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誰しも、ふとした瞬間、誰かにとっての天使になれる
まったく知らない他人との、ふわりと一瞬だけつながったときに紡がれる、ふとした会話が好きだ。
例えば、バスで偶然となりに座った、おばあちゃん。
例えば、偶然とおりすがった犬のお散歩中の、お姉さん。
例えば、ふと入ったコンビニでおでんのおかずを一個おまけしてくれた店長さん。
例えば、道に迷ったときに丁寧に気さくに行き先を教えてくれた、ショップの店員のお兄さん。
一瞬のことなのだ。
それは、「いってらっしゃい」という一言かもしれない。
言葉ではない、「これどうぞ」という行為や笑顔かもしれない。
ときとして、10分ほどの会話かもしれない。
お互いに言葉や笑顔を交わし、自分たちの人生をほんの刹那だけ交差させ、そうしてまた赤の他人にもどって立ち去っていく。お互いの名前も、年齢も、なにも知らない。きっともう、出会うこともない。そんなものを「他人」というのだと思う。
でも、その人たちの残した言葉や笑顔、たしかなぬくもり。
その時間は、いつまでもあたたかく、私の心の中に残る。
そういう「他人」と、小さなタイミングや偶然という奇跡がかさなって、交差しあうその刹那の瞬間が、そのぬくもりが、わたしは、とても好きなのだ。
そういう人たちのことを、わたしは勝手に「天使」と呼んでいる。
そうとしか思えない。
なにかに悩んでいたとき。
なにかに苦しんでいたとき。
求めていることに、自分自身が気づいてすらいなかったのに、その人たちはその瞬間のわたしにとっていちばん必要な言葉をくれる。
それは、わたしに向けられた言葉のこともあれば、その人たちが昔話のように語る遠い日の記憶だったりする。
その人生の片鱗に、わたしは何度救われ、道を教えられ、背中を押されたかわからない。
そういう人たちは、決まって完璧なタイミングで現れる。
誰かがわざと、ふわりと、そこにその人との出会いを置いてくれたように。
まるで、道端にぽとんと咲く、タンポポのような。
そういう出会いを、大切にできる自分でい続けたいと思う。
そうして、いつの日か。
誰かがわたしの人生とほんの刹那に交差したとき。
ふわりと、その人の求める言葉を、必要としている遠い日の記憶を、「大丈夫だよ」と言ってあげられる笑顔と強さを。
その人にとって、まるで、道端にぽとんと咲く、タンポポのような。
そんな、その人にとっての「天使」になれたら、いいなと思う。
そう、思う。
人はみんな繋がっている。
それは本当なんだなって。
こういう刹那の交差、「天使」との出会いのたびに思う。
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