなと思ってしまいます。でもそれがアリだと思う方は、本当に、撮りたい被写体は家にあり、そこからいい作品が生まれてくるのではないかと思います。

7.そのほか。

あとは、たぶん、いろんな方が述べているような内容だと思うので、箇条書きで。
・レンズの焦点距離を替えてみる。
・撮る時間帯を変える。
・モノクロ縛りにしてみる。
・陰を撮るなど、テーマを定める。
・カメラそのものを替える。

 レンズを替えてみるというのは、もっとも効果的なやり方だと思います。この数年、望遠レンズを使う場面がとても限られていましたから、それを使ってみると、とても新鮮でした。ついつい望遠は70-200F2.8や!と思ってしまいますが、可搬性こそ正義!と、スナップ専門の自分は感じてしまいました(神楽とか、子どものお遊戯会とかはとても欲しくなるけれど)。

 時間帯を変えるのもいいですよね。単に光の当たる方向が変わるというだけでも、だいぶ印象が違う。曜日の違いで撮影に行くのもおもしろいでしょう。土曜の夜は、人口の少ない町でもちょっと賑やかだし、日曜の夜はまあ、静か。その差も出て来るかもしれません。

 モノクロ縛りも見え方、意識の仕方が変わってくるので、いつもの光景が変わって見えるはず。冬になると、モノクロが撮りたくなるのですが、光の見方が自分ですら変わってきます。

人に歩いて欲しいが人がいない。

 ここ最近のテーマとして、この町の有名な風景以外で、いいなと思う風景を撮る、というのがあります。団地の並ぶところにある大きなイチョウの木がとてもよくて、撮りに行きましたがSDがぶっ飛んでしまい…また来年の挑戦となります。でも、こうしたテーマを抱えると地元のちょっといいところを見つけようという意識が働いて、楽しいかどうかは別として、色々考えます。

 カメラそのものを替える、というか、まあ、つまり新しい機材を導入するってことですね。これは持続性はないにしろ、とても刺激的です。刺激的だからこそ、被写体に目がいかない、というところが出て来るようにも思いますが……。
 ライカMを手にして一年間はそんな気分でした。今、ようやっと普通にライカを使っても、普通の感覚で撮れるようになってきたと思います。ここからが、レンジファインダーとの付き合いになる、と思っています。

さいごに

 旧Twitter(Xと書くと、日本ではときおりXJAPANを想起させてしまうので、なにか書きづらい)で、ご家族がいるので、なかなか思うように遊びに出られない、とぼやいている方がおられました。週に一度か二度の休みを、おもいきり羽を伸ばしたくてもそれができない。奥様も当然同じようなことを思っておられるでしょうから、お互い様なのでしょうが、やはりそりゃあ、カメラも使いたいし、バイクにも乗りたいだろうし、自転車にも、飲み会にも、いろいろやりたいことがあるに決まっているのです。SNSではそれらの願望をぼやいていらっしゃるけれど、実際は家庭をとても大切になさっていることがうかがえて、そりゃあ、ぼやくくらいよかろうもん、と思ってしまいます。そして僕自身もそんなふうに思ってしまいます。
 いつかちょっと、写真ありきの旅に出たいのです。

 (でもそれが現実のものになろうとすると躊躇するのがヘタレ)

 でも、やっぱり、大上段に構えられるような遠出へのまっとうな理由がないと、家族に悪い気がします。まっとうな理由って、つまり撮影以外の目的があるってこと。仕事だけではなくて、同窓会とか、そういうものでもいい。また妻が一人で遠くに行きたい、というのであれば、喜んでいってらっしゃいが言えるようになりたいものです。次男坊がもう3歳ですが、まだちょっとワンオペに自信がありません。子どもたちのお母さんへの慕情が半端ないのです。

 だからこそ、半径500メートルの撮影散歩はとても大事な時間になります。飽きがきても、それを続けねばなりません。飽きても「ここではないどこか」に行くことは安易にできないのです。だからこそ、いろいろ工夫をしてみる。そうすることで、自分の目も養える。そう考えれば、朝の散歩はいい稽古の時間になっている、とも言えるのかもしれないですね。うまくならんけれども。

 ああ、ひとつ、半径500メートルの撮影で、まったく飽きないものがありました。ま、これは、内輪の写真になってしまうけれど。

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