見出し画像

躁うつやうつとの向き合い方

躁うつやうつの対処法とは、ルーティーンを作り、思考を挟まず、一定のペースで自分自身を動かし続けることなのかもしれない。


学生時代に躁うつと診断され、その後躁うつと寄り添って生きている友人を見て、そんなことを思う。


なんで生きてるのか、とか。
なんでつらいんだろう、とか。

そんなこと一切考えない。
考えても無駄だし、余計に悩むだけだから。

「泣いてるとご飯の支度が遅くなるからさ。」

『私の浅草』

彼女はまさに、浅草女のような生き様だ。

生きていくにはお金がいる。
お金を作るには働かないといけない。
だから、働く。

ただ、それだけのことだよ。
あなたは物事を複雑に考えすぎなんだよ。

そんな言葉を置いて、彼女は今日も仕事に向かう。
早朝から夜遅くまで働き、家に帰ってきたらシャワー浴びて、洗濯機を回しながらご飯を作り、食べ、洗濯物を干す。

やるべきことをやった後、はじめて彼女は座ったり、ソファに寝そべって、しばし自分の時間をとる。そして、気づいたら気を失うようにして眠る。
目覚めれば、また仕事に行く。


「疲れてるときに止まったら、もう動けなくなるからさ」


彼女はそう言って、笑っていた。



わたしは、彼女のような強さを持ちたいな、と思う。
でも、わたしは、彼女のようにはなれない。

いや、むしろ、わたしは過去数年間、彼女のようにやり続けていたんだと思う。

止まってしまったら、動けなくなる。
それが分かっているから、休みなく動き続ける。

そもそも、母親に休みなんてものは存在しない。
仕事が終わり、家に帰ってからが本当の仕事の始まりだ。
家に帰ってから、思考を挟まず、黙々とルーティーンをこなし終えれば自動的にやってくる自分タイムなんてものも存在しない。


止まるな。
絶対に止まるな。
私が止まったら、私が崩れたら、すべてが止まって崩れてしまう。

そんな思いで、過去数年間を走り抜けた。
でも、今になってやっと、限界が追いついてきた。


否。


限界は、いつも私と伴走していた。
限界を感じるたび、気力で限界を越える。
その限界を超えた先には、次の限界の壁がある。
それもまた、気力で超えていく。

ひたすらに、ただそれを繰り返す。
子育てってそういうものだ。
母親ってそういうものだ。
そうやって何度も自分に言い聞かせながら。


限界に伴走してもらうことに慣れすぎて、いつの頃からか、限界を限界と捉えることすらしなくなっていた。
考えるな。思考を止めろ。ただ、動き続けろ。
止まったら、もう動けなくなる。


でも、もう、動けなくなりそうだ。

今まで聞こえないフリをし続けた心が壊れる音が、最近では無視できない声量で私の耳元でわめきちらしている。


彼女みたいになりたいと思う。
でも、わたしには、彼女みたいにはなれない。

環境や生まれもった特性。
色んな要因があると思う。

それがなんなのか考えることすら、無駄だと思う。
できないことはできない。
できることはできる。
それ以上でも、それ以下でもない。

だから、わたしはものすごい勇気と胆力を使って、数十年生きてきて初めて「止まる」ということに挑戦をし始めた。

その選択の答え合わせは、まだ先になるだろう。
不安がないといえば、真っ赤な嘘になる。
不安しかない。でも、やるしかない。


わたしと彼女。
どちらが正解なんてことは、きっとない。
人それぞれ。状況それぞれだろう。

でも、どちらの在り方もあっていい。
この記事を読むことが、そんな風に思ってもらえる些細なきっかけになれば、いいなと思う。

サポートしていただいた方のことは忘れません